僕のアメリカ横断記⑪(シカゴ2日目)
【その①を未読の方はこちら↓↓↓】
https://note.com/sudapen/n/n06148d1c9a90
■8月30日(火)
朝起きて、床がぬるぬるして気持ち悪い浴室でシャワーを浴びた。水圧が弱くて参ったが、それよりも、すぐ隣がトイレなものだから、立ちこもる湯気に糞尿の臭いが混ざり合って、たまらない悪臭となる。あまり気持ちの良い一日のスタートではない。
まずはアムトラックに電話をかけて、列車の運行状況を訊かなければならなかった。このアムトラックのコールセンターは、最初に「ジュリー」と名乗る機械音声が対応するのだが、僕が求めるだいたいのことはこのジュリーでは解決できない。ジュリーはあらかじめインプットされてある列車の発着時間や予約の確認などしかできないからだ。それでもジュリーはなんとかオペレーターに繋がず自分のところで要件を済まそうとして、あれこれと質問してくる。このジュリーになんとか諦めてもらって人間のオペレーターに繋いでもらうには、いっそ、かなりトンチンカンな答えを繰り返して、ジュリーを呆れかえらせるしかないのだ。この非常に無意味かつ面倒な作業を乗り越えても、オペレーターへのコール音が鳴ってからがまた長い。あまりに長いので、もう受話器を置いて、食堂までコーンフレークを取りに行った。受話器を片耳に当てて、プレーン味のコーンフレークをぽりぽりと食べながら、たっぷり20分は待つ。ようやく電話を取ったオペレーターに要件を伝えると、「今日はバッファローへ向かう列車はストップしています」という答えが返ってきた。
やはりか・・・。
僕は肩を落としたが、むしろ、シカゴにもう少し滞在する余裕を与えられたのだ、と肯定的に思うようにした。それから中年女性と思しきそのオペレーターに、バッファローへの出発を明日に切り替え、それを前提にニューヨークまでの旅程を組み直す手続きをしてもらい、長い長い電話を終えた。
新しい宿を取るのも面倒だった僕は、フロントへ降りて再チェックインをした。幸い、同じ部屋の同じベッドが空いていて、料金も変わることなく押さえることができた。
この日向かったのは、"Art Institute of Chicago"、つまりシカゴ美術館だ。アメリカ三大美術館の一角を成すこの美術館の収蔵作品は、絵画の教科書に必ず出てくるような珠玉の逸品ばかりで、訪れるのをとても楽しみにしていた。
美術館までの道のりをGoogleマップで確認すると、この宿からそれほど遠くなさそうだったので、歩くことにした。
シカゴの街に出るのはこれで三度目。二度目はカップ麺を買いに行った夜だったからあまり実感が持てなかったが、こうして青空の下で見てみると、あらためて大変なビル群である。威圧的でさえある。ところが、これほど華やかで、人が多く、店が多く、ある意味では現代資本主義の結晶のような街なのに、なぜか「エネルギッシュさ」をあまり感じなかった。駅前のベンチに並んで座っている人々が、それぞれどこか一点をじっと見つめていて、さらには浮浪者らしき人々もそこかしこに見え、都会の寂しさを感じさせた。
シカゴ美術館へは、道中、二人くらいに道を訊ねながら、なんとか辿りついた。建物は、これを何調と呼ぶのかわからないが、アメリカの図書館や博物館、大学といったパブリックな施設でよく見る建築様式で、建物の入口に立つだけで、内部の広大さが想像できた。
どこかのウェブサイトに、「火曜日は入館無料」と書いてあった気がするのだが、どうもそんな様子はない。チケットカウンターもオープンしているし、入口のところにはチケットを切るおばさんが睨みをきかせている。なんなら、そもそもシカゴ美術館は「入館料の支払いは任意」という情報もどこかで目にしたような気がするのだが、少なくとも僕の前を通っていく人々は皆、チケットを係員に提示して入場しているし、そんな中、僕だけが知らん顔で強行突破するのはなかなか勇気がいる。
・・・気づけば僕は、12ドルのチケット(学割適用)をおとなしく買っていた。英語がもっと喋れれば無料なのかどうか確認できるのに、ただ「I'm Free?, I'm Free?」と連呼するばかりの自分を想像して情けなくなったのだ。
エントランス付近にある案内パネルとにらめっこをして、限られた時間の中でどのように館内を廻るか考えていると、親切そうな白人のおばさんがやってきて、色々と説明をしてくれた。「どの分野に興味があるの?」と聞くので、「コンテンポラリー」と答えると、「もちろんたくさんあるわよ~」とフロアの一角を細い指で示した。「あっちへ行ってみるといいわ」
僕は礼を告げて、指示されたほうへ向かったが、途中に"Japanese Art"というコーナーがあって、そこで"Bamboo Master"の藤沼昇さんの展示会をやっており、ついフラフラッと入ってしまう。"Bamboo Master"とは要するに竹工芸の職人のことで、藤沼さんはこのシカゴ美術館での個展の翌年にいわゆる人間国宝に認定されることとなる。僕は彼の作品をそこで初めて鑑賞したわけだが、まさに神業としか形容のできないきめ細やかな芸当に感激し、写真を撮りまくったのだった。
こんなふうに、行き当たりばったりでも感動的な芸術と出会えるのだから、鑑賞の順番なんかどうだっていいや、という気分になってきた。しかし、そんな考えはさっそく挫かれることになる。「火曜日は入館料無料」と書いてあったその謎のウェブサイトに、「普段は17時でクローズするところを、火曜日だけは22時までオープンしている」という記述もあったような気がして、その曖昧な記憶を信じていた僕だったが、係員に念のため聞いてみると、「いや、17時クローズだよ」とそっけなく言うではないか。あのサイトは夢かなにかだったのか・・・?
すでに時計は15時を回っている。焦燥感がこみあげてきた。
30万点以上というコレクション数は伊達ではない。ひとつひとつの展示品の芸術的価値の高さはアメリカでも随一で、すっ飛ばして鑑賞するにはあまりにもったいないのだ。ここで助けられたのが、入口で声をかけられたあのおばさんにもらったパンフレットだった。そこには、「これだけは観ておこうリスト」というのが記載されており、少なくともそこに挙げられている作品だけは押さえようと心に決めた。
モダンアートの展示エリアでは、パブロ・ピカソの『ギターを弾く老人』や、エドワード・ホッパーの『ナイトホークス』を見つけて「おお、実物だ・・・」なんて感動したりしたものの、広大な敷地面積に加えて部屋数も多く、絵画を見るというよりダンジョンを探索している気分になってきた。
時間が17時に迫る頃、ある大きな部屋に足を踏み入れた僕は、ダンジョンの最奥に鎮座するお宝を見つけた。それこそが、シカゴ美術館最大の目玉作品、ジョルジュ・スーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』だ。
この絵をはじめて知ったのは、中学校の美術の教科書だったと思う。気の遠くなるような点描画だが、とにかく驚いたのは、横3メートル、縦2メートルというその巨大なサイズだ。スーラが2年をかけて制作したといわれるが、無数のドットが紡ぎ出すその緻密さは、2年でも短く感じるほどだ。
さあ写真に収めようと携帯を構えた瞬間に、屈強な黒人の警備員が「もう閉館の時間だ」と冷たい声を発した。明らかに僕を見て言っている。四方に配備された他の警備員も「Hey, Sir!」、「Sir!」と僕に向かって声をあげはじめ、いよいよ追い立てられながらも、どうにか一枚だけ撮ることができた。
しかし、言うまでもなく美術館は、(撮影自体は許されているといっても)絵画をカメラで撮りに来る場所ではない。できることなら僕も、あの筆舌に尽くしがたい点描の業をこの両眼でじっくりと見たかった。アムトラックのチケットの件があったので仕方がないとはいえ、時間配分のまずさに自責した。警備員にせっつかれながらギャラリーを出るとき、脇に小さなゴッホの肖像画がちらりと見えて、それもまたじっくり観たかったなぁと、なんとも悔しかった。
なんとなく未消化な感じの、寂しい帰り道。
美術館のすぐそばにあるミレニアムパークを訪れてみる。見上げるような大きさの長方形の塔には、誰だかわからない人物の顔がドアップで映っていて、彼の口から噴射される水で辺りがずぶ濡れになっている。そこで裸足の子どもたちが遊んでいるのが、なんとも奇妙な光景でありながら、微笑ましかった。
その近くにあるグラントパークへは、バラク・オバマの勝利演説が行われた場所というだけで訪れてみたのだが、そのことを記念するようなモニュメントや展示は特に見当たらなかった。
大きな噴水のそばの小屋のようなカフェに、真っ赤な色をしたフローズンが売っており、なんとなく飲みたくなってそれを購入し、ベンチに座り込んだ。どぎついチェリー味のそのフローズンで喉を潤していると、ガイドブックに書いてあった「ディープ・ディッシュ・ピザ」の存在を思い出した。分厚くて具だくさんのピザで、シカゴ名物とされている。飲み物に胃が刺激されて腹も減ってきていた僕は、そのピザを求め、また陽が傾いたシカゴの街を歩き出した。
しかし、そもそもピザ屋さんが見当たらない。イタリアンレストランのような店は道中にあったが、少し貧乏旅行者には敷居が高そうで、パス。どうも今日はコトがうまく運ばない。
仕方がないので、近くのコンビニで「ディープ・ディッシュ」でもなんでもない、チープな冷凍ピザを買って、ホステルに戻ってレンジで解凍して食べた。
なんだか焦ったり、感動したり、落胆したりと、感情がせわしない一日だったが、「まぁ明日もあるさ」と、ベッドにごろんと横たわった。
つづく