
世にも恐ろしい女の世界 / 「エリン・ブロコビッチ」
1989年に初の監督作品「セックスと嘘とビデオテープ」でパルム・ドールを受賞するという鮮烈なデビューを飾ったスティーヴン・ソダーバーグ監督が、ビジネスの面でも大成功を収めた映画が2000年の作品「エリン・ブロコビッチ」だ。
ジュリア・ロバーツが主演した本作は法律ドラマであり、大ヒットするようなジャンルではない。しかし、大企業による環境汚染によってアメリカ史上最高額の和解金を勝ち取ったのが、3人の子どもを抱える無職の女だった、という映画のような実話に基づいた物語であることが大きいだろう。ソダーバーグ監督は主人公のエリン・ブロコビッチが活躍する様を法律ドラマらしからぬコメディタッチで撮り、しかも法廷でのシーンなどを極力カットしたので、誰が観ても楽しめるエンターテイメント法律ドラマに仕上がっている。2019年の映画「ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男」も全く同様に大企業の不正を暴く映画であるが、マーク・ラファロの熱演にもかかわらず興行として成功したとは言い難かった。「エリン・ブロコビッチ」は大衆に受け入れられた画期的な法律ドラマである。
もちろん、「プリティ・ウーマン」や「ノッティングヒルの恋人」など、恋愛映画で多くのファンがいるジュリアの主演作だったことも大ヒットの理由ではあるが、しかし本作は女がビジネスなどの世界で生きていく時に、何が障害となるのかという実態を描いたことが、特に女の観客から共感を得たのだと思う。
それは、女の敵は女であるということだ。3人の子どもを抱えた無職のエリンは、ミス・ウィチタ(カンザス州の街)に選ばれたことがあるほどの美貌の持ち主であり、普段の服装もセクシーなものが多い。そのことによって、法律事務所の女たちからボスへ苦情が寄せられ、一度は辞めさせられてしまう。仕事の出来不出来ではなく"目障り"だからという女の嫉妬心をソダーバーグ監督は隠すことなく劇中で描いた。女がどんどん世の中で活躍するようになっていた2000年のアメリカにおいて、こうした実情を我が事のように感じた観客は少なくないだろう。つまり、有り体に言えば、ブスは美人が嫌い、という真実だ。
女を武器にしている、という言い回しがこの列島にも存在するが、女であることが男に対して武器になる、すなわち魅力的に感じてもらえることを悪いことのように捉えている生き物は、その心根がブスなのだ。心がブスなのだから、それは表情として必ず現れる。だから僕はルッキズムというくだらない造語が流行りだした頃から「俺はルッキストだ」と公言している。それは美人をあからさまに優遇したいと思っているということではなく、心のブスは必ず表情に現れているという持論によるものだ。
心のブスとはすなわち、エリンに余計な迷惑をかけたものであり、それは過度な嫉妬心、誰かの悪口を土台にした女同士の徒党、セクシーな身体の持ち主をバカと認定すること、すぐに人の足を引っ張ろうとすること、などだ。「エリン・ブロコビッチ」という映画は法律ドラマでありながら、同時に美人が仕事をするとどういう目に遭いやすいかという姿をずっと描いた映画でもある。こうした人間の醜い態度はもちろん男の世界でも山のようにあるが、女同士のそれとはまた異なる。
ソダーバーグ監督は人間の本来の姿を映画でさらけ出すように撮ることが上手い。こうした世の中の描き方には嘘やごまかしがない。スーパーヒーロー映画を"誰もセックスしていない"と批判する男だけはある。
ちなみに、エリン・ブロコビッチ本人は、ジュリア同様にセクシーな女である。