情報は開示することに意味がある
ビジネスでは、稀に
「関係者外秘」
と書かれた文書を見ることがあります。
この正しい意味は
「関係者以外が知ると、営利に影響が出かねないため、
直接業務に関わる人以外の閲覧を禁止します」
と言うものです。
「その業務や作業に関係がない人は見なくていい」
というものではありません。
少なくとも、同じ会社の従業員である以上、関係者外秘でない情報は、見ても見なくてもどちらでもいいけど、見てはならないということはない。むしろ、同じ従業員として知っておいた方がいいものしかありません。
常に情報を開示し、風通しを良くすることは、組織として半ば義務に近い責務なのです。それを知ろうとするか、しないかは、従業員側の任意で構わないでしょう。
このことを正しく理解していないと、
「直接会話している人」
「直接関係している人だけ」
「仲間内だけ」
といった間引き方をします。メールでいえば、Toの相手しか見ておらず、CcやBccが何のために存在しているのかもロクにわかっていないのと同じです。
実は、これが組織風土において
隠蔽体質
を生み出す元凶なのです。
ビジネスの情報と言うものは、少なくとも「間接的に関係する」または「関係する可能性がある」人には、必ず開けていなければなりません。
メールと同じです。
「To」は、直接やり取るする相手を指します。
「Cc」は、共有を目的として知っておいてほしい相手を指します。
「Bcc」は、ToやCcの相手に伝えていることは知られたくないけど、
念のため情報を共有しておきたい場合に利用します。
少なくとも、ビジネス情報の公開先は、この「Cc」までが原則でなければなりません。
もし、これを否定するとどうなるでしょう。
たとえば、営業部の人であれば営業部以外の部署は"直接的"に関係ないということです。しかし「Cc」レベルの人への情報開示を不要とするのであれば、業務に"直接的"に関係しない限りは一切話を切り出すことを禁止しなくてはなりません。
これは、実際に関係するかどうかは意味がないことです。
関係するにしても、しないにしても、必要な時に情報をインプットとして持ちあわせていなければ適切な活動はできないわけですから、いついかなる時に動かなければならないかわからない以上、先んじて情報が開示されていなければその準備や調整すらできません。ゆえに
情報の隠蔽体質は"悪"
なのです。それが会社にとって損失につながるものでない限り、それが自分にとって都合の悪いことだとしても、ビジネスに関する情報はほんの少しでも関係しそうだと思えば、常に開示されなければなりません。
自身を『誠実』な人間であると自負するなら、そうあるべきです。
また自分が関係ないと思い込んでいる人は、関係ないと思っている情報を受け取ることを嫌がる傾向があります。嫌がる時点でおそらくは何らかの形で関係しているのでしょう。知ってしまったら、何かしら余計な仕事が増えると思っているのかもしれません。
基本的に、よほど関係しないと分かるものでない限り、そういうクレームにまともに応対する必要はありません。もし、それでも嫌がる/断るというのであれば、その情報を持っていなかったがために発生した問題は、自己判断に対する自業自得であって、他人にフォローしてもらえる資格も持たないということになります。
それでも秘匿したい/知りたくない覚悟があるのであれば続ければいいと思いますが、少なくとも私は"自業自得"で問題を起こすような人まで助けようとは思いません。自ら進んでその道を選んでいるわけですから。