風雷の門と氷炎の扉17
ヒョウエは背を向けたまま数秒考えると、何かを決心したように勢いよく振り返り、フウマに抱きついていたウリュの髪の毛を掴み、フウマから引き剥がした。
「い、いや!いやぁ!ヒョウエ!な、何を!?」
「ヒョ、ヒョウエ!止めんか!」
ヒョウエはフウマの制止を振り切り、ウリュの髪の毛を掴んだまま無理矢理ウリュを立ち上がらせた。
ヒョウエはウリュを正面にしてもまるで表情を変えない。
ウリュは頭のてっぺんにあるヒョウエの手を掴み必死に抵抗している。
「痛い!痛い!痛いよぉ!ヒョウエ!お願い!止めて!本当に…本当にどうしちゃっ…」
その時、ウリュの柔らかい腹部にヒョウエの左拳がめり込んだ。
「エ゛ッ!…ゔぇぇェェ…」
ウリュは白目を剥くと、普段のウリュからは考えられないほどの低い声と吐瀉物を出しながらガックリと崩れ落ちた。
ヒョウエはその様子を見て、フンと鼻息を吐くと今度は優しくウリュを仰向けに寝せた。
そしてヒョウエは鋭い目でフウマを見た。
「ヒョウエよ。話せ。私は回りくどいのは嫌いだ。余計な事は言わんで良い。」
睨み返したフウマはため息混じりでヒョウエに語りかけた。
するとヒョウエは驚くほどに丁寧な口調で短くフウマに答えた。
「まずは無礼を詫びさせて下さい。」
ヒョウエはそう言うと静かに頭を深々と下げた。
するとフウマは安心したような、安堵の表情を浮かべて今度は深くため息をついた。
「なぁんにも考えないで行動する奴ではないと思っていたが…私に対しての無礼などどうでもよい。さぁ、話すんだ、ヒョウエ。」
「はい。しかし…結論は変わりません。私があの門を突破します。そしてフウマ様はウリュ様を連れて門の中…奥へ…と…。」
「…気になる言い方だな…ヒョウエよ…。」
「気に…なりますか…やはり…」
「話すんだ、全て。」
・・・
「私の家は昔からウリュ様の家に仕えてきました。」
「それは知っている。」
ウリュが寝ている場所から少し離れた小高くなった地面にフウマとヒョウエは横並びで腰かけている。
互いの表情はあまり見えないようだ。
「私達は記録、写術、簡易なヒールなどを生業としてきました。しかし、戦う技術はもちろんの事、力もまったくありません。」
「ヒョウエ、私は回りくどいのは嫌いだと言っただろう。前置きはいら…」
「ゼンジという先祖がいました。それはそれは勉強熱心な男だったと…。」
中々話の核心に触れないヒョウエに、軽い苛つきを覚えたフウマの語尾は、ヒョウエの淡々とした話で遮られた。
「ゼンジは正文を生み出す際の副産物である邪文を封印した男です。正文を生み出す為に回復石を様々な術で精錬すると、副産物として必ず邪文石も生まれてきます。ゼンジはこの邪文石から生まれてくる邪文に着目して、研究を始めたのです。」
「そのゼンジという先祖は術の精錬士だったわけか。」
「はい、その通りです。そして研究を重ねたゼンジは邪文というモノには恐ろしい力がある事に気が付きます。この先必ずや邪文を悪用する人間が生まれてくると予想しました。実際、ゼータは勝手に封印を解いて邪文を使用しました。ゼータも使用したペインと呼ばれる強烈な痛みを与えるものが主な邪文です。痛みと恐怖で支配し、痛みと恐怖で服従させ、痛み恐怖で絆を作り上げる、その絆は絶対的なものです。権利者にとっては実に魅力的に見えるでしょう。だから邪文は必要無い、そうゼンジは判断したのです…だが…」
ヒョウエはその場にさっと立ち上がると、右手で頭の左側面の髪の毛を持ち上げた。
するとその中の髪は綺麗に抜け落ち、真っ赤な瘤が出来上がっていた。
その瘤は青黒い血管と共に全体が脈打っている。
「な…。ヒョ、ヒョウエ…お前…まさか…。」
フウマはそれを知っているような話しぶりだ。
「そうです。邪文です。ゼンジは邪文を封印する時に、一つの条件を元に自身へ強力な邪文を施して良いと書き残しておりました。」
「少し口を挟んでも良いか?ヒョウエよ。」
「構いません。」
「その邪文を使った者はどうなるのだ?」
「…。」
答えないヒョウエにフウマは、間を与えず質問を放った。
「ついでに…だ、ヒョウエ。その一つの条件とは?」
「…。」
「答えられぬのか?ヒョウエよ。」
「これから…説明をします。焦らないで下さい。」
フウマの額に汗が流れ始める。
粘度の高い汗はフウマの目に入ってしまい、フウマはその苦痛に顔をしかめた。
その刹那、ヒョウエは重苦しく口を開いた。
「私が自身に施した邪文の名はヒガンテとヴィレント。二つとも正文サントの副産物です。身体が巨大化し、凄まじい力を発揮する。しかし、その代償は、極度の興奮状態となり、凶暴化し、理性が無くなる。そして巨大化は止まる事は無く、どんどん巨大化していき、やがて…」
フウマは汗で沁みた目を擦り終えると、生唾を飲み込み、ヒョウエを見つめた。
「やがて…?」
「…破裂し、爆発する。その爆発力も凄まじいらしいです。簡単に言うと、巨大化し、凶暴化し、最後は自爆という事です。」
「凶暴化…さっきお前が豹変したのはわざとではなかったという事か?」
「わざと…?どういう事です?な、何の話でしょうか?フウマ様にとんでもない事を言った事?…ですか…?それは…はい…その…申し訳ないです…。」
フウマはヒョウエの返答聞いて愕然とした。
『馬鹿な…どういう事です?という…言葉…どういう事だ?ウリュへの暴言、暴力、覚えていない?私への暴言は覚えている?記憶も曖昧になっているというのか?あのまま放っておいたらウリュを殺しかねなかった…そういう事なのか…?』
「まぁそれはいいとして…続きです。そしてフウマ様が気になっているであろう一つの条件ですが…」
混乱するフウマに構うことなくヒョウエは説明を始めた。
「…何だ?一つの条件とは…?」
・
・
・
「フウマ様、ウリュ様が眠りから覚めたら行きましょう。」
「あぁ、そうだな。」
「あまり良い話じゃなくて申し訳なかったです。」
「構わん。気にする事は無い。」
フウマとヒョウエは実に清々しい表情だった。
フウマにいたっては笑みすら浮かべている。
2人は仰向けに寝ているウリュの元へ戻った。
ヒョウエはウリュの右腕の元に膝をつき、ウリュの顔を見つめた。
「よく眠ってますね。」
ヒョウエは優しそうな顔でウリュを見つめている。
フウマは改めてギョッとした。
自分がウリュの腹部に拳をめり込ませて気絶させた事を覚えていないのかと、改めて不安を抱いたのだ。
「ん…あぁ…そうだな。ところでヒョウエよ。」
「はい。何でしょう?」
ヒョウエはフウマの方を向き、キョトンとした顔を見せた。
その顔を見たフウマは自分の胸の辺りを押さえ、苦しそうな顔を見せた。
「誰もが中心人物になれる訳ではない…そう思わんか?」
フウマはその苦しそうな表情のまま強い口調でヒョウエに質問した。
答えが欲しい訳ではない。
ただ、フウマは自分の胸の内をヒョウエに聞いて欲しかったのだ。
それを証明するかのように返事をしようとするヒョウエに被せて言葉を続けた。
「この世界は…ウリュを中心に回っていた。いや、回っている。なりたい奴がなりたい役をやれれば一番良いのだろうが…そうはいかないようだな…。ウリュはそれを知った胸の内は一体どのようなものなのだろう。」
「…分かりません…。ただ…私は…私の役割をこなすだけです。ウリュ様のご意向に従うだけです。ウリュ様の言葉が全てであり、胸の内など私はわかりません。だからウリュ様にはよく言っていたものです。私には全て言って下さいと、言い難い事も、きつい事も全部話をしてくれと。」
「そうか…」
「ンン…ウン…グッ…」
ヒョウエとフウマが話をしているとウリュが悩ましい声を出し、身体をよじらせた。
ウリュはよじらせた腹部に痛みを覚えたのか顔をしかめると、目を開いた。
それと同時にヒョウエの顔つきが変わる。
そしてさっと立ち上がり、ウリュに対して背を向けた。
「ヒョ、ヒョウエ…」
身体を起こしながらウリュはヒョウエの背に手を伸ばす。
「起きたのか?ガキが。いつまで寝てやがるつもりだ。」
ヒョウエの言葉にフウマは悲しそうな目をした。
「ヒョウエ…ど、どうしたの…どうしちゃったのよ…。ヒョウエ…。」
「やかましい。さっさと起きろ。お前が行きたい行きたいと騒いでいる場所に連れて行ってやるんだ。全てはお前の為なんだぞ。分かったらとっとと起きろ。」
「ヒョ、ヒョウエ…」
「…。」
ヒョウエに反応は無い。
ウリュはしばらく考えるとギリッと歯を噛み締め、痛みに耐えながら立ち上がった。
「ヒョウエ…。」
「やぁっと立ち上がったか、ガキめ。」
ウリュが立ち上がった音を聞いたヒョウエは悪態をつきながらその目に涙を浮かべていた。