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男が抱えている恐れ / 「ガープの世界」

もともと多くの映画は、有名な文学作品を下敷きにして撮られていた。やがて文学よりもノンフィクションが充実してくると、アメリカの映画スタジオはこぞってギャング映画や大企業の不正、政治問題をテーマにした作品を制作し始めた。もちろんビジネスとしての映画が主流となってからも、ハリウッドでは優れた文学を映像にしている。"名作"という評価を得ることができれば、立派なビジネスになるからだ。「明日に向って撃て!」と「スティング」という、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードのコンビの作品で有名なジョージ・ロイ・ヒル監督は、飛ぶ鳥を落とす勢いだったコメディアンのロビン・ウィリアムズを主演に迎え、1982年に「ガープの世界」を撮った。これは1978年に出版されて大ベストセラーとなり、全米図書賞も受賞したジョン・アーヴィングの同名の小説が原作である。
ガープよりも主人公らしいと言える母親のジェニー(グレン・クローズ)は、子は欲しいが夫はいらないという女だ。当時のアメリカに出現していた、女の新たな生き方を体現する登場人物である。息子のガープを懸命に育てる看護婦であり、同時に女という抑圧された性を解放すべく、自らの主張を著作にしようとタイプライターと向き合っている。ガープはそんな母から文才を遺伝したものの、母ジェニーが嫌悪していたセックスにも大いなる興味を抱きつつ成長する。
キリスト教では女は"夫に従う"のだから、世の中がどんどん商品で膨れ上がるほどそうした価値が転換されていくことは必然である。戦後の思想を席巻したマルクス主義の波に乗ってフェミニズムという流行が現れたことも自然なことだと思うが、こうした概念はそれ自体が武器となって、周りの文化や価値を攻撃し始めてしまうという、本来の目的から逸脱した流れをバカたちがつくりだすので、僕はフェミニズムという言葉も運動も嫌いである。女は夫に従うものだという押し付けは相手の自由を侵害するからやめようね、という議論をすれば済むのだ。
劇中でも、男という生き物をまるで拒否するような態度の母親ジェニーと対比させて、ガープの妻ヘレンは生徒と不倫の関係になる。ここで描かれているのは、男の能力に対する不安である。ガープは妻ヘレンを愛しているものの、しかしヘレンは他人の肉体を求めている。勃起への不安、あるいはセックスによって相手を不満にさせていないかという、男が持つ根源の恐れだ。もちろん文学作品なので、赤裸々に表現されるわけではない。ガープの運転するクルマが追突したことによって不倫相手の生徒が"使用不可能"となるエピソードによって示唆されている。
このように、男と女では性別によって抱えている"恐れ"が異なる。だからロバータ(ジョン・リスゴー)という性転換をした人物を登場させることで、男女の差がより鮮明に見えるような物語になっている。つまり、ロバータは男であることをやめたことで、何を失い、何を得たのか、ということだ。しかし同時に、そのロバータこそが、相手の性別を問わず、"人を愛する"という、あらゆる宗教の根本を体現していた。ジェニーは男を愛することができなかった。ヘレンの愛とはエゴだった。ガープは女を愛そうとしたものの、世の中はそんなに美しくできていないということを136分で伝える内容になっている。影の主役とも言えるロバータを演じたジョン・リスゴーの演技は見事だった。アメリカという国に広がる暴力を描き出した良い映画である。
ジョン・アーヴィング原作の映画では1985年の映画「サイダー・ハウス・ルール」も出来が良い。若い映画ファンたちは「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」だの「デッドプール&ウルヴァリン」だの、そういう"おバカ"なビジネスだけでなく、ぜひジョン・アーヴィング原作の映画も観てほしい。
なお、ロビン・ウィリアムズの天才ぶりは「ロビン・ウィリアムズ 笑顔の裏側」というドキュメンタリーで垣間見ることができる。U-NEXTで公開されているのでオススメである。

蛇足になるが、ほぼ毎日こうして40分ほどかけて書いていると、おそらくほとんどの人はどうしてそんなことが可能なのかと思うのだろう。ガープの父のことは分からないものの、その文才はおそらく母親ジェニーからの遺伝であることが示唆されていた。「ひょっとすると俺は文章を書くことがめちゃくちゃ得意なのかもしれない」と気付いた20歳の頃、僕は両親に近縁で物書きはいないかと訊ねたことがある。僕の曾祖父は"俳句の達人"として県下で有名だったそうだ。やはり、ただの遺伝である。

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