心は取り出すことができない / 「ロスト・イン・トランスレーション」
人は胸のうちにあるものを表現するとき、言葉だけでなく、目線や仕草、相手との距離など、本人も気づかぬうちに、いろんなものに変換(transform)して伝えようとしているものだ。しかし、たとえば相手の言葉が分からない場合、それを翻訳(translate)する必要がある。映画の字幕なんて、ほとんど誤訳と言っていい代物だ。こうした、翻訳する過程で失われてしまうもの(lost in translation)ということを"たとえ話"にして、人の胸の内がどこまで表に出てくるのか、心中というものを正確に翻訳して表現することは不可能だろう、というテーマの映画が2003年の「ロスト・イン・トランスレーション」である。
初老のハリウッド俳優ボブ・ハリス(ビル・マーレイ)が、若い人妻シャーロット(スカーレット・ヨハンソン)と出逢い、互いに胸の内をどのように明かしていくか、ということが主眼になっている。渋谷や新宿の喧騒のなかでボブとシャーロットが孤独を感じて云々、なんてことは本作の表面に過ぎない。言葉が通じないことによる不安や居場所の無さのような感覚よりも、自分の心の中にあるものをうまく表現できないもどかしさの方がテーマなのだ。ボブもシャーロットも、互いに配偶者との関係がうまくいっていないように感じつつ、そのことをどう伝えるべきなのか、あるいは伝える必要があるのか、ということも含めて悩んでいる。
新宿のパークハイアットに滞在している時だけ日本語の問題から逃れることができるものの、シャーロットは同じアメリカ人のケリーという女にも心の距離を感じてしまう。ボブと距離を縮めたいと思っているものの、互いに結婚しているわけだから、ほとんどの感情は lost in translation してしまう。
劇中でボブが、女は子どもを産むと変わってしまう、と語っていたが、これはオスから見たメスの本性だ。メスは子を産めば、子が最優先になる。オスはいつでもメスを我が物にしたいのだから、子ができた時点でそのメスに浮気されているようなものなのだ。そしてメスの話題の大半は、巣作り(家庭のなかの問題)と子のことになる。オスはそんなことに実はあまり興味がない。これはあくまでも一般論だが、しかし否定することのできない、オスとメスの性差に由来する lost in translation が存在する。
ボブとシャーロットは映画の最後に、新宿の西口で抱き合い、ボブがシャーロットに耳元で何かを囁く。この内容を明かさない演出にしたことはソフィア・コッポラ監督の良手である。ボブが何を言ったのか公開しても、多くの観客はきっと、どうしてシャーロットにその言葉を告げたのか分からない(lost in translation)、という感想を言うだろう。つまり、人はみんな自分勝手に相手の表情や言葉を受け取っているということを本作で描いてきたのだから、最後にボブが何を言ったのか想像してごらん、そうすれば、自分が好きな人にこの状況で何を言うのかという、心の内と向き合うことができるよ、というソフィア・コッポラ監督からのプレゼントである。