俺たちに明日はある / 「ナチュラル・ボーン・キラーズ」
1967年の映画「俺たちに明日はない」(原題は Bonnie and Clyde)は New Hollywood の幕開けと呼ばれる作品で多くのファンがいるのだが、この物語は実在の銀行強盗にして殺人犯のボニー・パーカーとクライド・バロウがモデルになっている。ただ、こうした話は底が浅く、フェラのシーンと最後の凄惨な銃殺によって有名になったに過ぎないので、僕なら1969年の「明日に向って撃て!」の方を推薦する。
ボニーとクライドのような犯罪者はメディアの印象操作によって世間に一定数の"ファン"が登場する。こうしたメディアの作用を強調したボニーとクライドが、1994年の映画「ナチュラル・ボーン・キラーズ」だ。
ミッキー(ウディ・ハレルソン)とマロリー(ジュリエット・ルイス)が殺人を繰り返しながら逃避行をし、刑務所でも暴れるという、とにかく暴力のオンパレードである。そこに、テレビ番組の司会者ウェイン(ロバート・ダウニー・ジュニア)や功名心に溢れた刑事ジャック(トム・サイズモア)、刑務所の所長ドワイト(トミー・リー・ジョーンズ)など、実力ある俳優たちが揃い、テレビというメディアによっていかに"現実"がつくられていくか、ということを描いている。
劇中でも、当時のテレビを騒がせていた事件の報道が使用されている。メネンデス兄弟の事件、O.J.シンプソンの事件、ロドニー・キングへの暴行、テキサス州での宗教事件、フィギュアスケートの醜聞など、テレビによって皆に知らされ、また同時にテレビによって印象が操作されてもいる事柄だ。オリヴァー・ストーン監督はベトナム戦争に関する映画を撮り終えた後に、こうしたテレビ批判を気軽に撮りたかったのだろう。ただ、アニメ映像や細かいカット割のせいで、編集には随分と時間がかかったそうだ。
ドンパチだらけの映画なので見えにくいかもしれないが、きちんと社会を批判している作品なのだ。「俺たちに明日はない」なんて内容すっからかんなのに"名作"だとされているが、「ナチュラル・ボーン・キラーズ」はもっと深いところを抉っている。ただ、世の中で"映画好き"なんて自称するような連中は得てして暴力を暴力としてしか見ることのできない連中なので、All God's creatures do it というセリフが響いてこないか、そもそも聞き取れなかったか、おそらく後者だろう。
ストーン監督はベトナム帰還兵である。暴力という言葉の重みを誰よりもよく知っている人間の1人だろう。劇中で次々と"殺人"を描き、それを報じるメディアの姿勢を描き、人間はなんてバカな生き物なんだとため息をつきながら、ミッキーとマロリーが逃げ延びて生活している様子をエンドクレジットと共に見せることで、暴力の連鎖を断ち切ることはできるだろうかと観客に問うている。そして、それはテレビが変わらない限り無理だろうということも示唆している。