争いをつくりだす仕事 / 「ワールド・オブ・ライズ」
2001年9月11日、テレビであの光景を見たとき、僕は一緒にいた友人に「なんだこれ? 映画?」と訊いたことをよく覚えている。この年に公開された映画といえば「ビューティフル・マインド」「ロード・オブ・ザ・リング」「ムーラン・ルージュ」「チョコレート」「ブラックホーク・ダウン」などがあり、デヴィッド・リンチ監督の「マルホランド・ドライブ」はアカデミー賞やゴールデングローブ賞など主要な映画賞で受賞を逃した。
アメリカ政治の細かい話をするようなnoteではないので割愛するが、この事件以降、アメリカやヨーロッパの主要国において、the Western (西側諸国)とアラブ諸国という二項対立の図式が生まれた。こうした敵味方の安直な区分は不要な争いを生む温床となるのだが、残念ながらその"不要な争い"こそ必要なのだという勢力がいる。なぜなら、儲かるからだ。
リドリー・スコット監督はこうした時期に、「キングダム・オブ・ヘブン」(2005年)で十字軍を舞台にした"キリスト教とアラブ"というテーマを取り上げ、さらに2008年にはレオナルド・ディカプリオとラッセル・クロウを起用した映画「ワールド・オブ・ライズ」を監督し、西側諸国がアラブで何を行なっているのかというテーマを継続した。
「ワールド・オブ・ライズ」は至極シンプルな映画だ。レオ様の演じるロジャー・フェリスはCIAで中近東を担当する男であり、劇中では各地を転々としつつ、主に砂漠の中で仕事をしている。一方、ラッセル・クロウ演じるエド・ホフマンという中近東を統括する男は、ワシントンD.C.の自宅か、ヴァージニア州にある本部から優雅に指示を出しつつ、いつも何かを食べている太った男だ。
リドリー・スコット監督はこの2人を対照的に描くことで、複雑怪奇で理解しづらい政治の話を観客に伝わりやすく撮ろうとしていた。各国の利害、そして部局ごとに利益が相反しがちな政治はハリー・ポッターのように分かりやすい筋書きにはならないので、どうしても映画として成功しづらい。かといって単純にしてしまうと"お前はバカか"と言われるジャンルなので、どこまでリアルに近づけるかということが脚本家と監督の悩むところだろう。僕はこの映画を良いバランスを保った作品だと思った。マーク・ストロング演じるヨルダンの諜報員は胡散臭い雰囲気を醸し出し、美しいゴルシフテ・ファハラニも登場し、決して退屈させるような出来ではない。
西側諸国が戦争を"作り出している"というスコット監督のメッセージはきちんと伝わってくる。相手を理解するということは触れ合うことであり、モニター越しの"政治ゲーム"では争いを生むだけだということだ。ところが、現実にはこうした争いから利益を得ている大企業が日本を含め各国に存在する。そのことが、この世界を面倒な場所にしている原因なのだ。
さて、Body of Lies とは、ウソがたくさん、とか、ウソの本質、という意味でありつつ、この body は胴体/本体/死体/機関など、いろんな意味を持つ単語だ。僕なら「ウソの正体」という邦題にするだろう。