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記憶は永遠の輝き / 「エターナル・サンシャイン」

人にとって記憶とは何か、ということを正面から表現しようとしたフィリップ・K・ディックは1966年に「追憶売ります」という小説を書き、この作品は1990年と2012年に「トータル・リコール」として映画化されている。ただ、記憶を扱うのでどうしてもプロットが複雑になるし、舞台が近未来ゆえにSFというジャンルに放り込まれてしまう。もっと身近にラブコメディとして「トータル・リコール」のように記憶をテーマにした映画を撮ったらどうなるか、そんな作品が2004年の映画「エターナル・サンシャイン」だ。
ただし、この映画もやはりプロットは一直線ではない。主人公ジョエル(ジム・キャリー)が目覚め、駅で突然思い立ったようにモントーク(ロングアイランドの東端)行きの列車に乗るシーンから始まる。現地でクレメンタイン(ケイト・ウィンスレット)という女と出会い、仲良くなって、どうやら別れたらしいところでようやくオープニングクレジットが表示される。クレメンタインはジョエルとの関係を続けることに自信が持てず、ジョエルとの記憶をラクーナ社に削除してもらったことが明かされる。傷付いたジョエルはラクーナ社を訪れ、クレメンタインとの思い出を消してもらうよう依頼するのだが、記憶を除去する過程でジョエルはクレメンタインに"消えて"ほしくないと決意し、あの手この手でクレメンタインを記憶のなかに残そうとする。そして、映画の冒頭に戻る。その後、互いに過ちに気付いた2人は交際を続けようと確かめ合うーー。
本作は「トータル・リコール」の逆、すなわち記憶を消去するという技術を用いてストーリーを展開しているが、これは人が何かを"忘れる"ということを描いている。忘れるということは、誰かに指摘してもらうまで本人は忘れたことを知らない。つまり、消去した相手に"初めて"出会うことになる。これは決してSFではなく、我々が普段体験するようなことだ。
このように、映画や小説で使われている奇妙な仕掛けは、だいたい何かのたとえ話になっている。こんなのありえなーい、という感想を持つことが多い方は映画や小説に向いていないので、YouTubeでも眺めていればいい。
消えていく記憶のなかで右往左往するジョエルとクレメンタインのシーンが映画の大半を占めている。ドタバタ喜劇のように楽しめる映画だ。思い出の消去から必死に逃げ回った結果、ジョエルはクレメンタインから告げられたモントークという地名だけが頭に残っていて、それが映画の冒頭のシーンに当たる。映画の開始から数十分も経ってからようやくオープニングクレジットが流れた理由は、それまでのシーンが消去の後に起きたことだからだ。
大切な誰かの記憶が完全に消えてしまうということは、その人の人生にとって死を意味することではないか、という問いが提示されている。ジョエルとクレメンタインは"やり直した"人生においても喧嘩をし、また別れそうになるものの、それでも自分が必要としている相手を"受け入れる"ことの大切さに気付く。このことは、ハワード博士(トム・ウィルキンソン)に惚れてキスをした受付嬢メアリー(キルスティン・ダンスト)が、実は以前に博士と不倫をしていてその記憶を消去したことを告げられ、愕然として辞職するシーンによって表現されている。惚れる相手はそう変わるものではない、ということでもある。
ちなみに、この映画の監督はポップ音楽などのPVで名を揚げた人なので、全篇にわたってスタイリッシュに撮影されている。脇を固める俳優もトム・ウィルキンソン、マーク・ラファロ、キルスティン・ダンスト、イライジャ・ウッドと豪勢だ。107分という長さもちょうどいい。人は記憶によって形作られている、ということを再認識する映画だ。大切な思い出こそが eternal sunshine というわけである。
多くの作家や批評家に絶賛された本作にはファンが多く、アリアナ・グランデは今年発売したアルバムのタイトルを Eternal Sunshine とした。「トータル・リコール」とほぼ同じテーマの作品なのだが、見せ方によって印象が大きく変わってしまうという好例だ。

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