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【考えるヒント】 文学は映画に向いていない

Talent is more erotic when it's wasted.
(才能って無駄になっている時のほうがそそるのよ)

Cosmopolis

現代アメリカを代表する作家たちの本はあまり映画になっていない。このことは、優れた文学は映像に向いていない、という事実による。シェイクスピアやドストエフスキーなど、その文学の価値を広く認められた作家ほど、映画にならないのだ。"あらすじが本筋の作品は大したものではない"と、僕はたまに書いているが、それは文学と映画では目指しているところが異なるという意味でもある。
ドン・デリーロの小説「コズモポリス」を映画にするとポルトガルの映画プロデューサーが言い出した時も、きっと本国アメリカのスタジオは、そんなもの儲かるわけがない、と冷ややかな目で見ていたことだろう。資金集めに苦労したのか、結局この映画はポルトガル・フランス・カナダ・イタリアの合作となった。つまり、ヨーロッパ映画である。
しかし、主演を務めたロバート・パティンソンを筆頭に、ジュリエット・ビノシュ、マチュー・アマルリック、サラ・ガドン、サマンサ・モートン、ポール・ジアマッティら、出演者は豪華だし、監督も"ド変態"デヴィッド・クローネンバーグである。期待して観た物好きな観客もいるのかしれないが、興行収入は目も当てられない数字になった。アメリカのスタジオは、ほらみろ、と思っていることだろう。ドン・デリーロの小説はこの後、2022年に「ホワイト・ノイズ」が映画化されたが、これはNetflixが配信している。文学系の映画はそれでいいと思う。

2012年に発表された「コズモポリス」はカンヌ国際映画祭には出品されたらしい。文学が原作なので、物好きな批評家にはウケるかもしれない。
28歳の億万長者エリック・パッカー(ロバート・パティンソン)がストレッチリムジンの席に座り、髪を切りに行くと告げてから、マンハッタンの交通渋滞に巻き込まれて一日をほぼ終えるまでを描いた映画だ。109分の上映時間の多くはリムジンの車内である。エリックは何人もの知り合いを同乗させ、哲学のような会話をそれぞれの人物と繰り広げる。僕は原作を読んでいないが、この会話が「コズモポリス」の全てだろう。特に長く交わされた話題は資本主義、そしてそれを支える未来のことだ。今日の投資の多くは先物(futures)であったり、短期で売買されるものだから、現在より未来の方の比重が大きくなりすぎている、という話だ。この会話は、なるほど、と記憶に残った。他にもいくつか、ニヤッとしてしまうような会話があった。文学は文字によって人間を描写するのだから、どうしても映像ではその魅力が伝わりにくい。
こうした映画をよく製作する気になったものだと、むしろこちらが感心するほどだ。ただ、文学系の映画は俳優には人気らしく、コリン・ファレルやマリオン・コティヤールは出演することを希望してスケジュールの都合で降板したそうだ。
決して他人に薦めるような映画ではないが、もし文学が好きで、カーチェイスとか銃撃戦とか見たくない、という気分の方がいれば、候補のひとつにしても良いのかもしれない。
ちなみに、サラ・ガドンは美しい。

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