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ロアルド・ダールと第nの壁

ウェス・アンダーソンは好きな映画監督の一人だ。「グランド・ブダペスト・ホテル」や「犬ヶ島」など、他では見ることのできない独特の風味を映像に加えて、フィクションの楽しさを観客に伝えている。去年からNetflixで配信されているアンダーソン監督の最新作「ヘンリー・シュガーのワンダフルな物語」は、2009年の「ファンタスティック Mr.FOX」に続いて二度目となるロアルド・ダールの小説の映画化である。映画、といっても本作は39分しかない。この作品は前回のアカデミー短編映画賞を受賞した。また、アンダーソン監督はこの他にダールの小説から「白鳥」「ねずみ捕りの男」「毒」の3作を映像にしており、Netflixでまとめてダウンロードできる。レイフ・ファインズ、ベネディクト・カンバーバッチ、ベン・キングズレーなどのイギリスを代表する名優たちが共演している。おすすめの短編映画集である。
さて、アンダーソン監督は前作の「アステロイド・シティ」において”第四の壁”を破る演出をした。第四の壁(fourth wall)とは要するに観客と演者の間にあると仮定された見えない壁のことである。狂言回しではなく演者がこの壁を排して客に語りかける手法は、たとえば「カンタベリー物語」や「ドン・キホーテ」にも見られるが、実は20世紀になってから流行りだした。映画なら「アニー・ホール」や「デッドプール」を思い出せば良いだろう。今作「ヘンリーシュガーのワンダフルな物語」では冒頭から登場人物が思い切り語りかけてきて面食らうのだが、これがダールの小説の持つ雰囲気を上手く伝えることに成功している。この手法でなければならなかったと鑑賞した後で納得できる快作だ。
今しがた書いたことだが、ロアルド・ダールの小説の持つ”雰囲気”とは何だろう。どこか別の惑星の出来事であるかのように感じさせる違和感であったり、人物をデフォルメして奇異に見せる手法などが江戸川乱歩をして「奇妙な味」と言わしめたわけだが、どこの国の作家が「奇妙」などという言い回しで小説を評するのか。
僕が思うに、ダールの小説の多くに漂う煙の正体は、鮮やかな狂気である。
映画「チャーリーとチョコレート工場」でもその一端を垣間見ることができるが、ダールにとって人間とは”狂った者同士がかろうじて相互に理解しようと努めている”のだ。ジョーカーのような振る舞いもなければ猟奇殺人もないが、それぞれの登場人物たちが好き勝手に各自の正義に従って行動している。ダールはそのことをわざと目立つように描写するので、”既定路線”を期待していた読者たちは読み終えた時に置いていかれたような感覚をおぼえるわけである。
つまり、ダールの小説の登場人物たちの間に、見えない第nの壁があるのだ。ウェス・アンダーソンや宮崎駿など、ダールのファンたちはこの狂気の有様が好きなのだろう。たくさんの寓話を残したダールは、それが児童向けであれ大人向けであれ、登場人物たちに鮮やかな狂気を潜ませ、読者が自らの内にそれを見出すことができるよう仕向けているのである。

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