スペインの中心で、愛をさけぶ / 「誰が為に鐘は鳴る」
僕の父親は映画の話になると「たがためにかねはなる、は良いぞォ」と言っていた。幼かった僕は奇妙な題名の映画だなと感じたものだが、後にこれがヘミングウェイの小説を原作にしたものだと知り、僕がヘミングウェイの文学に親しむきっかけとなった。父親は1943年の映画「誰が為に鐘は鳴る」に出演したイングリッド・バーグマンのファンだったらしく、ある日どこかでバーグマンの顔がプリントされた映画「カサブランカ」(1942年)のTシャツを買ってきて僕にくれた。僕はもちろんその女優が誰だか知らなかったものの、たまに街中で「お、イングリッド・バーグマンやないか!」と、おそらく映画ファンであろうオジさんに声をかけられることがあった。僕にとってバーグマンはそういう思い出のある女優だ。
今日11月25日は父親の三回忌に当たる。せっかくなので「誰が為に鐘は鳴る」(原題は For Whom the Bell Tolls)について書きたい。
テクニカラーによって彩色された本作は、スペイン内戦を舞台にした恋愛物語である。原作が出版された1940年は内戦が終結した翌年であり、読者の多くは迫り来る世界大戦の足音を聞いていた。Republicans (共和国派)と呼ばれる勢力が、後に独裁者となるフランシスコ・フランコ率いる Nationalists (ナショナリスト)と争ったスペインの内戦は、ソ連が支援する共和国派と、ファシズム国家であるドイツやイタリアが支援したフランコ派に国内が分断されるという典型的な代理戦争だった。原作者のヘミングウェイは記者として共和国派と行動をともにしていたため、この作品は恋愛ストーリーでありながら同時にルポのような側面もあった。
さて、本作はきわめてシンプルな構成である。劇中ではスペインらしくロベルトと呼ばれている主人公のアメリカ人、ロバート(ゲーリー・クーパー)が、フランコ派の使用している山中の橋を爆破しようと画策する間に、共和国派に協力している美しいマリア(イングリッド・バーグマン)に恋をする、という筋書きだ。
ロベルトは橋の爆破という決死の任務ゆえに、マリアに惚れてしまわないように努めている。マリアの方が遥かに積極的である。原作の小説とは恋の進展具合やマリアの過去がやや異なるものの、この映画においてロベルトは"受け身"である。洗練された男でありつつ、どこか恋の苦手そうなウブな姿が当時の男たちにウケたのだろう。一方、イングリッド・バーグマンは「カサブランカ」で見せたような長髪をバッサリと切り、ゲリラの女らしい風貌でロベルトに愛を囁く。
ほとんどのシーンがグアダラマ山脈の中であり、地味な映画と言えるのだが、劇中でジプシーと呼ばれているロマの登場人物たちが物語を動かす原動力になっている。これは現地に滞在していたヘミングウェイならではの観察眼だろう。
ちなみに、ゲリラたちの長であるパブロの妻ピラーを力強く演じていたのはカティーナ・パクシヌーといい、ヴィスコンティ監督の映画「若者のすべて」で兄弟たちの母親ロザリアを演じていた女優である。パクシヌーはピラーの役によってアカデミー助演女優賞を受賞した。
フランコ派の攻撃によって怪我を負ったロベルトはマリアと今生の別れをし、ゲリラたちを逃がした後、ルイス軽機関銃を抱えるようにして遠のく意識を何とか保ちながら、ラストシーンを迎える。こうした最期は散り際の美学にも似て、生き様として立派なものだから、誰の心にも残るものだ。
僕の父親はなんでもすぐに気に入る癖があったので、おそらく人生で初めて見た美人女優がイングリッド・バーグマンだったので、その名を連呼していたようにも思える。近所にできたチープなパスタ屋のボンゴレが気に入ると、他のメニューには目もくれず「ボンゴレ!」と言う男だった。こんなことを書いていると「アホ言え」といつもの口調で言ってきそうだ。
スウェーデン出身の女優といえば、グレタ・ガルボとイングリッド・バーグマンが有名だろう。最近では「DUNE/デューン 砂の惑星」で主人公ポールの母、レディ・ジェシカを演じていたレベッカ・ファーガソンが人気だ。いずれにしても鼻がぐっと高く、手羽先みたいな印象の顔付きである。サーモンみたいな顔と言ってもいい。
僕は「DUNE/デューン 砂の惑星」に出演した女優なら、イルラン姫を演じたイギリスの女優フローレンス・ピューが最近のお気に入りだ。製作費1億ドルの駄作こと「オッペンハイマー」にも出演していたし、今後が楽しみな女優である。
というわけで、僕がヘミングウェイの文学を好きになったのは、父親が「たがためにかねはなる」と連呼していたおかげである。
南無阿弥陀仏