心にはいつもLOVEとHATE / 「ドゥ・ザ・ライト・シング」
Black Lives Matter などの運動が起きる遥か前の1989年、スパイク・リー監督は「ドゥ・ザ・ライト・シング」を発表し、アメリカのなかで黒人という人種がどのように扱われているか、また、差別はどのように表れるものなのか、という問題をあらためて提起した。主人公ムーキーをスパイク・リー監督本人が演じ、黒人街であるブルックリンのベッドフォード・スタイヴェサント地区を舞台にして、ある暑い夏の日の出来事を描いた名作である。
ラジオDJのミスター・セニョール・ラブ・ダディ(サミュエル・L・ジャクソン)が物語の語り部のように登場し、イタリア系アメリカ人であるサル(ダニー・アイエロ)が息子2人とともに経営しているピザ店でのトラブルを撮影することで、そもそも黒人と白人が"どのようにしていがみ合うことになるのか"という、事の本質を観客に見せつけている。だから登場人物たちは黒人にありがちな気質を大袈裟に表現している。いつも酔っ払っている市長(Da Mayor)や、ポータブルスピーカーを持ち歩いてパブリック・エナミーの「Fight the Power」を爆音で流しているレディオ・ラヒーム、早口で黒人の権利をいつも捲し立てているバギンアウト、知能が足りていないスマイリーなど、個性豊かな黒人に囲まれて、主人公のムーキーはそうした人たちを冷静に見つめている。
この映画の核となっていることは、サルとその次男ヴィトはムーキーと"友人"であり、長男ピーノが黒人たちを"猿の惑星"と呼んで嫌悪していたことだ。そこへバギンアウトがやって来て、冒頭に掲げたセリフを言い、トラブルの元になった。サルの店の壁に有名なイタリア系アメリカ人たちの写真ばかりが飾られていることは、もちろん黒人を差別した結果ではないにもかかわらず、バギンアウトはそれが"差別"だと喚き、サルが怒鳴って言い返したことから大乱闘になる。レディオ・ラヒームがLOVEとHATEと刻印されたアクセサリーを両手に着けていることは、もちろん前回の記事「狩人の夜」の悪役ハリーへのオマージュである。サルはLOVEの心でピザを売っていたのに、そのサルのHATEを引き出したものはバギンアウトであり、しかしバギンアウトのような主張を生み出したのはピーノのような白人だというサイクルである。
この映画には嘘がない。怠惰な黒人も登場し、韓国系アメリカ人を露骨に差別し、文句ばかり言って何もしない人たちの姿もじっと撮っている。そして警察の横暴を描き、黒人が差別されている現状を変えるためには、どのようなマインドを変えていくべきなのかということを観客に問いかけている。ここにはスパイク・リー監督の冷徹な視線がある。つまり、バカのせいで問題が複雑になっているじゃないか、ということだ。サルは差別なんてしていないし、それを喚きたてても相手は不快なだけだし、しかし暴力が振るわれたなら暴力で返すしかないだろうという、綺麗事なき本音が吐露されている。LOVEとHATEの両輪がある、ということだ。
こうした差別との向き合い方は、言葉遊びをして臭いものに蓋をしておけば差別がなくなると信じている日本人には分からないだろう。病名を変えたり、"発達障害"のような珍妙な造語をこしらえておけば、人は差別しなくなると本気で考えているのだから、やはりバカのせいで問題が複雑になっているのだ。実際の差別あるいは憎悪に"向き合うこと"が大切なのであり、差別になりそうだから単語を変えてしまおうなんて、それこそが差別を助長する行為だと理解できない連中が、コロナの患者に嫌がらせをしていたのだ。たとえば、僕は"同性愛の男"のことをホモと言うが、これはホモセクシャルの略であり、僕はホモの結婚も自由も全て制限されるべきではないと考えている。ゲイと言わなければ差別している、なんてバカも休み休み言え、である。このように、人間のHATEを隠すように言葉遊びをしても全く無意味である。誰もが抱えているものだし、この世からバカがいなくなるわけでもないのだから、常に"向き合え"ということが、スパイク・リー監督からのメッセージである。
この映画で描写された悲劇は、その後も何度も繰り返され、アメリカはようやく黒人差別という現実と多くの人たちが向き合っている。それはおそらく、公民権運動の盛んだった頃の世代がほとんど死んでしまったことも大きいだろう。差別と向き合うということは、自分のなかにあるHATEと向き合うということだ。こうした自省はバカには難しいことだからこそ、時間のかかるものである。
本作は「狩人の夜」と同様に、アカデミー賞の作品賞にノミネートすらされなかった。授賞式にプレゼンターとして登壇した女優のキム・ベイシンガーは、「ドゥ・ザ・ライト・シング」を指して以下のように壇上でコメントして話題となった。
HATEに向き合う、ということは難しいことなのだ。言葉を言い換えれば済むようなことではないのだ。