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シンプルだが、それがいい / 「ピアノ・レッスン」

1993年のカンヌ国際映画祭は、パルム・ドールを2作が同時受賞した。陳凱歌(チェン・カイコー)監督の「さらば、わが愛/覇王別姫」と、ジェーン・カンピオン監督の「ピアノ・レッスン」だ。カンピオン監督はパルム・ドールを受賞した初の女の監督となった。どちらも名作であり、製作費は400万ドルと700万ドルである。1億ドルもの予算を使って「オッペンハイマー」を撮ったノーラン監督は、映画監督というより興行主と呼ぶ方が適切だ。

「ピアノ・レッスン」(原題は The Piano)はエスプレッソのような映画だ。娘のフローラを連れてニュージーランドにやってきたエイダ(ホリー・ハンター)が、ピアノのレッスンを介してジョージ(ハーヴェイ・カイテル)と睦まじい仲になる。不倫ではあるものの、夫であるアリスデアに対して愛情を抱くことができないーー、という、きわめてシンプルな筋書きである。
エイダが口をきかない選択をした原因が過去の辛い出来事であることが明かされる。ピアノの演奏を通して感情を表現するという不器用な生き方をしているエイダが、ジョージの真摯な愛情によって心をほぐしてもらうような映画だ。ただし、不倫というある種の禁忌を犯しているわけだから、アリスデアによって罰せられるエイダの姿はグリム童話の主人公のようである。物語の原型に近い単純なつくりだが、ジョージの柔らかい愛情表現がむしろ新鮮で、陳腐な恋愛映画にならず、エイダの再生を描くことに成功したと言える。
マイケル・ナイマンの音楽も良かった。このサウンドトラックはアホほど売れ、今でもカフェなどで耳にすることが多い。

ちなみに、パトリス・ルコント監督の映画「髪結いの亭主」や、アンドリュー・ニコル監督の「ガタカ」もマイケル・ナイマンが音楽を担当している。
主演のホリー・ハンターは本作によってアカデミー賞の主演女優賞を受賞した。「日の名残り」「逃亡者」「父の祈りを」と並んで作品賞の候補にも挙がったものの、この年は「シンドラーのリスト」があった。相手が悪かったと言えるだろう。他にも「ギルバート・グレイプ」や「フィラデルフィア」「クリフハンガー」「ジュラシック・パーク」などが同期である。約30年前、映画はこんなにも充実した業界だったのだ。今なら、下手すると「ジュラシック・パーク」が作品賞を受賞してしまうような時代である。
なお、ホリー・ハンターはオスカー女優となった3年後に、カナダのド変態ことデヴィッド・クローネンバーグ監督の映画「クラッシュ」で変態の女を演じた。これぞ女優である。

今では、映画も俳優も、粒が小さくなったものだ。製作費と胸の谷間ばかり大きくなっている。

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