完璧主義の功罪
完璧主義ってなにも悪いことばかりではないと思うんです。
でも世の中的には非常にネガティブに捉えられていますよね。
自分の仕事に責任を持って「完璧であろう」「100点を目指そう」と努力することを悪く言う必要はないですよね。たしかに大変かもしれません。ですが、姿勢としては何一つ悪くないんです。他人のことであればなおさら文句を言う必要なんてありません。
そもそも、みなさんが客の立場だったと考えてみてください。
そうですね…車、家などの高額商品を購入しようとしているとしましょう。
そこであなたは客の立場として、製造元、販売元に
「完璧じゃなくていいですよ?」
「多少欠陥があってもいいですよ?」
と言いますか?
それを公然と言ってのけ、そして実際に欠陥があっても一切文句を言わないのであれば、「完璧主義不要論」を言う資格があってもいいかもしれません。ですが、そうでないのであれば完璧主義の一側面の悪癖を見て文句を言うのは筋違いじゃないかと思うんです。
別に多様な価値観があってもいいじゃないですか。
完璧主義には欠陥がある
とはいえ、完璧主義も、完璧主義でありながらなぜか『欠陥』を抱えています。
完璧主義の問題の1つは、本人の内にとどめて努力するだけならよかったんですけど、
同じ価値意識を他人にも強制し、求めようとしてしまう
ことです。特にチームワークなどを求められる現場ではこの問題が顕著に現れます。「人間は不完全な生き物である」という前提を忘れ、失敗は取り返せばいいという現実を見ようとせず、
「完璧でない自分」
「完璧でない他人」
を許さず、とにかく責めようとしてしまう姿勢。完璧を目指そうとする努力だけに飽き足らず、完璧でない結果に対して癇癪を起してしまう未熟さにあるのだと思います。
完璧主義のくせに、精神性が未熟
それが完璧主義の最も悪い部分で、多くの人が辟易し、ネガティブに捉えている側面ではないでしょうか。
つまり
本人が自覚したうえで
「完璧を目指そうとする姿勢」
「完璧であろうと努力するスタイル」
までには一切の問題がなく、
むしろ顧客の目線に立って考えるなら推奨されてもいいくらい。
ただし、実績としてのプロセスや結果に対して
完璧でないことに強い不満を感じ
「支障が出るくらいに落ち込む、感情抑制の未熟さ」
「完璧でなかった時に誰か(自分や他人)を責める姿勢」
にこそ問題がある。
ということではないかと、私は考えています。
そう…実績や結果が出るまでの間、完璧主義であろうとすることは全然悪くないんです。結果に対して、それでも完璧主義を要求しようとすることが悪いんです。
完璧主義は完璧でないものが持つ思想
そもそも、私は「完璧主義」を理想的な人間の持ち得るものだとは思っていません。完璧主義者もおそらくはそう思っているでしょう。なぜなら、最初から完璧な人は、完璧であるからこそ今さら「完璧であろう」「完璧になろう」なんて欲求を持たないからです。未完であるからこそ、未熟であるからこそ『完璧主義』という考え方は成立します。要するに
完璧主義を貫く限り、一生完璧にはなれない
というジレンマを抱えた存在なわけです。だからこそ完璧になりたい、したいという気持ちは理解できますし、尊重したいと思っています。そういう人たちのたゆまぬ努力が、日本製品やサービスの高い品質を維持している現実に少なからず貢献しているであろうことが垣間見えるからです。
ですが、その想いが行き過ぎて、完璧でなかった実績や成果にいつまでも後ろ向きな考え方をするようであれば、その点だけは認めてあげる気はありませんが。
おそらく、「完璧主義」者の方々が持っている『完璧な完璧主義』はまだ理想的な姿になっていないのではないでしょうか。
少なくとも、私が考える理想的な姿の『完璧な完璧主義』は
プロセス(進め方や方法)、質(プロセスや成果)、期限、コスト、満足度、etc.…すべてが完璧となるべく、様々なことに対して100点であろうと日々精進し、その理想に到達するまでのありとあらゆる結果をポジティブに受け入れ、将来的な「完璧」にするための糧とする
そんな姿勢のことを言うんじゃないかと思うんです。そしてその域にさえ達しきれていない『未完の完璧主義』は、まず『完璧な完璧主義』となるべく努力するところから始めた方が良いのかもしれません。
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