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おすすめの映画は過小評価されている / 「イースタン・プロミス」
カナダのド変態ことデヴィッド・クローネンバーグ監督は、「スキャナーズ」や「ヴィデオドローム」「ザ・フライ」などで数寄者としての才能を発揮し、1996年の映画「クラッシュ」ではコッポラ監督を激怒させるという偉業も達成した男である。
ところが、クローネンバーグ監督はフェティッシュではない映画も撮っているし、そうした"ノーマル"な映画においても独特の映像センスがちゃんと発揮されている。2007年の映画「イースタン・プロミス」はヴィゴ・モーテンセン、ヴァンサン・カッセル、ナオミ・ワッツという俳優たちを揃えて撮った、非常によく出来た犯罪映画である。本作はふだん映画を観ない人たちにも薦めることのできる、いわゆる"面白い"物語だ。スティーヴン・ナイトによる脚本が良く、安易にプロットを書いてしまうと台無しになってしまうので、差し障りのない筋書きだけ書く。
ロシア系イギリス人の助産師アンナ(ナオミ・ワッツ)が、ある日のこと10代のタチアナという女の出産に立ち会うもタチアナは死んでしまう。遺品の日記のなかに、とあるロシア料理レストランのカードを見つけたアンナは、タチアナの親族を探すべくレストランを訪ねる。セミヨンというロシア人マフィアによって経営されているレストランにはセミヨンの息子キリル(ヴァンサン・カッセル)と、運転手のニコライ(ヴィゴ・モーテンセン)がいて、やがてアンナは狙われる立場になってしまうーー、というあらすじである。
ニコライやキリルが全身に入れている刺青のデザインは本物を模したものだ。撮影中にヴィゴがタトゥーを消さずにロシア料理店に入ったところ、店内があっという間に静まり返り、ヴィゴが慌てて映画の撮影中なんだと弁解したそうだ。
ヴァンサン・カッセルはアホな息子をうまく演じていたし、とにかくヴィゴの雰囲気は見事だった。クローネンバーグ監督はヴィゴを気に入って何作かの作品に出演させているほどだが、「イースタン・プロミス」という映画もヴィゴの佇まいあっての作品である。本作の演技でヴィゴはアカデミー賞の主演男優賞にノミネートされていたが、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のダニエル・デイ=ルイスが受賞した。デイ=ルイスは「マイ・レフト・フット」で一度もらっているのだから、この年は本作におけるヴィゴの演技を賞するべきだった。裸での格闘シーンなど、ヴィゴの魅力が存分に発揮されている映画である。
ちなみに、2018年の映画「グリーンブック」でもヴィゴは主演男優賞を逃している。「バイス」のクリスチャン・ベールと、ヴィゴを押しのけて受賞したのは「ボヘミアン・ラプソディ」のラミ・マレックだった。確かにラミ・マレックは良い俳優だが、実在の有名人を演じることよりも、トニー・リップとして演技したヴィゴの方が相応しいに決まっている。
さて、実はクローネンバーグ監督が映画の製作費が集まらないことを理由に引退しようとしていたとヴィゴがインタビューでバラしたことがある。きっとそう発言することで、少しでもクローネンバーグ監督の映画に資金を集めようとしたのだろう。デヴィッド・リンチ監督といい、アキ・カウリスマキ監督といい、とにかくアート調の映画が"大して儲からない"からといって敬遠されるようになっている。「ワイルド・スピード」やMARVELなどのような、アホでも分かるからアホに人気の映画ばかり制作され、映画界のIQが下がっている。邦画なんてもはや大人向けなのかどうかすら疑わしい。嘆かわしいことだが、しかしビジネスとはそういうものだ。ビジネスとして成功しにくいかもしれない作品は、これからAmazonやNetflixなどの傘下で制作されるようになるだろう。
クローネンバーグ監督は2012年にドン・デリーロの小説が原作の映画を監督していたが、こういうことをして資金を少しずつ貯めて、数年に一作のペースで相変わらずのド変態映画を制作している。
今年のカンヌ国際映画祭でクローネンバーグ監督の新作 The Shrouds が上映され、来年1月からフランスで公開されるそうだ。こういうド変態にはまだまだ現役でいてほしいものだ。