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陪審員の気分 / 「ゴーン・ベイビー・ゴーン」

数多くの女優と浮き名を流し、別れたはずのジェニファー・ロペスとまた付き合ったり別れたり、アルコール中毒がなかなか治らなかったり、先祖に奴隷所有者がいることを隠してくれとテレビ番組に圧力をかけたことがバレたり、ハリウッドきっての"ダメ男"といえばベン・アフレックである。本人のダメっぷりがスクリーンを通して伝わってしまうところが映画の怖いところで、ベンの出演している映画はどれでも、本人の名前を題名に入れた方がしっくりくる。
「ベン・アフレックとアルマゲドン」「ベン・アフレックとパール・ハーバー」「ベン・アフレックとゴーン・ガール」
しかしそんなベンも、監督としては一生懸命なのか、初の監督作品「ゴーン・ベイビー・ゴーン」は良い出来だったし、「アルゴ」でCIAをヨイショしたのでアカデミー作品賞を受賞した。愛すべきベンを取り上げない訳にも行くまい。
「ゴーン・ベイビー・ゴーン」はデニス・ルヘインの小説が原作なので、筋書きがしっかりしている。ルヘインの作品に基づく映画は他にも「ミスティック・リバー」「シャッター アイランド」「クライム・ヒート」などがある。ベンの監督作品「夜に生きる」もルヘイン原作である。ボストン出身のルヘインは多くの作品でボストンを舞台にしているので、きっと同郷のベンは愛読者なのだろう。
さて、本作は"私立探偵のパトリックとアンジー"シリーズの一作だ。パトリック役にベンの弟ケイシー・アフレック、そしてアンジーはミシェル・モナハンが演じた。配役に派手さはなく、それがストーリーを際立たせたと思う。
とてもじゃないが母親に適しているとは言い難い女の4才の娘が誘拐され、その捜査にパトリックとアンジーは関わるのだが、やがてドイル警部(モーガン・フリーマン)が事件に関与しているのではないかと疑いはじめーー、という、平たく言えば、法律という大きな網と、個人的な諸事情の相剋の物語である。
いくら親がクズでも子はその親のもとにいるべきなのか、あるいは、その子を養子として幸せに育てたいので家に連れ帰ってもOKなのかということだ。こうした問題は法律で十把一絡げに扱える訳がない。どちらの結末を選択したとしても、必ず非難の声があがる問題だ。そうでなければ、裁判所などいらないことになる。パトリックの決断は小説や映画として当然の方を選択していたが、それはあくまでも物語を"終わらせる"ための措置であって、読者や観客の中に"ドイル警部は起訴されるだろうけど無罪であってほしい"と願う人は少なくないだろう。本作は刑事事件を扱っているものの、犯行そのものではなく経緯や動機を詳細に追いかけていく地味な構成になっているので、観客はエンドクレジットが表示された時に、まるで陪審員のような気分になる。
カーチェイスも大爆発も無く、かといって恋愛でもない映画はハードルが高くなるのだが、奇を衒わず淡々と撮影したことが画面からよく伝わってきて、ベンやるじゃん、という一本である。初めて監督する作品にこれを選ぶとは、映画に長らく関わってきたベンの矜持を感じた。なお、ベンはこの作品の数年後にデヴィッド・フィンチャー監督作「ゴーン・ガール」に出演しているのでややこしい。
ちなみに、ベンの監督作は本作の後に4本あるのだが、その4本にはベンは出演している。「ゴーン・ベイビー・ゴーン」で監督だけに徹してみて、やはり出たくなったのだろう。そういうところもまたベンらしい。
最近はDCエクステンデッド・ユニバースでバットマンを演じているらしい。僕はMARVELとDCEUの映画は観ないので、ベンがんばれよ、と勝手に応援だけしている。

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