診断がないことは病気でないことを意味しない / 「フォックスキャッチャー」
身体のどこかに病気があるだろうと、多くの人は知っている。診断されて初めて病気になる訳ではない。そもそも診断のうち何割かは誤診である。
かつて精神分裂病と呼ばれた統合失調症も、診断を下されている患者は、患っている人の半数にも満たないと言われている。多くの人は世間で健常者として生活している。
2014年の映画「フォックスキャッチャー」は、1996年に発生した有名な殺人事件を描いたノンフィクション・フィクションだ。この事件は、デュポン財閥の御曹司ジョン・デュポンが、ロサンゼルス五輪のレスリング男子フリースタイル74kg級で金メダルを獲得したデイヴ・シュルツを射殺したものだ。
本作はデイヴ・シュルツをマーク・ラファロ、弟マーク・シュルツをチャニング・テイタム、そしてジョン・デュポンをスティーヴ・カレルが演じ、ほぼこの3人だけで話が展開する。レスリングという人気のあまりない競技を扱う映画ながら、この3人の演技は真に迫る素晴らしいものだ。
銃撃戦もカーチェイスももちろんないが、映画が始まってからずっと、スティーヴ・カレル演じるジョンの正常ではない雰囲気がじわじわと伝わってきて、もはやサイコ系と言っていい出来である。興行収入や話題という点では期待できない作品だが、ノンフィクション・フィクションであることも含めて、なかなかの佳作だ。過小評価されている映画だと思う。
劇中でのジョンを観察する限り、ほぼ統合失調症と考えて差し支えないと思うが、実はこの病気はほぼ解明されていない病でもある。症例も多岐にわたり、複数の病の複合であると考えている学者も多い。いわば"風邪"と言っているようなものだ。このなかで幻聴や妄想、あるいは一貫しない言動、無関心など、様々の症例が個人によって異なって現れてくる。ジョンには妄想の症状が大きく現れていたことは間違いない。なぜなら、この映画の制作にはジョンをよく知るマーク・シュルツ本人が関わっているからである。しかも、この症状がおそらくジョンの母親譲りであることも劇中で仄めかされている。
さて、日本精神神経学会は、精神分裂病という名称が"差別的"だといって統合失調症に名称を変更したのだが、分裂という単語を統合失調という奇妙な造語に言い換えただけである。分裂という言葉が差別的だなんて、国語辞典も読めない連中らしい。こんなことをしているのだから、我が国の精神医学が諸外国より遥かに遅れていることだけは理解できる。
むしろ、差別とはそれを見つめることで解決していくものだ。蓋をすれば、他のところから再び溢れてくる。欧米はこうした精神病に関わる映画をたくさん制作し、人間を形作る"精神状態"あるいは脳のはたらきの重要さを描いている。ところが日本でこうした表現は"差別を助長する"と抗議されるのだろう。差別を助長する、というお節介な先回りこそが、差別する心を温存することにつながる、ということが理解できない程度の脳の持ち主が"差別を助長する"と言うのだ。こういうセリフを吐く奴はバカだと察することのできる常套句の一つである。
精神を病んでいることの現実を垣間見ることのできる「フォックスキャッチャー」は多くの人に観てほしい作品である。少し退屈かもしれないが、これは"ほぼ事実"なのだ。ちなみに、特殊メイクをしたスティーヴ・カレルは、ジョン・デュポンにそっくりである。
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