
雰囲気映画 / 「ゾディアック」
才能豊かな監督であるデヴィッド・フィンチャーの作品のなかでも、2007年の映画「ゾディアック」は異色の出来だった。これは1968年から数年にわたってカリフォルニア州で起きた連続殺人事件、いわゆるゾディアック事件を題材にした作品だが、犯行のシーンなどはほとんど省略し、犯人を捜査していく過程だけを撮っていた。同じフィンチャー監督作品でも「セブン」(1995年)は犯行を描くものだったが、本作はむしろ有名な事件を扱いつつ、当時を回顧することに主眼を置いている。
つまり、サンフランシスコ・クロニクル紙の漫画家ロバート(ジェイク・ジレンホール)と、サンフランシスコ市警の刑事デイヴ・トスキ(マーク・ラファロ)の2人を中心に、1970年頃のカリフォルニア州を再現していく映画だ。服装やアイテム、建設中の巨大ビルなど、スクリーンの中は50年前にタイムスリップしている。捜査の過程などは退屈そのものだし、特に盛り上がるシーンがあるわけでもない。こうした未解決の事件を扱う時点でものすごく映画としてハードルが高くなるのだが、フィンチャー監督はジレンホールとラファロという演技力のある2人を共演させることで、いわば"雰囲気映画"を撮った。この映画は、あらすじや映像美ではなく、スクリーンから漂ってくる雰囲気を楽しむものだ。僕は当時生まれていないが、おそらくカリフォルニア州で1970年頃を過ごした観客は「ああ、懐かしい」と感じていたことだろう。
マーク・ラファロが演じたデイヴ・トスキ刑事は実在する警察官で、実はこの刑事こそが「ダーティー・ハリー」のハリー・キャラハン(クリント・イーストウッド)や、スティーヴ・マックイーン主演の「ブリット」のモデルとなった人物である。服装や着こなし、カールした髪型やトレンチコートなど、ハリウッド映画でよく目にする"刑事"というスタイルは、ゾディアック事件に捜査のチーフとして関わっていたトスキによるものだ。名前の通り、イタリア系アメリカ人である。イタリア系は魅せることが本当に上手だ。もちろん、トスキ本人がこの映画「ゾディアック」にアドバイザーとして関わっている。ちなみに、ラファロが演じるトスキは本人にそっくりである。
ジレンホールは「ブロークバック・マウンテン」のイメージが強いものの、持ち前の雰囲気と演技力でいろんなジャンルの映画に出演している。僕のなかでは、ホアキン・フェニックスと同類だ。
こういう雰囲気映画は、あらすじが面白いとか面白くないとか、そういうことではなく、ポップコーンでも食べながら眺めるものだ。過ぎ去った1970年頃を少しだけ体験できたような気にさせてくれる。ホアキン・フェニックス主演の2014年の映画「インヒアレント・ヴァイス」のようなものだ。回顧系というか、懐古系だろう。