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失ったものは信仰だけではない / 「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」

It was Paul who told me about you. He's the prophet.
(君について話してくれたのはポールなんだよ。ポールが預言者なのさ)

Daniel Plainview

エジプトで虐げられていたユダヤ人という「出エジプト記」の設定を親子の関係に置き換えた物語が1999年の映画「マグノリア」であるという記事を以前に書いた。この作品の最後で空からカエルが降ってくるシーンは、"エジプトの厄災"(plagues of Egypt)と呼ばれる天罰のような災害のうち、2番目のものだ。

では1番目の厄災は何だったかというと、ナイル川の水をはじめ貯水池や瓶の中の水まで全てを血に変えてやる(There will be blood)、という説話だ。(Exodus 7:19) これによってエジプト人たちは水を求めてナイル川のそばを採掘せねばならないーー、という話を下敷きにして、ハリウッドのPTAことポール・トーマス・アンダーソン監督は2007年に映画「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」を撮った。
この映画は聖書のなかの物語のように撮られている。石油を求めて土地を買うダニエルは資本主義の体現者だ。いっぽう、ダニエルに土地のことを話したポールと、宗教家となったイーライは一卵性双生児として描かれている。これは、資本主義と宗教が同じところから発して異なる道を歩んでいるという喩えだ。本作は、アメリカという国がフロンティアの後、資本主義が宗教と対立するように歩んでしまったという寓話である。
石油の採掘を始める時にダニエルはわざとイーライに祝福をさせず、そのことによって作業中の工員の事故死や現場での火災、それによって息子のH.W.が難聴になってしまったことなどがあたかも天罰であるかのように物語が進む。つまり、宗教であれ映画であれ、物語とは現実をどのように解釈するかというものであるならば、地中から石油を吸い上げてくるダニエルと、現実の出来事から信仰心を得ようとするイーライの姿は相似である。しかしアメリカは勃興する資本主義のなかで宗教すなわちキリスト教を有名無実のものに変えてしまい、あたかも拝金主義のような世の中にしてしまったのだから、人びとの心のなかの信仰や他人への信頼(faith)が、血に変わってしまう(There will be blood)、という話だ。
息子H.W.は、孤児だった時にダニエルが自らの子どもとしたことが明かされたものの、ダニエルは息子を大切に育て、愛していた。しかしそこへ弟ヘンリーを名乗る男が現れたことで、H.W.はヘンリーが自らの立場を脅かすような存在だと感じてしまい、火を放って殺そうとする。こうした経緯はカインとアベルの話に似たものだ。息子の名前はH.W.としか劇中で呼ばれていないが、このHは弟ヘンリーのHを採ったものではないかと思う。結局、H.W.がダニエルのもとを離れてメキシコで自らの採掘会社を始めたいと言い出したことにより、ダニエルは愛する者を失ったという絶望に襲われるのだが、これは信用/信頼(faith)することなく生きてきたダニエルの必然であるという物語になっている。なお、石油会社を経営するH.W.といえば、どうしても第41代アメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュを思い出すのだが、これはあまり気にしなくても良いだろう。
資本主義によってキリスト教が圧倒されたことを示すように、映画の最後の会話においてダニエルは、現代の多くの"金持ち"が宗教に対して抱いている感覚をイーライに代弁させる。

I am a false prophet! God is a superstition!
(私は偽の預言者だ! 神は迷信だ!)

Eli Sunday

このような世の中において、人びとは信仰(faith)だけでなく信用/信頼(faith)も同時に失ったのではないか、というPTAからの問いかけである。ちなみに、ポールとイーライのファミリーネームは、神が休んだ日 Sunday (日曜)である。
そしてダニエルはついにイーライを撲殺するに至るのだが、その後に発したセリフはなかなか味わい深いものだ。

I'm finished.

Daniel Plainview

字幕では確か「私は終わりだ」と訳されていたし、もちろん誤訳ではないのだが、このセリフは殺人を犯したというダニエルの状況を指すだけのものではない。この映画をずっと観てこのシーンに至れば、この I'm finished. とは、ダニエル(資本主義)はイーライ(宗教)を抹殺することによって、ひと仕事を終えた、つまり完成した、という意味になる。「これで済んだ」と訳しても良いセリフだろう。
スーパーヒーロー映画ばかりのハリウッドにおいて、PTAはなんとかして文学や哲学のようなテーマをビジネスでも成功させようと苦心していると思う。名優ダニエル・デイ=ルイスはPTAの前作「パンチドランク・ラブ」を気に入っていたので本作の主演を引き受けたそうだ。

なお、PTAは「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の編集中に、尊敬するロバート・アルトマン監督が亡くなったので、本作をアルトマン監督に捧げている。"ありきたりな映画は撮らない"ということをテーマにしていたアルトマン監督の遺志を引き継ごうとしている男なので、これからも作品に期待できる監督である。

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