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何に対して貢献するか、どのような貢献ができるのか、仕事ができる者は自分で考える

成果をあげる人とあげない人の差は、才能ではない。成果をあげるかどうかは、いくつかの習慣的な姿勢と、いくつかの基礎的な方法を身につけているかの問題である。しかし、そもそも組織というものが最近の発明であるために、人はまだ、それらのことに優れるにいたっていない

P.F.ドラッカー『プロフェッショナルの条件』

仕事にもいろいろありますが、少なくとも言語化可能なビジネスモデルにおいて一流の仕事ができるようになるには生まれつきの才能など全く不要だというのですから、多くの人が希望を持てますね。

実際、

  1. 「言語化可能」ということは「文字にできる」

  2. 「文字にできる」ということは「文章にできる」

  3. 「文章にできる」ということは「文書にできる」

  4. 「文書にできる」ということは「手順化できる」

  5. 「手順化できる」ということは「マニュアル化が可能になる」

わけですから、しっかりと整理・整備されれば「いつでも」「だれでも」「何度でも」実現可能な再現性が非常に高くなります。そう、そのなかに才能が入り込む余地がほとんどないのです。仮に入り込む余地があるとしても「より理解が早い」「より習得が早い」という程度のものでしかなく、最後に行き着くゴールは全く同じということになります。

しかもその実現に必要なものは、習慣的な姿勢基礎的な方法だけです。

習慣的な姿勢と基礎的な方法で十分というのであれば身につけることができない人というのは原則としていません。

しかし、組織というものが歴史的にみるとあまりにも近代の発明であるがために、私たちはまだ「組織で働く」ことに慣れていないとドラッカーは言っています。

たしかに集団活動というのは、常にストレスにさらされるものだとも言いますよね。ストレスというのは心の摩擦係数が高い状態とも言えます。まったく心的な摩擦がない…ツルッツルな状態であれば心は負担を負いません。それができないということは

 「人は、他人に常に何かしらの負担を与えている」

ということでもあるわけです。その課題を解決できない以上は、組織としての成熟度がいまだ低いということなのでしょう。

それまでは個々人が職業を担うことがあたりまえだったのですが、18世紀の産業革命以降、大勢の人が一緒に働くようになっていきました。ジェームズ・ワットが実用蒸気機関を発明したのが1776年、それからたった230年しか経っていません。

いかに習慣的な姿勢といってもたった230年では文化として成熟しきるには短いといっていいでしょう。

ゆえに、いかに基礎的な方法といっても学校では教えてくれません。
そもそも学校の先生には企業組織などで働いた経験がないのですから当然です。

建築や飲食などはずっと昔からありましたので、その長い歴史の中で固定化された手法や技法も数多くあります。しかしIT業界に至ってはさらに歴史が浅いため、どれ一つとっても満足に組織的な活動として定着したものがありません。さらにまだまだ技術の進歩(…進歩?)というか変化が激しいため、どうしても「組織」的な活動が定着しずらいところがあります。結果的に、属人的な姿勢で進めようという人が旺盛となってしまいます。

ドラッカーは、たとえば身につけるべき習慣的な姿勢とはこういうものだと言っています。

ペーパーワークと医師のさまざまな要求に追われている病棟の看護師は、大勢の外科の患者を見ながらこう考える。

 「彼らが私の仕事だ。ほかのことは邪魔でしかない。
 この本来の仕事に集中するにはどうしたらよいか。
 仕事の仕方に問題があるかもしれない。
 もっとよい看護ができるよう、皆で仕事の仕方を変えられないだろうか」

成果を上げるには、自らに与えられた役割において「何に貢献するか」を考えなければなりません。

もちろん人事権を持つ上司は怖い存在です。仮にそれがどんなに無能であったとしても、どんなに役割の定義を無視してきても上司は上司。中には命令に従わざるを得ないとあきらめてしまっている人もいるかもしれません。それこそが「組織が成熟していない」という一側面でもあるのでしょうけど、とにもかくにも本当の意味で成果を上げるためには

  • ただ上司の言いなりになって役割にない仕事をこなすこと

  • 本来上司が自らの責任で実施するべき仕事を肩代わりすること

から解放され、この看護師のように「本来するべき仕事に集中できる方法」を考えなければなりません。そして次に「自分は何を最も貢献できるか」を考えなければなりません。ドラッカーは「自らの強みを知る」ことと言っていますが、要するに

 自分が一番得意で、一番パフォーマンスが高くなる仕事は何か

を見つけることです。それがひいてはもっとも企業や組織に貢献することになります。こう書いてしまえば非常に簡単であることがわかります。そしてその簡単なことをドラッカーは教えてくれているのです。

成長のための偉大な能力をもつ者はすべて、自分自身に焦点を合わせている。
ある意味では自己中心的であって、世の中のことすべてを成長の糧にしている。

P.F.ドラッカー『プロフェッショナルの条件』

たしかに、私も

成長(変化)がない仕事は嫌いです。
仕事に限らず、常に何かしらの変化や成長がないとすぐに飽きます。

停滞する気はありませんし、ロボットになる気もありません。誰かの道具になる気もありませんし、そんなことを強要する人や企業のために働こうという気は毛頭ありません。

これは私個人のエゴですし、ドラッカーのいうようにある意味で自己中心的なのでしょう。逆に言えば、そういった条件を満たした環境に身を置けるのであればいつまでも貢献し続けたいし、し続ける自信があります。

それが私の望む環境であり、giveし続けるに足る条件を満たすことになるからです。

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Takashi Suda / かんた
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