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生きる in 戦国時代 / 「七人の侍」

世界中の映画に最も影響を与えた日本の映画といえば、間違いなく黒澤明監督の1954年の映画「七人の侍」だ。もう70年前の作品である。
この作品は、黒澤明監督によるネオレアリズモのような映画だ。とにかくリアルであることにこだわったような撮影方法といい、登場人物の造形、殺陣の所作など、誰も見たことがないのに戦国時代を"再現した"と言いたくなるような出来映えである。村人たちは貧しく卑屈だし、斬っては刀を取り替えることや、薙ぐより突きが多いことなど、黒澤監督の"ホンモノ"を撮りたいという欲が現れている。
1950年の映画「羅生門」では、人の語ることは全て架空といえるのではないか、という芥川龍之介の原作に近付けて撮影されていたし、1952年の映画「生きる」では主人公の渡邊勘治(志村喬)の人生を通して、世の中が人間らしさを失っているのではないかということを観客に問うた。

そして「七人の侍」によって、一転して物語の展開によって観客を引っ張りながら、やはり「生きる」と同じく、それぞれの登場人物が"人間らしく"生きる姿を描いた。ある者は冷笑し、ある者は信じ、ある者は義理がたく、などのように、その生き様がよく見えるように配置された男が菊千代(三船敏郎)である。これらの者たちを束ねる島田勘兵衛(志村喬)の姿は、あたかも本作が「生きる in 戦国時代」であるかのように感じさせる。
西部劇の手法も取り入れつつ、初老という設定の志村喬が敵に切り込んでいく様子は、銃を撃つよりももっと観客の心をつかむものだということを世界中の表現者たちは目の当たりにした。策略や射撃ではなく、敵の懐に飛び込むことが勘兵衛の生き様であり、それを海外の人たちは samurai の姿だと感じた訳である。もっとも、勘兵衛たちのような者は浪人であり、侍の大半は今日のサラリーマンか公務員のような生活をしていたのだが、samurai という単語によって、海外の人たちは日本人の"捨て身"の精神に感心したのだ。神風(kamikaze)を知って驚愕した後のことだから、余計に日本人という民が己を犠牲にする生き方をしているように誤解されたとも言える。
黒澤明監督の多くの映画は、人間がどこまでも人間らしく生きていく姿を躍動感とともに撮っている。溝口健二監督や小津安二郎監督はもっと静かである。今日のハリウッドで喩えるなら、黒澤明監督はマーティン・スコセッシ監督に似ている。ちなみに、スコセッシ監督は黒澤明監督から多大な影響を受けていることを公言している。
こうした優れた監督たちが日本にもいたのだから、テレビはこれらの作品をどんどん放映すればいい。スタジオジブリだのアニメだの、いつまでも子どもと同じようなものを大人が観ているのだから、もう"大人"が楽しめる映画は我が国から無くなったということだろう。

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