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PTAの良いコメディ / 「パンチドランク・ラブ」
ここ最近の僕の記事を読んだ方は、なぜハリウッドの映画が"エンターテイメント"と呼ばれているかお分かりだろう。いろんな民族が集まっている国なので、映画や小説を作ろうとすると"みんなが共有していること"がほとんど見当たらないため、どんな肌の色の人でも分かるようにしなければヒットしないからだ。
さて、ハリウッドのPTAことポール・トーマス・アンダーソン監督は、試行錯誤しつつ少しでも面白くて心に残る映画を作ろうと頑張っている。才能ある監督なのでほとんどの作品で脚本も自ら手がけている。2002年の映画「パンチドランク・ラブ」は、コメディアンのアダム・サンドラーを主演に迎えて撮った一風変わったラブコメディだ。
主人公のバリー(アダム・サンドラー)は、トイレで使うスッポン(英語では plunger)を売る会社を町はずれのガレージで経営している。多くの姉に囲まれて育ったせいか女に対して不信感が先行し、些細なことで怒り出し、社交不安(social anxiety)を抱えているように見える男だ。そんなバリーの唯一のと言っていい楽しみは、ヘルシー・チョイス社のプリンに付いてくるマイレージを貯めること。
コメディらしく戯画化されているものの、どこの国でもいそうな男である。今や多くの人たち、特にアメリカ人は精神に問題を抱えた人が少なくないし、毎日の生活のなかで楽しいひとときを持たない人も多いだろう。バリーはプリンを買い占めるという"趣味"があるだけマシなのかもしれない。
このバリーが偶然出会ったリナ(エミリー・ワトソン)という女に恋をするものの、なかなか事はうまく運ばず、おまけにテレフォンセックスに電話をかけて余計なトラブルになりーー、という、うまくいかない主人公の人生を上手に撮っている。95分の映画はハッピーエンドで終わるのだが、観客はバリーの純粋なところを応援したくなるのだろう。
PTAは本作の3年前に「マグノリア」を撮っていて、こちらも良い映画ではあるものの188分という長さと登場人物の多さにウンザリする観客もいたに違いないが、「パンチドランク・ラブ」は一転して短く、必要最小限の人物だけで物語を展開している。「マグノリア」がアメリカンコーヒーだとすれば「パンチドランク・ラブ」はエスプレッソだ。どちらにしてもPTAは登場人物の魅力を引き出すような脚本を書くことが上手い。人間をよく観察できている証拠である。
ちなみに、本作はとても良い出来であるにもかかわらず、興行収入が振るわず制作費を回収することもできなかった。バリーのような主人公の映画より、アメリカの観客は「ボーン・アイデンティティー」とか「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」の方が好きだったらしい。しかし映画監督や俳優からは絶賛され、ダニエル・デイ・ルイスは「パンチドランク・ラブ」を観て気に入ったことで、PTAの次回作「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」に主演することを決めたという。
おすすめの映画を訊かれた時に、すぐに推薦できる作品だ。
なお、蛇足になるが、ヘルシー・チョイス社のプリンで大量のマイレージを獲得するというエピソードは、実在の人物に基づいている。映画のようなことをしている面白い人も世の中にはたまにいるのだ。