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世の中が変わろうとする時に / 「クレイマー、クレイマー」

僕が生まれて数ヶ月後にアメリカで公開され、アカデミー賞の作品賞を受賞した映画が「クレイマー、クレイマー」だ。離婚をテーマにした本作の原題は Kramer vs. Kramer であり「クレイマー対クレイマー」という意味である。なぜ読点にしたのか訳が分からない。ダスティン・ホフマン演じるテッド・クレイマーが妻のジョアナ(メリル・ストリープ)から離婚を切り出されて家を出ていかれ、息子のビリーの子育てをしながら仕事をすることになるーー、という家庭の問題を描いた作品であり、後半では法廷でビリーの親権を巡る争いも展開する。クレイマーさん同士が対決することになる離婚という出来事を Kramer vs. Kramer と裁判のように表現したことは上手い。
さて、ベトナム戦争が終わり、New Hollywood と呼ばれる映画の流行が1970年代後半には下火になり、1976年から作品賞は「ロッキー」、「アニー・ホール」、「ディア・ハンター」と、力強い勢いのある表現が毎年のように出てきた。そこから2年続けて「クレイマー、クレイマー」「普通の人々」と、離婚と家庭の問題をテーマにした映画が作品賞を受賞する。映画は現実を反映する。1980年といえば、第二次世界大戦の終戦から35年後のことである。つまり、アメリカで大戦中に子どもだった人たちと、ベビーブーマーと呼ばれる戦後生まれの世代の家庭が非常に不安定だったことを映し出している。特に戦後生まれの多くはヒッピーでもあった。男は仕事、妻は家庭というそれまでの価値観が通用しなくなっていた時代に、テッド・クレイマーという登場人物は多くの男の観客にとって特に違和感なく受け入れられただろう。それに対して、妻という立場に付帯していたことから逃げ出したジョアナも、同世代の女たちにとって他人事ではなかったはずだ。こうした映画を通して世の中の"当たり前"のおかしな部分について考えようという試みは、「ディア・ハンター」とも共通している。「ディア・ハンター」に出演した当時駆け出しの女優だったメリル・ストリープは「クレイマー、クレイマー」でダスティン・ホフマンの相手役に抜擢され、アカデミー賞の助演女優賞を受賞した。
たとえば、1980年に60歳だった人は、1920年(大正9年)生まれである。多くの男は戦争へ行っている。つまり、社会の上層部が"帰還兵"によって構成されていた時代だ。生死の狭間を覗いた人たちは、この世のおかしなところを指差しながら、純粋な愛情や忠誠といった価値観を大切にしていた。だからこの頃の映画はとてもレベルの高い作品が多い。今の日本で失われているものは「死ぬ訳じゃあるまいし」というノリである。
閑話休題。テッドが仕事と家庭の両立で苦労している様は今日でも通じるものだ。もう45年も前の映画になってしまったが、多くの人に薦めることのできるシンプルな構成の映画である。
ちなみにダスティン・ホフマンはメソッド演技法の俳優なので、本作の撮影においてメリル・ストリープを予告せずに本気で引っ叩いたそうだ。数年前、メリルはそのことについて苦情を漏らしていた。演技なのか素面なのか分からないくらい、この2人の関係は迫真である。そういえば最近はこういう演技を見かけなくなった。

おまけ アカデミー作品賞(1975-1980)
1975年「カッコーの巣の上で」

1976年「ロッキー」

1977年「アニー・ホール」

1978年「ディア・ハンター」

1979年「クレイマー、クレイマー」

1980年「普通の人々」


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