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語られたことの持つ力 / 「グリーンマイル」

We each owe a death - there are no exceptions - but, oh God, sometimes the Green Mile seems so long.
(ワシらはみんな死ぬんじゃ、例外は無しじゃ。でもな、ああ、たまにグリーンマイルがとても長く感じるんじゃ)

Paul Edgecomb

"感動する映画ランキング"の常連であるフランク・ダラボン監督の1994年の映画「ショーシャンクの空に」は、キリスト教あるいはイエス・キリストをモチーフにした作品であると以前に書いた。僕は本作を観ても感動なんてしなかった。アンディは脱獄できて良かったね、レッドと仲良くね、という程度だ。こういうストーリーのどこに感動するのか是非教えてほしいくらいだ。

さて、フランク・ダラボン監督はこの5年後に、やはりスティーヴン・キングの小説が原作の映画「グリーンマイル」を撮った。こちらの方がずっと物語として完成度が高い。問題は189分という長さなのだが、これはスティーヴン・キングの小説のように、ゆっくり楽しんでほしいという理由かもしれない。
さて、本作のストーリーの根幹は、ルイジアナ州の老人ホームでポールが60年以上も前の出来事を回想する、という点にある。この思い出のなかで、州知事夫人の甥であることを理由に威張り散らすパーシーや、言動のおかしいワイルド・ビル、"ミスター・ジングルス"と名付けられたネズミと仲の良いデル、そして巨漢の黒人ジョン・コーフィたちとの物語が語られる。
ジョンが発揮する不思議な能力は、奇跡や超自然という他にないし、スティーヴン・キングはこうした神秘をストーリーの中で扱うことが得意な作家だ。かといって、ジョンがあたかもキリストのように奇跡を起こし、そのジョンを刑死させたことでポールとミスター・ジングルスが長寿という罰を与えられている、という筋書きは、ポールの解釈に過ぎない。むしろ本作で観客に問われていることは、このような奇跡を起こすストーリーによってはじめて、あなた方は巨漢の黒人が無罪のまま裁かれることを酷いことだと感じたのではないですか、ということだ。アメリカでは現代に至るまで、とんでもない数の黒人やインディアンたちが無実の罪を着せられて処刑されてきた歴史がある。つまり、パーシーやワイルド・ビルという登場人物によって代表されるような、どこにでもいるような"白人らしい白人"たちに向かって、"あなたは巨大な体躯の黒人が無実のまま刑死することなんて気にもかけていなかったでしょう、ジョンが奇跡を起こすストーリーを観るまでは"と問いかけているのだ。それゆえ、ダラボン監督は意図的にジョンをキリストに模して撮影している。冒頭に掲げた写真もそうである。
つまり、キリストに似た登場人物ジョンが黒人であることによって"人種差別が描かれている"などと書いている数多のレビューは全て的外れである。なぜなら、こういうストーリーを観て人種差別について考えてみたらそれは悪いことだから反対です、という人たちに向けて問うている作品なのだ。人種差別なんて良くないことに決まっている。そうではなく、こういうストーリーを見ても見なくても、ジョンが奇跡を起こしても起こさなくても、歴史のなかで人類が繰り返し、現在も行っている数々の不正や差別などに目を向け、読者/観客の心のなかにある偏見について考えてみてほしい、ということがキングの主旨だ。だからわざわざ巨漢の黒人にしたのだ。劇中でジョンが指摘していたように、ひどいことは世の中にあふれているのに、しかしそれらの問題についてみんな綺麗事を言うばかりで放置してきたじゃないか、ということが突き付けられている。そのことは電気椅子による死刑によっても象徴されている。
さて、そんなジョンによる超自然の出来事を語るポールは、話し相手のエレインをミスター・ジングルスに会わせる。回想の物語が"真実"であることを読者/観客に証明するための仕掛けとしてネズミが登場するのだが、果たしてそのネズミは本当に1935年にコールド・マウンテン刑務所を歩き回っていたミスター・ジングルスなのかどうか、ポールにしか分からない。1935年の出来事を知る者はすでにこの世にいない。これはあらゆる宗教の起源である。つまり、ポールの話が仮に本当であったとしても、老人の作り話であったとしても、ジョンという黒人が奇跡を起こしたという物語から聞き手が何かを得たとすれば、その時にはもう物語の真偽なんてどうでもいいことではないですか、ということだ。このテーマはアン・リー監督が2012年の映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」において、より突き詰めて撮っていた。スティーヴン・キングの小説は、常に宗教あるいは現実を超越するものについて言及するような構造になっている。

すなわち、物語とはそれが聞き手にどれだけの影響を与えたか、ということが大切なのだ。スティーヴン・キングの小説は、テレキネシスであったり、シャイニングであったり、訳の分からない霧であったり、およそ真実とは思えない超自然なものが登場するものの、その突拍子も無い物語から読者/観客が多くのメッセージを受け取ってきたからこそ、キングは今日まで大流行作家として活躍してきた。僕がいつも書いている"映画は映画だ"ということと同じである。映画のストーリーの真偽とか、現実との違いなんていう瑣末なことを気にしている限り、物語から力を受け取っていない証拠である。だから、カメラがどうの時系列がどうの、そんなことばかりのクリストファー・ノーラン監督の作品がくだらないのだ。物語に力がないどころか、物語として成立しているとは言い難い映画ばかりである。
さて、本作に主演したトム・ハンクスはハリウッドを代表する名優であり、数多くの映画に出演してきたが、「グリーンマイル」はそのなかでも特にトムの魅力が発揮された作品だろう。お人好しで、生真面目な白人の男というイメージを確立している。それゆえに悪役はほとんど演じたことがないと思うが、トムのように生来の性格を"雰囲気"として帯びている俳優は決して多くない。演技力とはまた別の魅力である。なお、ジョンを演じた196cmのマイケル・クラーク・ダンカンは惜しくも心臓発作によって亡くなっている。
映画の最後に、老いたポールは冒頭で引用した台詞を言う。ポールが本当は何歳なのか、それは分からないままだが、the Green Mile はポールの寿命を指すと同時に、この the Green Mile と名付けられた物語そのものも指しているだろう。つまり、"この話、ちょっと長すぎたかな"というシャレにもなっている。
たしかに189分の超大作だが、「オッペンハイマー」の180分より遥かにたくさんのことを観客に伝えようとしている20世紀の名作である。

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