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足音をきく映画 / 「初恋のきた道」

たとえば、こんな作品は良い映画だ。
語り手の男が父の訃報を聞き、山間部の農村に帰郷する。教師だった父は校舎の改築のための費用を集めに街へ行き、そこで心臓病で倒れたという。村長たちは遺体をトラクターに乗せて村まで運びたいと言うが、母は村の慣例にしたがって棺を担いで連れ帰りたいと譲らない。語り手は困り果て、映画は父と母の出逢いのシーンへ移る。
学校のなかった村に小学校が建つことになり、町から青年が赴任してくる。語り手の母である招娣は青年に一目惚れし、校舎の建築現場に心を込めて作った弁当を運び、村内ですれちがう機会を窺う。ところが青年は当時の政治に巻き込まれるように、街へ連れて行かれてしまう。青年は招娣に赤い髪留めを贈り、ようやく二年後に村へ帰ってくると、それから青年と招娣は離れることがなかったーー。
語り手は棺を担ぐ人を雇いたいと村長に申し出たが、教え子たちがたくさん集まり、村まで皆で担いでくれた。父は語り手が教師になることを願っていたという話を母から聞き、語り手は翌朝、古びた校舎で授業をするのだった。
張藝謀(チャン・イーモウ)監督の1999年の映画「初恋のきた道」である。90分にも満たない映画だが、農村を舞台に人生がしっかり切り取られている。世代が変わる様子は、いろんな対比によって示されている。小学校が村に建つことと、改築されること。皆で担ぐことと、トラクターで運ぶこと。そして何よりも、招娣を演じた章子怡(チャン・ツィイー)の美少女ぶりと、現代の母の老いた姿。こうして時が流れていく様を描いたことで、父と母を二年も引き離すことになった"政治"もまた時の中に消えていくものだと感じられる。この事件は、1957年頃の反右派闘争を指している。
この映画は農村で撮影されているが、登場人物たちが道路や草を踏む足音がしっかりと録音されている。この足音が、変わることのない大地、人が決して離れることのできない故郷を思い出させる。こんなに足音が聞こえる映画は滅多にない。張藝謀監督の見事な演出である。足音映画と言っていい。
しかし、章子怡の美少女ぶりには圧倒されてしまう。映画もほとんど章子怡のプロモーションビデオかと思うほどアップでの撮影が多用されていたが、これは御愛嬌である。
農村を舞台に、製作費もかけず、じっと父と母を回想する。映画はこれでいいのだ。人間は変わらない。大地は動かない。

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