オレたち白人だぜ / 「グレムリン」
知名度の高いSF映画のひとつに1984年の映画「グレムリン」がある。可愛らしいギズモの見た目と、凶悪になるグレムリンたちの姿が面白く、よく覚えている方も多いと思う。
実は、このグレムリンという存在は、もともとイギリス空軍のパイロットたちの間で話題になっていた空想上の化け物だった。エンジンが突然おかしくなったり、計器が乱れたり、ガソリンがどこかへ消えてしまったりと、機械を扱う者なら誰しも経験するであろうトラブルの原因について、パイロットたちはグレムリンという化け物の仕業だと考えていた。この逸話をイギリス空軍のパイロット出身である天才作家ロアルド・ダールが小噺としてアメリカに紹介し、イタズラ好きの化け物として有名になったらしい。
ところが、この映画の主旨は"イタズラ好きの化け物が暴れてテンヤワンヤ"ということではない。もちろん子どもたちが楽しめるよう、そういう話として撮られているし、僕も子どもの頃に観た時は「ギズモを飼いたい」なんて感想しか出てこなかったわけだが、クリス・コロンバスの書いた脚本はもっと深いところを目指している。
中華街のあやしい店、老婆など、それまでの映画にありがちなアイテムをたくさん使ってパロディとしつつ、そのあやしい店から購入した化け物がモグワイという名で呼ばれている。これは広東語の「魔怪」である。そして、日光に当てない、水をかけない、真夜中に食べさせないという条件も、白雪姫をはじめとしたお伽話のパロディだ。
しかしギズモ自身が"あちゃ〜"という顔をしていたように、禁忌を破って現れたグレムリンたちは、食べまくり、壊しまくり、周囲に迷惑をかけ続ける。この姿は要するにキリスト教の七つの大罪のことであろう。
つまり、おとなしく優しいギズモから現れた種族グレムリンとは、白人のことだ。実際に、映画のラストシーンでギズモは中華街へ帰っていく。中華街はキリスト教文化圏ではない。この話は、キリスト教すなわち白人の暴力的な側面を批判している。それがまさしく魔にして怪であるということだ。日に当たると死んでしまうという設定も、キリスト教の教えが光に喩えられることを考えれば味わい深い。
子どもたちも楽しめる映画でありながら、実は深いところを突いている、そんな映画であり、SFとはこうあるべきという模範のようなエンターテイメントだ。
(蛇足)
ここ最近、私事で忙しくしているため普段のように「1日に1~2回投稿する」ことができなくなっています。またぼちぼちとペースを戻していきます。