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韓国の問題を描く大捜査線 / 「殺人の追憶」

日本列島で「冬のソナタ」が大流行し、韓国のテレビドラマや映画が初めて人気になった2003年、韓国でポン・ジュノ監督の映画「殺人の追憶」が公開された。ヨン様ブームは"韓流"という単語を生み出し、「シュリ」や「JSA」など多くの韓国映画が日本で評価された時代だった。そのなかでも「殺人の追憶」は特に高い評価を受け、やがてポン・ジュノ監督は2019年の映画「パラサイト 半地下の家族」でアカデミー賞を席巻することになる。
「殺人の追憶」は「パラサイト 半地下の家族」なんかより遥かに良い映画だ。本作は1986年から数年の間に京畿道華城郡とその周辺で発生した連続猟奇殺人事件を題材にしている。犯罪映画なので暗い雰囲気になりそうなものだが、ポン・ジュノ監督はここにコメディの要素をくわえ、しかも韓国の世情を批判してみせた。こうしたジャンルをミックスする手法は、監督が撮りたいものをちゃんと把握していない限り、まとまりのない作品になってしまう。「殺人の追憶」において批判されていた"世の中"とは、現在まで続く韓国という国のあり方だった。
物語は1986年から始まる。全斗煥大統領による"圧政"の時代だ。田舎の村で次々と強姦および殺人事件が発生し、刑事パク(ソ・ガンホ)とチョの2人は証拠の捏造や容疑者の拷問をしつつ捜査していくのだが、やがてソウルからソ刑事もやってくる。パクとチョは近所に住む知的障害者のグァンホを容疑者として取り調べ、ソ刑事はラジオ局にリクエストを投稿している男を疑う。警察が何も出来ないまま、犯行は重ねられていき、事件は迷宮入りして時が過ぎるーー。
警察が杜撰な対応をしているシーンばかり映されるのだが、ポン・ジュノ監督は別に警察の無能を笑うために本作を撮ったわけではない。ここで描かれていることは、どの刑事も、どの登場人物も皆、どこか寂しく、孤独を抱えたまま笑顔を見せずに生きていることだ。全斗煥政権での民主化運動の徹底的な弾圧や、言論への抑圧といった、空からのしかかってくる権力がこの映画を満たしている。警察署には全斗煥の写真が飾られ、事件を必死に取材する記者たちがたくさん登場するものの、そのメディアは政権に対して提灯記事しか書くことができず無力だった。こうしたメディアと政治の関係は、韓国で共和国が変わるたびに、つまり憲法が新しくなるたびに発生してきた問題だった。
貧しい田舎の村に笑顔はなく、乾いた笑い声だけが響き、警察は市民を殴りつけ、記者たちは死体に群がっている。こうした韓国の姿を130分にわたって描いた。そしてこの映画で描かれたことは、全斗煥大統領の頃に限った話ではないし、今後はこういうことがあるべきではないというメッセージになっている。こうした映画を撮ったせいか、ポン・ジュノ監督は李明博や朴槿恵政権の時に"与党に批判的である"としてブラックリスト入りしていた。
「殺人の追憶」は誰もが傷ついたまま幕を閉じた。それもまた良かった。本作が韓国で公開されて大ヒットしていた2003年、日本では「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」が流行っていた。
余談になるが、本作のモデルとなった連続猟奇殺人事件は、すべての事件で公訴時効が成立したものの、2019年に別件で無期懲役に服している男の犯行だったと判明した。事件から約30年が経ち、韓国はオリンピックを開催したりして経済成長し、1人あたり名目GDPはとっくに日本を抜いている。ポン・ジュノ監督が批判したような社会ではなくなってきているだろう。日本人はいつになったら「踊る大捜査線」や「VIVANT」のような、公務員が頑張るストーリーを卒業するのだろうか。

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