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人は影響を受けている生物 / 「こわれゆく女」

ロマン・ポランスキー監督の1968年の映画「ローズマリーの赤ちゃん」で、ローズマリーの夫ガイを演じていたジョン・カサヴェテスは優れた映画監督でもある。といっても、予算が潤沢に用意された大作ではなく、"撮りたいものを撮る"というインディペンデント映画をいくつか制作し、高く評価されている。

ジョン・カサヴェテス監督の1974年の映画「こわれゆく女」(原題は A Woman Under the Influence)は、精神病の妻が家族とどのようにコミュニケーションをとっているのか、という、いかにもインディペンデントなテーマの作品だが、しかし本作を通してカサヴェテス監督は"割れ鍋に綴じ蓋"という残酷な事実を見事に表現している。たった100万ドルの製作費で自主制作された作品にもかかわらず、アメリカ国立フィルム登録簿に登録されている。
主人公であるメイベルを演じたのはカサヴェテス監督の妻であるジーナ・ローランズだ。精神を病んだ女を非常にうまく演じている。夫のニックを演じた刑事コロンボでお馴染みのピーター・フォークは、カサヴェテス監督の友人である。予算の全く集まらないプロジェクトゆえ、カサヴェテス監督は自宅を抵当に入れ、ピーター・フォークをはじめ友人たちから借金をして制作した。ジム・ジャームッシュ監督はインディペンデントを気取るならこのくらいの気合いがなければダメだ。
本作は、明らかに言動のおかしなメイベルと、それを抑圧したりなだめたりしているニックの関係をじっと撮っている。そして観客は鑑賞しているうちに、メイベルの症状にニックは無関係ではないことを感じとり、また、ニックだからこそメイベルを妻にしたのだろうということも理解する。類は友を呼ぶ、と言ってもいい。ここには精神病をめぐるノンフィクションがある。狂っている人と結婚する者はだいたい狂っているのだ。精神科で"あなたは精神病です"と診断されない限り、いくら狂っていても野放しであることが世の真実であり、そうした人たちも多くは親になる。露骨にイカれている人は少なくない。有名になった殺人事件の容疑者の家族についての報道を見て、この親にしてこの子あり、と感じたことのある方は多いだろう。だから残念ながら、この映画に登場するメイベルの3人の子のうち、少なくとも1人はイカれた大人になる可能性が高い。みんな遺伝という残酷なリレーを過小に見積もっている。ほとんどの"能力"は遺伝に過ぎないのだ。
だから本作の原題は under the influence (影響を受けている)である。それはニックであり、鎮静剤であり、何らかの治療のための薬であり、そして何よりも、メイベルの両親からの遺伝である。「こわれゆく女」という邦題はバカが過ぎる。こわれゆくのではなく、もともとこわれていることが明白だからだ。それに、日本語で本作を検索すると"神経症の妻が云々"と、明らかに嘘を書いている。メイベルはどう見ても神経症ではなく精神病であり、メンタルヘルスの案件ゆえに入院させられたのだ。精神病という単語から逃げているような態度では、本作で描かれたことが何も分からないだろう。
観ていると辛くなってくる映画だが、しかし見事な出来である。ジーナ・ローランズの演技は素晴らしかった。インディペンデント映画を代表する名作だ。

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