失敗対策はトップダウンで
IT業界に限った話ではありませんが、よく見かけるのは
失敗や問題を起こした
↓
上司が部下をしかりつける
「どうなってんだ」「ちゃんとやれ」
↓
あとは現場に任せっぱなし
↓
最低限、顧客への報告には顔を出して、
現場がまとめた情報を元にそれらしい報告を行う
と言ったものです。本当によく見かけるシーンですが、これは「管理職として」「上司として」「その部署の指導者として」「その業務の責任者として」正しい在り方なのでしょうか。私には何をどう見ても、正しさが見えてきません。ですが、世の中的にはそうすることが"正"であるかのように、皆一様にそうしている企業が多いのです。
むしろ「そうする人たちだからこそ出世させているんじゃないかな?」と勘違いしてしまうほどに、です。
そしてそういった現場では、せっかく得られた『失敗』も、失敗した当人たちだけの対策、当人たちだけの啓蒙に閉じてしまって、同じ組織にいる他の人たちには財産として共有されません。結果として同じ組織内で別の人たち、これから入ってくる新人たちによって、何度も何度も同じ失敗が繰り返され、しかもいつまで経っても改善されず、成長しない組織として確立されてしまうのです。
失敗1に対して対策効果1では釣り合わない
失敗する規模によっては、たった1つの失敗で社員1人の生涯報酬(サラリーマンは平均3億でしたっけ?)を上回るような赤字を出してしまうプロジェクト現場だって存在します。私自身、実際もっともっと赤字化したプロジェクトの火消しに参加したこともあります。
仮に失敗させた当人が反省し、二度と問題を起こさないようにしたとしても、社員はその人一人だけと言うわけではないでしょう(私が参加した大炎上プロジェクトでは、失敗させた当人はまったく反省していませんでしたが)。他の社員にも展開し、共有し、対策を徹底してもらわなければ、同じような損失を垂れ流し続けるリスクはいっこうに減ることはありません。
失敗を一人ひとりの社員、メンバーが学ぶだけでは、ほんとうの意昧での失敗対策にはならないのです。
どんなに有能な人材でも、個人が見渡すことができるのは、その人が任されている組織のなかの一つの狭いパートでしかありません。個人ならばともかく、1つの組織総出でたった1つの仕事をしている…と言うケースは社会全体で見れば少ないと思います。課や部と言った組織では、複数のプロジェクトだったり、担当だったり、タスクだったりがひしめき合っているはずです。
それに組織ごとに権限も閉じており、役割も限定されているのが一般だと思いますので、複数の部署にまたがったような問題には、なかなか対処することもできないでしょう。場合によっては日頃から問題意識について、他部署との間で情報の共有なんてものはまったくなされていない企業もあるのではないでしょうか。
結果、対策を個人に依存するということは、はじめから個人の限界以上まで何とかなると言うことは無く、その限界を超えるような問題が起きてしまった際には、日頃から失敗情報の共有がなされていないがために、組織としての団体行動がとれず、放置せざるを得ないということになるわけです。そして組織として放置し続けてきた結果、行き着く先が「損害賠償請求」などの社会的問題となるわけです。
一番「失敗」を見渡せて、一番「失敗」に対する取り組みについての強制力と責任を持つアクターは誰だ!?
組織の中でその全体を見渡すことができる立場にあるのは、唯一その組織の
トップ
です。本部内(部間)であれば本部長が、部内(課間)であれば部長が、課内(プロジェクト間や要員間)であれば課長が、プロジェクト内(メンバー間)であればプロジェクトマネージャーが、その立場にあります。それ以上となると、役員や社長だったりするのでしょうか。どちらにしても当該活動に対して、最上位のコミットメントを持つ人物が担うべきです。
そして全体を見据え、全体に指示・コントロールができる立場でないと組織やチーム全体の失敗対策が進まないのですから、
「失敗対策はトップダウンでやるべきだ」
ということになるわけです。
ボトムアップ型の活動を行って、個人やグループが直面している問題を浮き彫りにさせながら全体のレベルアップを図るのは、ひとつの理想的な手法であることは確かでしょう。
ですが、しょせん理想は理想です。
若手からベテランまで、社員一人ひとりの問題意識や責任意識が相当高くないと実現することはありません。現実的でない理想を語っても意味がありません。ティール組織がしっかりと成立しているのであれば、ボトムアップも可能でしょうが、みなさんの組織はティール型ですか?
実際に起きている失敗の多くは、当事者が気づかないところに潜んでいるのですから、下から上へのボトムアップ型の活動だけで失敗対策が十分にできると考えること自体に無理があります。
失敗対策は上から下のトップダウンで「俯瞰して見渡すことができ」「一定の強制力を発揮する」ことでしか、強い実行力を生み出すことはできません。少なくとも、一人ひとりの意識が向上し、習慣化されない限りは無理です。これはQMS(品質マネジメントシステム:ISO 9001:2015)の中でも「5.1 リーダーシップ」の章で同様のことが言われています。
5.1.1 一般
トップマネジメントは、次に示す事項によって、品質マネジメントシステムに関するリーダーシップおよびコミットメントを実施しなければならない。
a)QMSの有効性に説明責任(accountability)を負う。
b)QMSに関する品質方針及び品質目標を確立し、
それらが組織の状況及び戦略的な方向性と両立することを確実にする。
c)組織の事業プロセスへのQMS要求事項の統合を確実にする。
d)プロセスアプローチおよびリスクに基づく考え方の利用を促進する。
e)QMSに必要な資源が利用可能であることを確実にする。
f)有効なQM及びQMS要求事項への適合の重要性を伝達する。
g)QMSがその意図した結果を達成することを確実にする。
h)QMSの有効性に寄与するよう人々を積極的に参加させ、指揮し、
支援する。
i)改善を促進する。
j)その他の関連する管理層がその責任の領域においてリーダーシップを
実証するよう、管理層の役割を支援する。
これはJSA(日本規格協会)から提供されている対訳版の一説ですが、ここに書かれている「確実にする」と表現されているものは、責任はトップが持たねばならないものですが、実務の権限委譲が可能(責任は以上できない)なものとされています。それ以外の動詞で表現されている項は、すべてトップマネジメントが責任をもって実施しなければならないとされているものです。
なぜトップでなければならないかと言うと、ときには組織全体の見直しが必要なこともあるからで、それをせずに部下に任せたりすると、往々にしてこれまでのやり方に準じた、つまり歪曲化かつ矮小化された形でのヌルい失敗対策になってしまいがちとなるからです。つまりは丸投げになるということです。
真に恒久的な失敗対策をするのであれば、中途半端なその場しのぎのヌルイ対策では意味がありません。特にルーティン化されたような仕事の仕方にテコ入れする場合、組織文化を変えるには、強烈なリーダーシップを持つトップにしかできないことが多いのです。
(「上から見れば全体が見える。下から見れば一部しか見えない」の図)
労働災害の専門家によると、組織のトップが安全管理に意識して取り組んでいるか否かで、罹災率は3倍も差が出てくるということらしいです。
安全管理とは、決して人命や傷病のことだけを指しているわけではありません。社会、生活、財産なども含まれています。
たとえば、ソフトウェア開発における"機能安全(IEC 61508)"と言う考え方においては、
正しいプロジェクト活動によってお客さまに迷惑をかけないように。
リリースした製品が問題を起こさず、安心して利用できるように。
問題が起きても、利用者にとって致命的な事故にならないように。
と言う観点で、ソフトウェア開発組織の運営をしているかどうかが求められていたりもします。
これは経営者と言うより、部課長など、特定領域のトップが負うべき責務と言えるでしょう。つまり、経験的に導かれたこの数字は、安全菅理のシステム自体もさることながら、これを活用するリーダーの心構えひとつで、結果が大きく変えられることを意昧しています。
この法則は、同種の問題である組織の失敗を見る際にも、当てはめることができるのです。たとえば、ソフトウェア開発をする部や課が複数存在するなら、1ヶ所で起きた失敗は、他の部署でも起きうるということです。
そうしたことからも、リーダーの資質、そしてトップの意識によって、失敗の発生確率、および再発頻度は、ゆうに3倍以上違ってくるということになるわけです。
失敗に対する理解と姿勢
強烈なリーダーシップを持っているべきトップが『失敗』というものをどう見ているか、どう理解しているかは、組織運営において非常に重要な問題です。
これは、失敗してからの向き合い方だけでなく、失敗しないようにと言う向き合い方にも大きな影響が出るからです。
トップが失敗の未然防止を強く意識しているだけで2/3の失敗は消え、それだけでなく、起きてしまった失敗が社員一人ひとりの進歩や成長の種として使われることも期待でき、ひいては組織のあるいは企業全体の拡大にもつながると言うことを意味しているのですから、『失敗』に対するトップの姿勢は、経営戦略上においても責任重大です。
たとえば、優秀な山登りのリーダーと偽リーダーがいたとします。
天気のいい日に2人同時に山登りの下見をさせた場合、表面的にはなにひとつ変わらないように見えても、「思考」はまったく違う展開がされています。
優秀なリーダーは、山を順調に進む間も
「雨が降ってきたらここは危ない」
「ここはルートが狭いから危険」
「ここは転落の危険がある」
などと、常に危険を想定した観察(攻めのネガティブ思考)をしています。
優秀だからと言って、順調だからと言って、常に失敗を恐れ、慎重さを失うことはありません。
一方、偽リーダーは、そうしたことをなにもせず、また優秀な慎重さを悪い意味で「ネガティブ」と意訳して笑いものにし、
「頂上までこれたけど、たいしたことない」
「山なんて、こんな程度」
と、すべてを理解したつもりで豪語するだけでしょう。
たとえば、2002年4月、みずほフィナンシャルグループの統合初日から、数日間にわたり大規模な情報システム障害事故が発生した事件を覚えているでしょうか。
・引き出してもいない預金残高の減額
・キャッシュカード不使用
・電気料金などの口座振替処理が遅れ
・二重引き落としの発生
と、金融機関としてあってはならない、個人資産にかかる機能安全不良の事故でした。私自身は、このトラブルに直接関わりませんでしたが、2009年頃、別の炎上プロジェクトの火消しに関わっていたこともあり、この語り草を当時頻繁に聞いていたことはいまだに記憶に残っています。
統合方針を発表してから2年以上の期間があったにもかかわらず、トップが『失敗』に対するリスクを理解せず、十分に配慮しないがために起きた事故でした。
直接的には、システムに問題があって起きた事故であることは確かでしょう。しかし本来、旧第一勧業銀行と旧富士銀行、旧日本興業銀行という、3つの銀行の別々のシステムを1つにして新しいシステムをつくる際には、まったくゼロから新しいものをつくるか、3つのシステムのうちの2つを切り捨てて1つに吸収するか、どちらかを選択するべきだったのです。
決定の分岐点でトップが判断を誤り、そのほうがよいと知りながら、結局決断できずに既存の3つのシステムを組み合わせ、さらに検証作業もしっかりしなかった結果、統合に踏み切るという決断をしてしまって、挙句、大事故となったのです。
『失敗』に対する慎重さを持たず、『失敗』に対するリスクを強く意識できなかったがゆえに、分岐点でのトップの判断、選択の誤りを示す典型的な例であったと言えるのではでしょうか。
「決定の道筋」と「心理的障壁」
このように、トップダウンで何かに取り組もうとしても、上手くいかない事例もあります。『失敗対策』あるいは『失敗するリスク対策』を検討する場合、トップダウンは、失敗することを前提とした判断や決断をしなければなりませんよね。
失敗しないことを前提として何の検討も対策もしないままの指揮、命令では、自ら「失敗するゾ!」と宣言しているようなものです。
これは、「多すぎる経験」「不十分な知識」「その時々の雰囲気」などに起因する心理的障壁(バイアス)のために、本来たどるべき「最適解」への道筋をたどることができず、障壁を回避して「次善の解」以降にしか到達できないという事態です。
たとえば、「冷静さの欠知」「過剰な誇り(プライド)」といった内なるものが目の前にフィルターを作り、「最善の解」を隠してしまうのなんかはよく見かける事例ではないでしょうか。
リーダーシップを持つものは、このことも頭の片隅に入れておいて、常に強く責任を意識し、日頃から客観的な評価と決断が下せる訓練をしておかなくてはなりません。
そうでない限りは、どんなにトップダウンで指揮をしても、現場を混乱に陥れるだけで、何一つ解決しない結果につながってしまいかねないからです。