down the river 最終章③
土曜日の夕方、丸一日かけてのBlue bowのスタジオリハーサルが終わり元田の車に乗り込もうとしたユウはとある巨漢に引き止められた。
「なんでここに?」
「ハハハ、いちゃ悪いの?」
「あ、いえ…でもどうして?」
「うぅん、少し話が出来たらと思ってね。」
「僕らと?Blue bowと?」
「いや、ユウとだよ。新田優とだ。」
「僕と?」
「モッちゃん、ユウ借りていい?」
尾田は運転席にいる元田に笑顔で問いかけた。
それに対し元田は歳上である尾田を一瞥もせず横を向いたまま返事をした。
「どうぞ。ユウの帰りまで面倒見てくれるんなら。話が終わるまで待ってらんないですから。」
「ハハハ!」
尾田は声だけ笑うと助手席の窓からユウ越しに元田を睨んだ。
「もちろん、俺が送り届けるよ?心配しないで。」
ゆっくりと威圧するかの様な口調だ。
「心配なんてしてませんよ。」
「バンドのリーダーに対してそりゃ無いだろ。大事な大事なBlue bowのメインソングライターに向かってよ。心配してやれよ。」
「…。」
「何か言いたそうだね、モッちゃん。」
元田の様子が変わった事に気が付いたユウは尾田と元田を交互に見た。
『そういえばこの2人あんま話してっとこ見たこと無いなぁ…。な、なんだ?』
「ユウ。」
「な、何?モッさん。」
「Z-HEADのベーシストが辞めた。さぁ、車から降りろ、ユウ。」
ユウの鼓動が心地良く高鳴る。
『ま、まさか…?俺が…Z-HEADに…?え?』
浮つくユウとは対照的に元田は車のハンドルを両手でしっかりと握ったまま正面を向いてその視線はピクリとも動かない。
「モッちゃん、借りるよ?」
「あんたはいつもそうだ!」
「!?」
元田が尾田に放った怒号に浮ついていたユウは一気に身体を強ばらせた。
元田は普段激昂する様な人間ではない。
そんな人間がよりによって尾田という人間に対して激昂している。
その様子にユウは驚きを隠せない。
「なぁ!尾田さん!そりゃZ-HEADに声かけられりゃ皆そっち行くだろうよ!そして使いもんにならなくなったらポイ捨てかよ!それであんた達は何人ポイ捨てしてきたんだ!!ずっといるメンバーなんてあんたと加賀美さんしかいねぇじゃねぇか!!」
「Z-HEADはドラマーである俺とギタリストである加賀美のバンドだ。俺と加賀美が曲を作ってる。俺と加賀美が残ってりゃそれはZ-HEADだって事だよ。それにポイ捨てなんてしてない。大事にしてきたつもりだよ?」
「さぁ行けよ、ユウ。もう俺から話す事はない。後は尾田さんから話を聞け。判断はお前に任せる。そして…」
元田は尾田の返答に被せる様にユウに言った。
そして言葉を詰まらせた。
「モッさん…?」
「…。」
「な、何だよ…モッさん…」
「ユウ…」
「何だよ…モッさん…気持ち悪いな…」
「お前の判断に俺らBlue bowは何も文句は言わねぇ。自分で考えて、自分の欲で動け。俺らの事は気にするな。」
「な、何言ってんだ?」
「元々Blue bowは俺と瀧本のバンドだ。瀧本は出て行ったが…尾田さんの理屈から言えば俺さえいりゃそれはBlue bowだ。さぁ、行けよ。しっかり話を聞いて判断してこい。もうお前は大人なんだからな。」
「モッさん…」
「早く降りるんだ。」
「わ、わ…わかったよ…。」
普段ぼーっとしている元田のものとは思えない表情だ。
その真剣な表情に背中を押されてユウはゆっくりとした動作で車から降り、ベースと機材を出した。
「じゃ、じゃあお疲れ様でした…」
「あぁ、お疲れさん、ユウ。またな…」
「モッちゃん、じゃあね。」
尾田の言葉には反応せずに元田は車を走らせた。
元田の車が走り去ったのを見送った尾田は、ユウの機材を手に取った。
「重いでしょ。持ってやろう。」
「あ、え?いや、平気ですよ。」
「いいからいいから、飯でも食う?酒飲みたい?奢っちゃうよ?」
「え?だ、大丈夫…」
「ま、遠慮すんなって。美味いラーメン屋があるんだ。そこのビールがキンキンに冷えてて美味いよ?」
「お、尾田さん…」
尾田は手に取ったユウの機材を人質にさっさと歩いて行ってしまった。
ユウもそのままにしておくわけにはいかず、尾田の後を慌てて追った。
・・・
「う、うまい…」
ユウは瓶からガチガチに凍らせた小さなコップに注がれたビールを一気に飲み干すとカウンター席で横並びで座っている尾田の顔を見て思わず声が漏れた。
「でしょ!?最高でしょ!?よく冷えてんだよね、ここのビール。何食べる?餃子美味しいよ?肉野菜炒めも塩味で最高なんだ。ラーメンなんかもう本当に絶品!俺もいただくから適当に頼んじゃうよ?好きに食べなよ。」
ユウ達がリハーサルに使っているスタジオから車で5分程の場所にそのラーメン屋はあった。
店舗は小さく、客席もカウンター席がメインでテーブル席は4人がけが一組しかない。
大通りから一本奥に入ったあまり目立たない場所にあり、隠れ家の様な雰囲気だ。
土曜日の夜早い時間である為か、客はユウと尾田しかいない。
恐らくこの店が賑わい始めるのは近所で飲み終わった連中が締めに寄る時間、午後9時以降なのだろう。
「すいません、餃子二皿と肉野菜炒め単品で一つ、後ぉ…うん、とりあえず、一旦それで。」
「あい。」
厨房から無愛想な店主の声が聞こえた。
カウンター席の横で注文のメモを取ったその店主の夫人らしき中年女性が厨房へと入っていく。
「尾田さん、話とは?何です?」
「モッちゃんが言った事覚えてない?」
「…。」
覚えている。
その意味をユウは知っている。
元田の言った趣旨、尾田の言おうとしている事は理解している。
だからこそこれ程までにビールが美味いのだ。
だがユウは聞きたいのだ。
尾田の口から直接聞いて、口説かれたいのだ。
「ベーシストが辞めちゃったんだよ。もうここまで言えばわかるでしょ?」
ユウの心臓が再び心地良く高鳴る。
同時に尾田がユウのグラスにビールを注いだ。
「ハッキリ言ってユウのベースの腕は天下一品とは言い難いよ。リズムも荒削りだし、雑音も多い。」
「タハハ…理解してます…。」
「俺や加賀美がユウを評価してるのはそこじゃない。そのスター性だよ。」
「スター性…」
「そう、そして俺にはわかるよ。」
「な、何がです?」
「もっとしたいはずだ。」
「な、何をです?」
「もっとヘヴィでブルータルなものをね。物足りないだろ?Blue bowじゃ。Z-HEADならやれるよ?ユウ。身体がバラバラになりそうな程に過激で、心が砕け散るくらいの衝撃的な音をさ。」
尾田は自分のグラスに入った氷水を一気に飲み干すとユウに顔を近づけた。
『うわぁ…やっぱこの人かっこいいなぁ…。やばいやばい…』
「いつもまわりくどいって言われちゃうからちゃんと言うよ。ユウ、Z-HEADに入ってほしい。来週の土曜日…えぇとね…」
尾田はボロボロの手帳を開いた。
「1時、13時!リハーサルがあるんだ。是非来てほしい。どうだ?」
「はい。」
「返事が早いな。悩まないのか?瀧本を追い出してまで加入してBlue bowを更に大きなものにしたというのに。」
「悩まないです。」
「どうして?」
尾田は少しギョッとした様子で目を見開いた。
「綺麗事とか社交辞令を言うつもりはないです。俺は色んなものを裏切って色んなものを壊して色んなものから逃げてきたんです。逆もあります。裏切られ、壊され、逃げられ、…そんな生き方をしてきました。そんな中、わかってきたんですよ。」
「何が?」
尾田が興味深そうにユウの顔を見つめる。
「結局最後に自分の欲に従うなら最初から従った方がいいって。」
「裏切るなら早い方がいいって?」
「そうです。」
「壊すなら早い方がいい?」
「そうです。」
「逃げるならさっさと逃げた方がいい?」
「その通りです。そして僕は尾田さんをもそうするかもしれません。」
「正直だね。アハハ!いいよ?それはこちらも同じだからね。」
「どういう事です?」
「はい、餃子2皿と肉野菜炒めです。お待たせ。あとこれ、小皿ね。」
中年女性が料理と小皿を運んできた。
なんの変哲もない餃子と肉野菜炒めだがまるで何かフィルターをかけたかの様に輝いて見える。
ユウは料理と同じ様に輝く目でビールを飲み干すと、尾田に会釈をして尾田が取り分けた肉野菜炒めを口に運んだ。
「美味しいです。」
「口に合ったみたいで良かったよ。さぁ俺もいただこう。とと、その前にほら、ビール。」
尾田はユウのコップにビールを注いだ。
「あ、すいません。ありがとうございます。あの…」
「ん?」
「それはこちらも同じだからねってどういう事ですか?」
「んん…。」
尾田はお茶を濁す様な返事をすると肉野菜炒めを口に運んだ。
そしてそれをゴクリと飲み込みユウの方を見ずにその答えを述べた。
「コレを覚えてきてほしい。で、今度のリハーサルでユウの実力を見せてほしいな。」
尾田はポケットからデモテープを取り出しユウに渡した。
相変わらずユウの方は見ていない。
「それって…」
「そう、オーディションみたいなもんだよ。」
「それって…」
「その出来次第で、ユウを裏切り、Blue bowを壊して、ユウから逃げてしまうかもしれないよ?だからこちらも同じってこと。そういう意味だよ。」
「それって…」
「うちらは対等な関係ってこと。どちらが上でも下でもない。」
「…。」
「もっと厳しい事を言わせてもらうと、あえて上下関係をつけるとすれば…ウチラが上だね。どうする?やるかい?Blue bowとは違ってとにかく速い曲が多い。手こずると思うけど…。今ここで断れば今までと変わらずBlue bowで活躍できる。だがユウがリハーサルに参加した事を知ったらモッちゃんは戻る事は許さないだろう。俺も加賀美も冷静に判断するし、贔屓もしないし、成長代も加味しない。酔わせてこんな選択を迫るのも卑怯だとは思うんだけど逆を言えばそれほど新田優という人間を欲してるんだよ。この飯が終わって俺の車でユウを寮に送る。そして俺の車からユウが降りる、その時までに答えをくれればいい。」
「尾田さんはなぜ俺がそんなに欲しいんです?そしてそんなに欲しいなら贔屓しちゃえばいいのにって思っちゃいます…。凄い失礼な言い方ですけど…。すいません…。」
尾田はユウの言葉には全く憤りは見せずに優しく返答した。
「リハーサルに来てくれればキチンとその質問に答えよう。さぁ、そろそろラーメン頼むかい?早く餃子食べちゃいな。」
「わかりました…」
『俺の信念は変わらない。欲に従って生きてもいいんだ。だから答えは一つだ。尾田さん。』
ユウは餃子を口に運び、数回噛んだだけで飲み込むと尾田の顔を見つめた。
「やりますよ。尾田さん。僕の欲はあなたと音楽をしたいと言っている。ならば自身の欲に従うまでです。」
尾田はユウの答えに苦笑いの様な笑顔を見せるとゆっくりと頷いた。
「フフフ…この裏切り者が…。欲の為なら簡単に仲間を切り捨てるか…。気に入ったよ。さぁこの手を握れ。」
尾田の差し出した右手を、ユウは身体を反し、右手でしっかりと握り返した。
『何だか…色んな事が一気に押し寄せて来るなぁ…なんでこんなに矢継ぎ早に…。うぅん…今…変化の時なのかもしれんな…。』
全てが変わろうとしている時は全てが猛スピードで変わっていく。
そしてその変化に耐えきれない者は脱落し潰れていく。
それは社会に於いても、どの世界でも同じだ。
ユウという実体が潰れないという保証はどこにも無いのだ。
それでもユウは走っていく。
泳いでいく。
沈む夕日を目指し、大海を目指し、その川を下っていく。
行き着く先などわからぬままで。