変わらなければ何も前に進まない / 「告発」
ケヴィン・ベーコンはかつてインタビューで「ハリウッドの俳優はみんな、僕の共演者か、共演者の共演者だよ」と冗談を言っていたが、これはあながち言い過ぎでもないらしい。演技力と独特の雰囲気を武器に数多くの映画に出演し、そのなかには名作もたくさんある。
1995年にケヴィンが主演した映画「告発」は、悪名高いアルカトラズ連邦刑務所を閉鎖に追い込んだ実話をもとにした、ノンフィクション・フィクションだ。囚人ヘンリーとしてケヴィンが主演し、担当の弁護士をクリスチャン・スレーター、看守グレンをゲイリー・オールドマンが演じた。
話の発端は孤児のヘンリーが17歳のとき、妹の食べ物のために雑貨店で5ドルを盗んだことから始まる。ところが雑貨店がアメリカの郵便公社の窓口でもあったことから連邦犯罪になってしまい、ヘンリーはカンザス州の連邦刑務所からアルカトラズへ送られる。ここでヘンリーは他の囚人の裏切りによって脱獄に失敗し、看守グレンから過剰かつ異常な虐待を受け、the hole と呼ばれる独房に裸で放置され続ける。すっかり正気を失ったヘンリーは3年ほど後に一般の居室に戻ると、裏切った囚人をスプーンで殺害する。この裁判を担当することになった弁護士は、アルカトラズの異常な実態がヘンリーを犯行に至らせたと感じ、裁判でそのことを訴えて刑罰の制度を変えようとするのだったーー。
これが"ほぼ事実"だから、アメリカは強い国なのだ。合衆国憲法の修正だけでなく、司法制度や大企業の不正など、多くのことが変革している。日本列島の司法制度なんて世界中から三流だと笑われ、まともな国と同様にするよう勧告されているのだが、問題などない、と官僚たちが居直っている始末だし、そもそもほとんどの国民が日本の司法の問題に興味すらない。大企業や政治家の脱税などこれまでに多くの不正が明るみに出たが、そのうち何人が逮捕されたか数えてみればいい。
ヘンリーという囚人の様子とその話の内容から、アルカトラズの実態を問題視した弁護士はハーヴァードの法科を卒業したばかりの男だった。ある弁護士の訴えが司法を変えるなんて、日本列島では半永久に不可能だろう。公文書を改竄させられたと訴えた男が自殺しても、特に何も変わらないのだ。これは国家の体をなしていない。町内会だ。
アメリカの司法制度を問題視する映画は数多く撮られているが、これは名優たちが揃った良作である。ただ、邦題がいただけない。原題は Murder in the First だ。これは murder in the first degree (第一級殺人)という決まり文句から degree が抜けている。ここが degree ではなく place だと、in the first place というよく使われる言い回しになり、これは"まず"とか"そもそも"という意味である。
すなわち、この映画のタイトルは、そもそも殺人を犯しているのはアメリカの司法制度だろう、という批判になっている。
こうしたタイトルを「告発」と訳した者は表現に関わる仕事をするべきではないと思うのだが、そもそも、多くの人は向いていない仕事を日課のようにこなすだけだ。それゆえ多くの問題が発生してくるのだから、大切なことは、問題を取り上げることのできる環境と、それを変えることのできる制度だろう。つまり、アメリカが"自由"という名のもとに実現しようとしている風通しの良い社会に向けて、こうして映画や小説があれこれと問題を取り上げていくことは、きわめて健全である。言い換えると、アメリカという国は変わっていくことを前提にしているし、国民も変えるべきことが多いと思っているから、どんな制度でも変えることができるようになっている。戦後に、日本列島でいくつの制度が変わったか、考えてみればいい。つまり、ほとんどの国民は何も変える気がないからこそ、あらゆることが流れ作業、日課になり、あらゆる問題が放置されるということだ。
ちなみに、ケヴィン・ベーコンは本作の翌年に映画「スリーパーズ」で、本作とは逆の立場、すなわち少年たちを虐待する看守を演じた。
ハリウッドを代表する演技力のある俳優である。
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