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台湾のフクザツな事情 / 「牯嶺街少年殺人事件」

台湾という島にはいくつもの亀裂がある。大日本帝国が敗戦してから、蒋介石による中華民国の進軍、二・二八事件、そして国民党の到来とそこから始まる反体制派への弾圧というように、国家の基盤にいくつもの不安定な部分がある。本省人と外省人、客家、原住民のように、いくらでも"台湾人"を分割することは可能だ。台北101で小籠包を食べ、九份に立ち寄って帰国する日本人には見えない亀裂がいつもそこにはある。僕は何度も台湾を訪れ、特に南部、主に台南市に滞在することが多いので、本省人たちの台湾北部あるいは国民党への"反発"はよく知っている。
1960年頃の台湾を舞台にした楊德昌(エドワード・ヤン)監督の1991年の映画「牯嶺街少年殺人事件」は、こうした台湾の抱えている亀裂を描いた作品だ。だがしかし、長すぎる。楊監督は劇場公開された188分を決定版としていたそうだが、なぜかビデオ等は233分版しか存在しない。いくらなんでも長すぎる。しかし、1960年頃の台北の日常をそのまま描きたかった楊監督の撮影した映像を残しておきたかったのかもしれない。とはいえ、映画は監督のものだと僕は認識しているので、188分版をリリースすべきだった。
主人公の学生である小四(張震)は、大日本帝国の敗戦後に上海から家族とともに台湾へ渡ってきた外省人だ。父親が国民党の関係者であることが描かれている。不良グループと仲良くなり、他のグループと対立し、ヒロインの小明と知り合うーー、というように、何気ない台北市の若者の日常をじっと撮っている。その一方で、両親の乗るバスが戦車の隊列とすれ違ったり、台北郊外の空き地で兵士が射撃訓練をしていたり、戒厳令のもとでの生活であることが描かれている。小四たち家族の住む家は日本家屋だ。つまり、日本人が住んでいた家をそのまま使用している。台湾にはこうした日本の旧宅がいくつも残っている。
映画は小四と不良グループたちのイザコザを描きながら、ようやくクライマックスの殺人事件に至るのだが、これにはモデルとなった実際の事件がある。1961年6月に発生した、中学生の男子による同級の女子の殺傷事件だ。楊監督はこの事件をヒントにして、1960年頃の台北の姿を撮った。つまり、本作は牯嶺街少年殺人事件というタイトルではあるものの、それは表向きの題材に過ぎず、実は"台湾人"たちの抱えている亀裂を楊監督は描いた。それは映画の冒頭に「大人たちの不安が子どもたちに影響を与え云々」というクレジットが入っていたことからも伺える。荒んだ行動に走る若者たちを描きながら、大人たち、すなわち国民党の腐敗や、出自の異なる者たちの対立が顔を覗かせるよう巧妙に撮られている。牯嶺街で少年は少女を刺したかもしれないが、戦後に台湾でどれだけの人が処刑されたか、そういうことを思い出す。
楊德昌監督は上海に生まれ、幼い頃に台湾へ移住している。年齢も本籍も近い男子が起こした殺人事件が衝撃だったのだろうし、だからこそこの事件をモチーフにして当時の台北の雰囲気を撮りつつ、"台湾人"という複雑なアイデンティティを描きたかったのだと思う。
この映画がデビュー作だった主演の張震は良い俳優となり、「レッドクリフ」では孫権を演じ、最近では「DUNE/デューン 砂の惑星」にも出演するなど、アジアを代表する俳優になりつつある。楊監督は2007年に癌で早逝してしまった。今でも台湾を代表する映画監督として各地で回顧展が開かれている。
数年前に台北市へ立ち寄ったとき、僕は牯嶺街を歩いてみた。すぐそばには中正紀念堂がある。牯嶺街という路地は1人の少女が殺されたことで有名になったが、中正こと蒋介石はどれだけの台湾の人を死に追いやったことだろう。台湾という国はあらゆることが政治的になるーー、そういったことを考えながら、汗だくでカフェに逃げ込んだ。

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