大勢に逆らう強さとは / 「セルピコ」
名優アル・パチーノは1972年の映画「ゴッドファーザー」でマイケル・コルレオーネ役に抜擢されて注目を浴び、1974年の続篇「ゴッドファーザー PART Ⅱ」でマイケルとして主演することになるのだが、このちょうど合間の年に当たる1973年、「スケアクロウ」と「セルピコ」に出演した。
「セルピコ」という映画は、いわゆる"ハリウッドらしい"映画ではない。この作品は、ニューヨーク市警の汚職にほとんど一人で立ち向かったフランク・セルピコという実在の人物の物語だからだ。ノンフィクション・フィクションである。監督のシドニー・ルメットは世の中の問題を映像にすることが得意な男で、この映画の2年後にはアル・パチーノ主演で「狼たちの午後」を撮っている。
「セルピコ」のような映画を観ていると、大勢に逆らってでも己の信念を貫く人は少ないという事実をあらためて認識する。ほとんどの人は、世の中の流行や、組織の慣習などに流され、面倒を避けることを優先する。これは生き方の問題だろう。フランク・セルピコという人物は、警察官は汚職するべきではない、という信念に従って、ニューヨーク市警という巨大な組織に逆らった。こういう人物は稀であるからこそ、伝記が書かれ、映画も制作されるのだ。
僕は若い頃から、進路の選択といい、職場での会議といい、とにかく"みんな"に逆らうように生きてきたので、「セルピコ」のような映画を観ていると他人事とは思えない感覚をおぼえる。変わり者とか一匹狼などと指差されることも多かったが、みんなに歩調を合わせて行動することに何の意味も見出せなかったし、これからもそうだろう。
フランク・セルピコはニューヨーク市警の腐敗を公にした後、警察を辞めた。アメリカという国は、こうした whistleblowing (内部告発)を行う者を大切にする素地がある。告発者を主人公にした映画は数え切れない。最近では2016年のオリヴァー・ストーン監督の映画「スノーデン」が有名だろう。どこかの列島で内部告発をしようものなら、袋叩きにされるだけである。
告発という行為は、胆力が要ることだし、その動機は組織を良くしたいということだ。つまり、不適切な行いであるとか、明白な不正が行われていることが許される"べき"ではない、ということだ。この"べき"の故郷こそが正義と呼ばれるものだろう。正義から立ち現れてくる使命感のようなものが強さとなり、告発に至る。そしてこの正義を心に宿している人は、ほとんどいないということだ。みんながやっている、ご近所もそう言っている、先輩から引き継いだ、そんなことを言い訳にして、後になって問題が発生すれば「ワタシは当時から問題があると思っていた」と平気で口にするような人たちによって、この世の中はつくられているのである。