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ちょっと座礁しました / 「2001年宇宙の旅」

映画は大きく分けて、映像と、音楽と、物語という3つの要素によって成り立っている。このうち、映像と音楽の組み合わせで全世界を圧倒した作品が、スタンリー・キューブリック監督による1968年の映画「2001年宇宙の旅」(原題は 2001: A Space Odyssey)である。
おそらく、宇宙を扱う全ての映画とアニメは本作の影響を受けているだろう。キューブリックとアーサー・C・クラークという2人の賢い男が相談しながら制作したこの映画は、その正確な近未来の予測により、21世紀に鑑賞しても違和感を全く覚えないほど、劇中に登場したほとんどの技術が実現されている。
ただし、物語としては退屈きわまりない。"SFの不朽の名作"などと言われているが、そうした評価は1982年の映画「ブレードランナー」の方が相応しいだろう。「2001年宇宙の旅」は、キューブリック監督の前作に当たる「ストレンジラブ博士」の逆方向を思い切り進んだ作品だ。すなわち、セリフを極力減らし、映像と音楽の組み合わせによって、観客にテーマを伝えようとした映画である。
そのテーマとはおそらく、人類が新たに生まれ変わる、ということだ。
モノリスという黒い板のようなものによって猿人は知恵を身につけ、月にまで到達するほどの進歩を遂げる。つまり、モノリスとは知恵のことだ。その知恵によって木星へ旅立つものの、HAL9000というコンピュータによって人間が排除されそうになる。後にボウマン船長は、コンピュータの核となる部分が機能しなくなるよう作業していたが、このシーンは人間がコンピュータと戦うことを表現しているのではなく、HAL9000が脳の比喩だと受け取った方がしっくりくる。どんなコンピュータよりも複雑な演算を行っている脳の方がHAL9000より精密なものであり、その機能をどんどん停止させていけば、HAL9000のようにバカになっていき、やがて停止してしまう。知恵とは脳に宿るのだから、このシーンは脳の可能性に言及しているはずである。言い換えれば、出来の悪いHAL9000のような脳を持った人たちによって、多くの人類に害が及んでいる様を撮ったと解釈してもいい。
そしてラストシーンは、まさに"超人"の表現だろう。人が人を超えていく、そうしたキッカケをモノリスという名の"知恵"が与えるという、哲学じみた話だ。
とにかく映像と音楽のセットが圧倒的である。そして物語としては全く不出来な代物だ。SFというより夢に近い。
クリストファー・ノーラン監督は物語をきちんと展開する「2001年宇宙の旅」を撮ろうとして、「インターステラー」という、よく分からない話を撮った。

後世に多大な影響を与えた「2001年宇宙の旅」だが、退屈であるということは間違いない。これはキューブリック監督とクラークという2人の船頭によって、やや座礁気味に完成した映画と言えるだろう。

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