
分かりやすいけど化け物だよ? / 「シェイプ・オブ・ウォーター」
ギレルモ・デル・トロ監督の唯一の良い映画、といえば2017年の映画「シェイプ・オブ・ウォーター」だ。とはいえ、僕は他に「クリムゾン・ピーク」と「ナイトメア・アリー」しか観ていない。「ヘル・ボーイ」シリーズや「パシフィック・リム」に関しては、僕が観て楽しめる映画ではなさそうだ。人生の時間は限られているのだから、わざわざ興味のない映画を観ることもない。
さて、アカデミー作品賞を受賞した「シェイプ・オブ・ウォーター」も、評価することが少し難しい映画である。分かりやすさと紋切り型の共存だ。
あらすじをざっと書く。舞台は1962年のボルティモア、政府の秘密の研究所で清掃員として働くイライザ(サリー・ホーキンス)が主人公だ。イライザは唖者、口がきけないので手話で話す。ある日、その研究所に半魚人のような生物が運び込まれてくる。イライザはやがて生物と意思疎通のようなことができるようになるものの、研究所のストリックランド大佐(マイケル・シャノン)は生体解剖しようと言い出す。一方、実はソ連のスパイであるホフステトラー博士は本国から生物を殺すよう命じられるが、博士は従わない。イライザは、ゲイの隣人ジャイルズ、親しい清掃員のゼルダ、そしてホフステトラー博士と協力して生物を救出し自宅に匿う。イライザと生物は肉体で結ばれる。ストリックランド大佐はイライザが救出したことを突き止め、イライザが弱っていく生物を運河へ帰そうとしたところ、イライザと生物を銃で撃つ。生物はストリックランドを倒すとイライザと共に海へ飛び込むーー。
まず、1962年といえばアメリカがマーキュリー計画を着々と成功させ、ベトナム戦争に大規模な介入をする前夜、ケネディ大統領の時代である。アメリカが強く、まさにグレイトだった頃だ。ストリックランド大佐はそうしたグレイトなアメリカの体現者である。そして大佐と対比させるように、主人公イライザは障害者であり、隣人のジャイルズはゲイ、ゼルダは黒人、すなわち当時のアメリカにおける"階層の低い者"だ。
ジャイルズの片想いの相手である若きパイ屋の主人が白人以外をバカにしているホモ嫌いだと知り、イライザに協力しようとジャイルズが決心するエピソードが挿入されていたが、このくらい分かりやすい紋切り型を並べておかないと近頃の観客はなかなか映画を"把握"してくれないのかもしれない。
ただ、こうした紋切り型の悪い点は、具体的になりすぎるあまり、比喩が比喩として機能しなくなるということだ。イライザたちが"弱者"でストリックランドが"いじめっこ"であることが問題なのではなく、社会のなかで dominant (支配的な/優勢な/有力な)である価値観や考え方、または集団があると、常にイライザたちのような者がそこに存在している、ということが主旨だ。本作を観て「弱者が虐げられるような社会はいけない」なんて感想はマヌケにも程がある。そんなことは分かりきっていることであって、君たちが"信じている"ことが社会のなかで dominant になった時、果たして君たちはその信念を支持しない者たちをイライザにしないのか?ということが、本来あるべき筋なのだが、おそらくデル・トロ監督はそこまで考えていないだろう。
近頃流行りの"じぶんたちは弱者だとアピール"する人たちは、ほとんどこの点がすっぽ抜けている。仮にそういう人たちの立場や意見が dominant になったとしたら、ほとんどの"自称弱者"はストリックランドになるだろう。つまり、意見や価値観の異なる者と共存することは、各人がきちんと考えておかない限り不可能に近いという民主主義の難しさがここにはある。もっとも、こうしたことは全体主義者の楽園である日本列島ではあまり関係がないことかもしれない。
さて、イライザが結ばれたものが生物であるという点も僕は妙に引っかかるものだった。障害者が人間ではなく化け物と結ばれるという結末はもちろん比喩であるのだが、これは誤ったメッセージにもなりうるだろう。実際にアメリカやヨーロッパでこのことを指摘している障害者が少なくない。海へ行って幸せになりました、というエンディングは仮初に過ぎず、視点を変えれば、社会の外へ出ていくということでもある。
こうした人と化け物が結ばれることを難しい言葉では"異類婚姻譚"という。神話からグリム童話に至るまで世界中で共通する物語の形式だ。日本列島でも一寸法師から雪女まで枚挙にいとまがない。フランケンシュタインも原作では、化け物はじぶんを生み出したフランケンシュタイン博士に"伴侶をつくってくれ"と頼んだことが破滅の始まりだった。ほとんどの人にとって伴侶が必要なことは間違いないのだが、イライザという障害者にとっての伴侶が"生物"だったことは比喩として成立しづらいと言わざるを得ない。
さて、ライバルとなる良い映画があまりなかったのでアカデミー作品賞に輝いた「シェイプ・オブ・ウォーター」だが、イライザと生物は水を通して愛を確かめ合ったわけだから、このタイトルは The Shape of Love である。愛のカタチだ。決して良くない映画ではないが、少し紋切り型に過ぎることなどが気になった。分かりやすくてその方がいいのかもしれない。僕はこういう"階層の低い者"の話なら、デヴィッド・リンチ監督の1980年の映画「エレファント・マン」を推薦する。この映画についてはまたそのうち書こうと思う。