香港の"孤独"を映した映画 / 「恋する惑星」
香港が返還される数年前、王家衛(ウォン・カーウァイ)監督はアジアを代表するような映画「重慶森林」を撮った。香港の中心部に建つ重慶マンションを舞台に、若者たちの孤独と刹那の恋模様を描いた作品だ。
英語でのタイトルは Chungking Express である。悪くはない意訳だ。ところが、これが日本列島では「恋する惑星」になる。こんなことをして表現をバカにしているのだから、国内の映画も小説もゴミばかりになって当たり前だ。「重慶ビル」とか「チョンキン・ジャングル」のようにほぼ直訳すれば良いのだ。
さて、映画「重慶森林」には主人公がいない。まず、これが欧米の一般的なストーリー展開と異なる点だ。しかし、アジアは「三国志演義」や「水滸伝」、あるいは各地の多神教の説話を見れば分かるように、そもそも1人の人物をずっと描写するという表現を採用しないことが多い。本作はまるでアジアの民話のように、あらすじが見当たらないような、ある一刻を切り取るように撮影された映画だ。
しかも、登場人物たちを追いかけるように撮影してもいない。次々と重慶マンションやその近辺をドキュメンタリーのように撮影しながら、たまたま映画の登場人物たちが映り込んでいるような、およそ欧米では考えられないような様式である。これが王家衛という監督の独自のセンスであり、その手法は本作において完全に成功している。
他人と親密な関係になることが苦手な警官の何志武(金城武)は、物語を普通話(いわゆる標準中国語)で語りながら、劇中では広東語、日本語、英語、普通話を操っている。このことは香港という地域が常に"動いている"ことを表している。女にフラれ、ドラッグディーラーの女(林青霞)と一緒に飲み、明け方にホテルを後にする。何志武はパイナップルや缶詰の日付やジョギングなどに夢中な男として描かれていて、女への連絡はいつも電話かポケベルである。つまり"人"と接していない、孤独が描かれている。
663という番号で呼ばれる警官(梁朝偉/トニー・レオン)は女にフラれ、サンド屋でアルバイトをしている阿菲(王靖雯/フェイ・ウォン)が自宅に通って掃除をしてくれるという奇妙な関係になる。ここでも、663と阿菲は互いに親密にはならない。
多くの国籍の人たちが行き交う重慶マンションは香港そのものであり、そこで生きる若者たちが他人としっかり触れ合うことができない様が描かれている。ストーリーがない話と言ってもいい。本作はストーリーを楽しむ映画ではなく、1994年の香港をセンスある監督が役者を起用して切り取った姿だ。重慶森林とは香港森林である。また、この孤独とは、すなわち香港という土地の持つ属性を指してもいるだろう。
この作品はクエンティン・タランティーノ監督が絶賛し、世界でも有名になった。それはそうだろう、黒澤明を除けば、ここまで"アジア"に徹した映画はそうたくさんあるものではないし、ストーリーやセリフよりも映像で孤独を伝えるという王家衛監督の試みは、ストーリーを見せることの上手いタランティーノにしてみれば、全く自分とは異なるところから出てきた表現だと感じられただろう。
本作の数年後に香港は返還され、その姿はすっかり変わってしまった。きっと王家衛監督は、そうなることもあらかじめ踏まえて、この作品を撮ったのだと思う。返還された数年後に王家衛監督が撮った恋愛映画「花樣年華」は、イギリス領時代の香港を舞台にしていた。
おそらくアジアで最も美しい、あるいは目を奪うような映像の作品をつくる監督である。
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