暑い国から帰ったスパイ / 「グッド・シェパード」
スパイ映画といえばイギリスの十八番だが、アメリカにも優れた作品がある。ただ、よく出来たスパイ映画とはすなわち実際の世界に近付いたものになるため、どうしても事前知識が必要になり、物語を楽しむことのできる客が少なくなってしまう。俳優として名高いロバート・デ・ニーロが監督を務めた2006年の映画「グッド・シェパード」は、マット・デイモンを主演に迎え、アンジェリーナ・ジョリーやエディ・レッドメイン、アレック・ボールドウィンなど著名なスターが参加したアメリカのスパイ映画の力作であるがゆえに、なかなか良い評価を得ることができていない惜しい作品だ。
この映画は、中央情報局(CIA)がどのように設立されたか、その経緯をほぼ史実に則って構成したノンフィクション・フィクションである。物語は1961年4月に発生したピッグス湾事件が失敗に終わったところから始まる。主人公のCIA職員ウィルソン(マット・デイモン)が、自らの部署に敵のスパイが潜んでいるのではないかと疑い始めたところ、自宅で不可解なテープを発見するーー。
映画はここからウィルソンの学生時代まで遡り、戦略情報局(OSS)も含めてアメリカの防諜(counterintelligence)の組織が構築されていく過程をウィルソンの人生とともに展開していく。アメリカ第一主義委員会(AFC)や、戦後のソ連のスパイとの対立、キューバのカストロ議長の件など、アメリカの現代史について大まかな知識がないとワケワカメになってしまう。それぞれの登場人物にモデルが存在し、どうしても説明がちな、退屈な筋書きになりそうな題材であるが、優れた脚本家であるエリック・ロスはこれをうまくウィルソンの物語としてまとめている。もっとも、大雑把な知識すら無いような人たちは「ワイルド・スピード」でも観ていることだろう。
マット・デイモンの演技も、ウィルソンという人物をあたかも個性がないかのような、無味乾燥な男として見せている。そのことで「グッド・シェパード」という映画の伝えたいことがよりハッキリと浮かび上がってくる。
つまり、冒頭に掲げたセリフをサリヴァン将軍(ロバート・デ・ニーロ)に言わせたように、名もなき公務員、しかもごく一部の者たちが強大な権力を持ってしまうと、それはCIAの本分を逸脱して、アメリカの国民(羊たち)にとっての"善き羊飼い"(good shepherd)になるどころか、もっとも民主主義からかけ離れた事態を導くのではないか、というメッセージである。だから本作では何度も、似たようなスーツと帽子の格好をした男たちが通勤する様子を撮っていた。こうした一部の名もなき公務員たちが権力を握る弊害をデ・ニーロは撮りたかったのだ。そしてこのテーマは今日でもエドワード・スノーデンの件をはじめ現役である。
スパイを扱った映画のなかでも特に出来の良い作品であり、もっと評価されるべき作品だ。スパイが活躍するだけなら「ボーン・アイデンティティー」シリーズや「ミッション・インポッシブル」など数多くあるが、そうしたスパイを運用する国家の権力が、監視下に置かれないまま一部の公務員たちによって運用されていることを問題視しているのだ。つまり、善き羊飼いどころか、まるでナチスと同じではないのか、ということである。このことは日本を含め、どこの国でも共通する問題だ。