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【ひとり社長歴21年】起業▶3,11で被災▶再起▶コロナでドン底▶再々スタート。心折れず何度でも立ち上がったストーリー

昨今では、震災・コロナ・世界情勢の変化やAI(人工知能)など
テクノロジーの急速な進展により、ビジネス環境は大きく変化おり
物事の不確実性が高い「VUCAの時代」と言われています。

VUCAとは・・変動性(Volatility)不確実性(Uncertainty)複雑性(Complexity)曖昧性(Ambiguity)を指します。

震災・コロナを経験した私が、どんなマインドで諦めずに
逆境力を発揮して生き延びてきたのか?をお話します。

✓この記事はこんな人におすすめ
・昨今の世の中に疲弊している人
・問題を抱え挫折しかけている人
・まだまだ、自分は頑張れると奮起を目指している人

✓こんな希望が持てます
・人間はどんなドン底からでも再建できる
・ひとりビジネスでも仕組みがあれば勝てる
・孤独から脱してチーム戦で展開できる

はじめまして!中井政義と申します。

21年前にフリーランスとして脱サラ起業しました。

2003年~紆余曲折しながらも販促コンサルタントとして軌道に乗せる。

1996年~3人の子供に恵まれ、念願のマイホームを建てる。

2011年~東日本大震災にて自宅が高さ6メートルの津波に襲われ全壊。
     自宅、仕事を失い被災者へ転落!一時、生きる気力を失う。

2011年~震災を風化させてはいけない!と防災講演を開始。

2012年~被災地訪問者が急増し、震災語り部ガイドで伝承活動開始。

2014年~一般社団法人防災プロジェクトを設立、代表理事に就任。

2019年~防災講演・語り部ガイドにての伝承人数が40,000人に達する。

2020年~新型コロナウイルスの影響で伝承活動の9割減少

2023年~ニュースレター・マーケティングで企業の支援再開

こんなジェットコースターのような人生を歩みました。
この記事では、副業から脱サラ起業、そして震災・コロナなど「人生は何度か奈落の底に突き落とされる!」という経験・教訓を書きました。

もし現在、岐路に立たされている方、新たなビジネスに取り組もうとしている方、安定収入のビジネスを探している方の一助になれば幸いです。

135分コース⑤

▼運命は突然に!

26年前、私は安い給料・仕事の内容・会社に対し不満を待つ
サラリーマン工員
でした。

ある日、たまたま立ち寄った書店で「ビジネスチャンス」
というビジネス雑誌を目にします。

「なんだこの本は?・・」
今まで感じたことがない衝撃が走ります。

気づくと、何か引き寄せられるようにその雑誌を
手にしている自分がいました。

誌面をペラペラとめくっていくと・・

巷で売られている、テレビCM等で目にしたことがある商品と
「代理店募集」というワードが目に飛び込んできました。

「そうか、あの商品も代理店になれば自分で販売できるんだ!

世の中の商売の仕組みを知った瞬間でした。
と同時に「とらぬ狸の皮算用」をしている自分がいました。(苦笑)

そして、迷うことなく

ビジネスチャンス誌をスタスタとレジに持って行き
財布を開きお金を払っている自分がいました。

一目散に家に戻り、貪り(むさぼり)つくように
「金の成る木」と錯覚し読み漁った記憶があります。

     ・以下は、あくまでもイメージです。(苦笑)

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全てが新鮮な世界で、テンションが上がりまくっており
ほんとワクワクしましたね。

そして、どうしてもソソられるが
「月商500万突破」とか「楽して儲かる」的な言葉でした。

▼甘い罠、落とし穴があるとは・・

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正直、理性を失ってしまいました。

ビジネス経験、ど素人の私はお金の魔力、欲望に勝てませんでした。

結局私は、副業からビジネスをスタートする決意を
固めて
しまいました。

(当時)16年間工員サラリーマン経験しか無い、
営業経験ゼロ、名刺1枚すら持ったこともない

ビジネスのド・ド・ド素人が「生活を裕福にしたい!」
踏み切った無謀な決意でした。(苦笑)

時代背景は、インターネット回線が
ダイヤルアップ(←死語です)の時代で
ホームページを持っている会社すらまだまだ少ない時代。

もちろんブログなんてものも無いし、
動画なんてテレビでしか見れない時代です。

なので、副業・起業情報の入手手段も
雑誌とか新聞がメインで

その中心が、ビジネスチャンス誌、
頭で儲ける時代、アントレという雑誌
でした。(懐かしい)

       以下は・・今は廃刊となった頭で儲ける時代

頭で儲ける

3誌には代理店募集、フランチャイズの案件が
たくさん載っていましたが、フランチャイズ開業
100万以上の投資が必要になる案件ばかりでした。

資金がない私が選んだのは結局、

小資本でスタートできる代理店ビジネス
商品は「自動車の燃費を向上させる」というものした。

構造は、円柱型の特殊金属で出来ていて、
ガソリンタンクに入れておくだけで
燃費が向上・馬力がアップするというもの。

それも半永久的に使える!
「特許を取得した画期的な商品」
というものでした。(今考えると怪しい・・笑)

広告によると「成功者続出!」
「月商500万達成者が多数」
とか
美味しい言葉がビシバシ踊っていました。

▼ダマされるなんて他人事でした

ビジネスど素人の私は・・

広告内容を信じ、資料請求し、読んでいたら・・
なんか自分も儲かる気になってしまいました。(笑)

要はガソリンを大量消費する運送会社などと
大口の取引が成立すると一気に数百万の売上になる
という話でした。

それはそれで「な~るほど・・」と納得してしまいました。
これがその後、地獄へ向かう第一歩でした。

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同時に・・

別のある広告にも目が留まり、めっちゃ興味を持ちました。

それは、当時うなぎ上りに普及していた携帯電話ビジネス!
この時期は、まだドコモのiモード(←これも死語)
が出たあたりの時代背景

その携帯電話の液晶画面(当時液晶画面は白黒)の裏側に
一旦携帯電話をバラしてシールやプリクラなど
好きな絵柄を加工挿入すると

発信・着信の時に液晶が明るくなった時点で
挿入した絵柄がカラーで浮き出るという
通称「プリントテレホン」というもの

その携帯電話液晶加工ビジネス&加工キット販売にも
興味を持ち、こちらも資料請求しました。

こちらの液晶加工ビジネスもビジネス雑誌の広告に
1台の加工時間10分、加工賃が4~5千円

粗利益99%という文言があり、「すげ~っ」
という感じで、資料を請求しました。

要は広告ですから、どれもこれも「楽して儲かる風」
書いてあるわけです。(笑)

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そりゃ~ビジネス未経験者には「そうなのか~」と
安易に真に受けてしまう現象が起きます。
(ビジネスに罠・落とし穴があることすらわからない)

生まれたばかりの赤ん坊が
右も左もわからないのといっしょで

ビジネス界に首を突っ込んだばかりの初心者も
ビジネス業界の光と影、表裏も分からないわけです。

まずもって判断基準自体がありませんから、
そういったビジネス本部のセールストークを
全て信じてしまうのですね・・

相談者もいなかったので・・。(汗)

これは誰でも通る
もしあなたが副業・起業の未経験者だったら
これから起こりうる、ビジネス界の登竜門です。

今、成功している方々だって
一度や二度はダマされていることは間違いありません。

それだけセールストークひとつで
相手をその気にさせることができるのです。

話は戻りますが、慎重派だった私は結局・・

興味を持って二社から資料請求したものの
一歩踏み出せなかったのですね・・

資料を読んだだけで参加を決める勇気がなかったのです。
(正直言って怖いというか・・本当に慎重派でした・・汗)

そこで、この二社に訪問して話を伺う事に決めたのです。
繰り返しますが、私はまだサラリーマンです。

結局、土・日の休日を利用して

埼玉県の「自動車の燃費を向上させる商品」
を販売するA社と

翌日は神奈川県の「携帯電話液晶加工
ビジネス本部」B社の社長に話を聞きに訪れました。

そこで実際に二社の社長から話を聞いて、なんと!・・

なんと!・・なんと!~

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2つどちらのビジネスにも
参加したくなってしまったんですね・・
儲け話に目がくらんで・・(妄想族です!苦笑)

今思えばですが、なにせ商売なので先方の社長は
マイナス要因になることは言いませんからね・・

「楽して儲かる」的な良い話ばかり並べてきます。

そして、お恥ずかしい話
両方のビジネスの代理店になってしまいました!!(汗)

液晶加工ビジネス

▼すぐ資金回収できる=幻想だった

しかし、安月給の私にとって
決して開業費は安くはありませんでした。

「自動車の燃費を向上させる商品」は
商品仕入れと同時にビジネス権利が持てるという契約。

結局、15万円のお金を払って代理店権利を得ました。

「携帯電話液晶加工ビジネス」は
10万5千円で開業キットを購入

さらに、エリア内で代理店を獲得できる権利と、
地域の加工独占権をプラス40万円払い
総額50万超えで契約しました。

月給、22万そこそこのサラリーマンの身分で
安い投資ではありません。(←しつこい)

この時点で、初心者は的外れな勘違いをします。

「わたしは、ビジネス権利を得た!これで儲かる!」
「通帳をATM機に入れれば、呆れる位ジージー入金記帳される~」

この意味わかりますか?(大きな勘違いというやつです)

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「代理店の権利を取った!さあ~これで安心、
これからバンバン儲かるゾ~・・将来安泰だ!

とんでもなく、おめでたい勘違いをしているアホです。

天の声:「誰が儲けさせてくれるの?」
わたし:「いや・・あの~本部があるから本部で
     色々儲かるまで教えてくれるから・・」

教訓! 代理店ビジネスの場合:

参加する前に本部で用意してくれる販促品や
サポート体制をきちんと確認して

そのツール・システムで
集客・成約できるかどうかを見極めること。

自分が見ても、ちっとも欲しくならない販促品
(チラシ・パンフレット)では、
誰が見ても買わない。何よりも購買心が湧きません。

既にあなたは想像がついている事かと思いますが

ズバリ!あなたの予想通り
私は見事にこれらのビジネス両方とも失敗しました。(汗)

要はビジネスの「ビ」の字を知らないド素人が、
商品を売る!そして儲ける!

これは猿が木から落ちると同じくらい有り得ない話なのです。

▼貯金残高は右肩下がり・・

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今なら自己分析できます。
初めてのビジネスがなぜ失敗したか?が明確にわかります。

しか~し、ビジネスの「ビ」の字も知らずに
ビジネスをしている最中は、間違っていることを
「それが正しい選択」と思って行動しているわけだし

そもそも判断基準が無いですし、相談者もいないので
正しいことをしているのか?間違ったことをしているのか?
それすらもわからないわけです。

ぶっちゃけ、赤字街道へまっしぐらな行動をしていても
黒字に向かっていると思い込んでいますからね。

今だから分析できる失敗要因!

まず・・

【1】勝手な思い込み:
よく商品発売前に市場調査やアンケートを取ります。
それはその商品ニーズがあるかどうか
チェックするためのものです。

要は調査・アンケートで誰も欲しがらない物は
売れない
ということです。

【2】売り方を知らない:
商品販売権利はお金さえ払えば誰でも手に入ります。
しかしイザ売る場面になった時、その商品が
どうやったら売れるのかが、わからないのです。

いくら優れた商品でもマーケティングを知らないと
売れない
のです。結局宝の持ち腐れです。

【3】集客法を知らない:
では、多くの人に知らせるんだな!でもどうやって?・・
知らせる方法はたくさんあります。

口コミ・チラシ・DM・インターネット・・

これらは代表的な告知方法ですが、
実際はどの告知方法にも反響を上げる細かいノウハウが
必要
となります。

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【4】本部がちんぷんかんぷん:
実は代理店本部自体が集客法や成約させる仕組み、
その後のフォロー体制などなど、
儲かる仕組みを知らないのです。

だから、権利を与えてハイ頑張って!と知らんぷり!
という場合が多いです。

【5】結論!:
そう!「楽して儲かる」ことはありません。
それは幻想です。もし楽して儲かったとしても
それは運であり一時的
でしょう。

一生楽して儲かるビジネスがあったら、
誰にも言わずコッソリ・・と自分と身内だけで、
その金の生る木のビジネスを
「寝る間を惜しんで」やっているはず。

以上、私の失敗談・代理店参加型ビジネスの
問題点を列挙しました。(全てが勉強です!)

この他にも、あれも・・これも・・と手を出してしまい
MLMなど複数のビジネスをかじってしまいました。(汗)

まあとにかく、ビジネス誌には雨後の筍ように
次から次へと胡散臭いビジネスが出現してきます。

基本、資料請求は無料なので色々なビジネスに
興味を持ち、資料請求→参加という行動を繰り返すも
1円にもならない・・

今後こそは・・今後こそは・・悪循環となり
儲けることもなく、さらに貯金残高は右肩下がりに減っていきました。

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例え一時、少しは稼げても赤字になったビジネスの方が多く

例の「自動車の燃費を向上させる商品」なんて
1個も売れずに在庫として物置で眠っていました。(苦笑)

もう・・にっちもさっちも行かなくなった時
独立開業誌アントレの小さな無料広告に目が留まります。

▼電話をジャンジャン鳴らす方法!

そんな胡散臭い広告を見つけ小冊子を1,500 円で購入し
届いた小冊子に同封されていた「顧客獲得実践会の入会案内」

ここからは、日本一のマーケッターと称される

神田昌典氏主宰の顧客獲得実践会の会員数が
まだ100 社にも満たなかった1998年当時の話に遡ります。

神田氏

神田昌典氏を存じない方は、後で検索してみてください。
顧客獲得実践会という組織は2003 年をもって休会しましたが
1998年から5年間で会員数4,000 社を超える伝説の組織となりました。

話を戻します。

小冊子に同封されていた案内資料に興味を惹かれた私は
即入会しました。(意外とこういった行動は早いです・・苦笑)

会員はゴールド会員とシルバー会員の2種がありました。

散々お金を使い果たしていた私は
お察しの通り?シルバー会員(安い方)で入会しました。

でも、期待感でワクワクしていたことを思い出します。

そして、届いたビデオ・マニュアルの教材。

はじめて目にするビジネス教材、
当時の私には衝撃的な内容でした!

VHSビデオ時代でしたので、
テープが擦り切れるまで何度見たことか・・

また毎月ニュースレターが郵送で届くのも楽しみでした。

神田先生のコピーライティングの魔力の虜になると同時に、
数々の実践例に惹かれて行きました。

優れたコンテンツを学び、マーケティングスキルで武装し
多少パワーアップした自分がいました。

が、しかし・・

実践力が足りておらず、
これといった結果が出せていませんでした。
(やはり、実践は難しいものです)

▼またも運命は突然に・・

確か1998年秋ごろ、参加者先着60名限定
顧客獲得実践会「初(第一回目)のセミナー案内」が
郵送で届いたのでした。

その名も「21世紀一番乗り勝ち組み合宿セミナー」
~刺激が強いので覚悟してお出で下さい~というもの。
(当時は、とても惹かれる凄いタイトルでした)

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セミナーの開催場所は
なんと、高輪プリンスホテル・貴賓館!
さらに、豪華なダブルルームに一泊二日という内容。

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参加費用は10 万円を越えで、なんと堂々の12万8千円!

月給22万円そこそこのサラリーマンの私には
涙がちょちょ切れるような超~高額セミナーです。

あまりにも高額で相当迷いましたが、神田先生の
魔法の言葉のオンパレードレターに惹き込まれ

結局、泣く泣く?・・高輪プリンスホテルセミナーへ
宿泊込で申込みました。

総額で14万6千円、旅費も入れれば約17 万円!

35 年の住宅ローンに加え
(当時)幼子ふたり抱えるサラリーマンには
かなり、かな~り痛い・・痛すぎる出費でした!

申込書をFAXする手が何度も止まり
寸前まで迷っていました。(苦笑)

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21世紀一番乗り勝ち組み合宿セミナー

しかし、申込んだ決め手は以下です。

セミナー参加者が各自提出した資料(ビジネス)に
後日、神田先生自ら親身になってコンサルタント、
アドバイスをするという魅力的な特典が付いておりました。

これはまたとないチャンス!
当時は、そう思ったのですね。

だって、60名限定のセミナーに参加できて、
参加者はそのセミナービデオ(二日分収録)
セミナーの資料(最早、教材レベル)も全てもらえる。

さらに豪華昼食2回、高級レストランでのディナー
さらにビール飲み放題などの特典があるかわですから、
17 万円の出費も安いわけです?(苦笑)

当時の私は、実践会の教材で学んだといえども我流の素人
コンサルタントから対面で学んだことはありません。

ビジネスセミナー参加自体も未体験だったので
「かなり、かなり刺激の強いセミナー」案内でした。

▼あの超有名会社の社長も困っていました!

実は、限定60組の参加者の中に「有名な会社の社長さん」
が何人かおられました。

なんとあの健康食品通販の大手「やずやの社長」
どうやって事業を拡大させて良いか?困って神田先生の会員に
なっていたのです。

その後、一気に全国区になり、今の「やずや」があります。
それをずっと見てきました。すごいな~と思いながら・・

また、その時の参加者名簿がありますが、
ほとんどが社長か専務、常務という肩書きです。

私も一応屋号をつけておりましたが、
なんたって(当時)サラリーマンですからね・・(汗)

その記念すべき顧客獲得実践会初(第一回目)の
セミナー参加者60組のうちで

副業を成功させるために参加した変わり者?
間違いなく私だけでしょう!(苦笑)

▼頭をハンマーで殴られた感じ

そして後日・・

セミナー参加特典を利用して、前述の全然売れていない
「自動車の燃費を向上させる」商品をコンサルタントして頂き、
後日売り方のアドバイスがファイルになって郵送で届きました。

ワクワク・・ドキドキ・・

そして一瞬で、開封前の期待感がガタガタと
音を立てて
崩れ落ちました。

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その時のアドバイスは
「そんなビジネスは儲からない」とも取れる内容

「頭をハンマーで殴られた感じ」とはこのことか・・
と思いました。

要は、販売に苦労するわりには、あまり儲からない・・
ということ。そもそもリピートも無いし・・。(汗)

こういった経験を経て
「儲かるビジネス・儲からないビジネス」の判断力
きっちり身について行きました。

そして・・

▼アホとしか言えない、無謀な脱サラ起業!

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当時、36歳。

私は脱サラ起業(独立)を決意します!

今振り返っても無謀な行為と猛省しています。

もし、タイムマシーンがあって脱サラ前の自分に伝えること
ができたら、すぐさまこう伝えるでしょう!・・

「お前には起業は無理だ・・やめとけ!
そんなに甘くないぞ!家族で路頭に迷うぞ!」と。

当時の私は、めでたいほど自信過剰
なっていたのでしょうね。

妻も「私が言い出したらあきらめない」
という性格を知っていて、嫁ブロック無し
すんなり起業できました。

さて、あなたは気になりませんか?
この男は「何のビジネスで起業」したのか?・・と。

これまで散々失敗してきましたら、イザ起業する
となると、それは・・それは・・慎重になります。(苦笑)

当時、ビジネス誌を穴が開くほど読み返し
目に留まったビジネス、それは・・

開業金30万円で可能な出版フランチャイズ事業でした。
※以下、フランチャイズ=FC

私は20代の時、印刷会社でデザインの仕事をしており
印刷会社ではミニコミ誌の広告も手掛けていたので
本(媒体)には馴染みがありました。

なので、自分の媒体が持てることにあこがれを
感じていたのです。

というわけで、出版といっても地元ローカルな
ミニコミ誌ですが「一生の勝負」に出たわけです。

ミニコミ誌といってもタウン情報などカテゴリーが
いっぱ~いあります。

戦略として希少性・話題性を狙い、地元エリアに
求人誌がなかったので、私は「求人誌」に
的を絞りました。

そうと決まれば行動は早いです。

FC本部と契約を済ませ、創刊までのスケジュールを
作り上げ
ました。そして創刊前、これまでのスキルで
FAX・DMの原稿を作り

「地元初の求人誌発行!」という触れ込みで
マスコミ各社にプレスリリースを配信しました。

すると、読売新聞から取材を受けることになり
まだ求人誌完成前ですが、なんと記事掲載されました。

してやったり・・ガッツポーズで飛び跳ね、喜びました!

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完全に舞い上がり、脱サラ後の人生が薔薇色に見えました。
将来安泰!そんな勘違いをしてしまいます。

▼世の中・・そんなに甘くね~んだよ!

私はひとりで起業しました。

何でも・・出版FC事業の本部の言い分は
「女性でも一人でも活躍されている方がいます」
というもの

真に受けた私は、ひとりで何とかなると挑戦しましたが
そこには、大きな落とし穴がありました。

私の求人誌は月刊誌で、
ミニコミ誌の収益は「広告」です。

制作や印刷、書店への配本は
FC本部で行ってくれるので、私の仕事は

大まかなレイアウト構成と広告主を集めること
そして広告主との校正作業のやりとりです。

一人で広告営業(外回り)+校正作業は
何度も原稿修正があり、思うほど簡単に進みませんでした。

ネックは、これから創刊する媒体ということで
実績が証明できない・・

「本当に創刊されるの?・・」
信じてもらえないわけです。

未創刊だから広告効果(費用対効果)すらわからない。

正直、はじめから分かっていた部分もあります。

理由は、私の師匠の神田先生も脱サラ後の厳しさ、
貯金残高が減り続けるリアルな現実をお話していたので。

だから神田先生がやったように、
まず、マスコミを活用して記事にしてもらったのです。
媒体の二次信用を利用するという古典的な手法です。

それでもやはり苦戦しました。

しかし、苦労はしましたが何とか創刊できて
地元書店に「完成した求人誌」が並んだ時は、
感無量でウルウル状態でした。(涙)

ほんと、うれしかったです
妻の友人もお祝いの品をくれました。

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結果的に、求人誌発行前に読売新聞
発行後に日経新聞・地元新聞から取材を受けることになり
見事、3紙に記事掲載され、勝利の美酒に酔いました・・。

求人誌

しかし、喜びも束の間・・
次号の発行に向けて行動しなければいけません。

そんな時、衝撃的な新聞記事が目に留まったのです!

あのリクルートが発行する
県内の求人媒体がインターネット展開を発表!

この当時、求人情報は「紙媒体」で探すもの・・
そんな時代です。

しかし、時代はインターネットという
文明の利器を求めていました。

正直、自分の求人媒体の発行部数を考えれば
利便性を含め、インターネット媒体に
勝ち目はありません。

さらに、重大な問題がありました。

▼実は・・創刊号は赤字出版だった!

そうです!お恥ずかしい話ですが
創刊号は思ったより広告が集まらず赤字だったのです。(泣)

そんな中の巨大な大手媒体ライバルの出現!

さらに・・
確実にインターネットが主流になる時代背景
(この部分は、先読み出来ていませんでした)

止めるなら傷口が浅いうちに・・

そこからの行動は早かった記憶があります。
そして今思えば、この早期撤退が正解でした。

早期撤退といえば、聞こえは良いですが要は
事業の失敗です。

夢見た起業、自信があったビジネススキル・・
ガタガタと音を立てて崩れ去りました。

そして・・一気に奈落の底へ

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妻・幼子3人を抱え、住宅ローンが35年。

完全に行き詰まりました・・。

こんなことなら、脱サラなんかするんじゃ無かった!
後悔した日は数知れず、眠れない夜が続きました。

そして、ここで学んだこと。

▼起業した人が必ず通る道。経営者は孤独!

そうです、相談する相手がいないのです。

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当時は、現在のようにインターネットでのコミュニティなど
無かった
ですからね。

このピンチを誰に相談すればよいのか?
焦れば焦るほど・・正当な判断力が失われて行きます。

窮地の私を救ってくれたのは
神田先生の顧客獲得実践会の教材とニュースレターでした。

もう一度、初心に戻りビジネスの再構築を考えました。

とにかく、無駄な資金はかけられない!

そこで起死回生のビジネスとして選んだのは
神田先生の顧客獲得実践会の手法(ビジネスモデル)
業種を変えて実践することでした。

私は、あの12万8千円神田先生のセミナーで、
知識・スキルをコンテンツ化して商品にする商法

神田先生が行っている情報起業が90%利益を生む
究極のビジネスということを学びました。

情報起業については、ロバート・G・アレン著の
億万長者入門の第9章にも書いてありますよね!
※知らない方は、後で検索してみてください。

そして今までの失敗や成功の体験の集大成として

物を仕入れて売る!ということではなく、
経験・スキルを活かし情報起業というリスクが低い
ビジネスを選んだのです。(情報起業家=インフォプレナー)

実は一時期、MLMに誘われ参加しました。

※MLMとは、マルチレベルマーケティングと言われ、
口コミで商品を流通させる仕組みです。
ネットワークビジネスとも言われます。

その参加したMLMの組織構築をするために
直ダウン獲得の仕組みとして神田先生から学んだ
ダイレクト・レスポンス・マーケティングを活用しました。

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※ダイレクト・レスポンス・マーケティングとは
「こちらからの働きかけに対して反応があった人に、
直接セールスをかけるマーケティング手法」のことです。

当時、MLMに興味ある方に対して

ダイレクト・レスポンス・マーケティングを応用して
セールスレターを送った結果、150名の直ダウンを
獲得
することができたのです。

MLM=友人を勧誘して人間関係が崩壊、
そんな実話がたくさんありますが

私の手法は、見込み客にセールスレターを送って
MLMの素晴らしさを伝え、充分に納得してもらい
その上で契約書にハンコを押印してもらう流れです。

一切、ゴリ押しをしないマーケティングなわけです。

でもこの手法(ノウハウ)は、MLM経験者だったら
ノドから手が出るほど欲しいノウハウだろう!
コンテンツ(書籍)化に挑みました。

そして・・

90日かけて作成した「自分の経験を書き上げた
マニュアル本」(印刷冊子)を発売し1年半で
850冊以上販売しました。

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代理店制度も設け、結局この事業で
2,000万円売り上げ
ました。

ここで学んだことは、メンターを定め
「学んだ通りに素直に実践・努力した」
ということです。

この時のビジネスモデルは
顧客獲得実践会を参考にしたので会員制の組織です。

最終的には、会員756名のクローズ組織となり
ニュースレターも毎月16頁ほど執筆し、印刷して郵送で
お届けしていました。(ここも神田先生のビジネスモデル)

代理店もおりましたので、代理店も利益が出るような
販促ツールも作成
し、色々とサポートもさせていただきました。

その時、代理店からうれしい感想を多数いただきました。

▼カッキーン、起死回生の大逆転!

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気をよくした私はさらに攻めます!

そしてその後、第二弾の情報コンテンツ
「ひとりビジネス開業講座」(冊子3部作)を発売し

インターネットを使わずビジネス雑誌の広告で
400万円売り上げることに成功しました。

ひとりビジネス

この時の時代背景ですが・・

確かウインドウズ98があり、インターネットが
結構普及してきており、ソフトバンクが
ADSL回線のルーターを無料配布していた時期です。

まだ「アフェリエイト」という手法が
無かった
か、出始めの時で

当時は、情報起業という言葉はあまりネット上で
知られていない時代です。

この数年後、情報起業家(情報商材)が蔓延して
詐欺・悪徳商法というレッテルが張られるようになります。

一方、神田先生がブレイクした1999年あたりから
2003年、2004年くらいまでは、
情報商材はまだクリーンなイメージでした。

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私もその時期に参入していました。

ただ、2005年くらいから業界が荒れてきて、
詐欺ビジネス扱いされ、悪徳業者もザクザク出現してきて

目に余るものがあったので、一緒にされたくない・・
と思い、私は路線を変えました。

その後、
ダイレクト・レスポンス・マーケティングをベースに
企業の販促支援を開始しました。

販促セミナーを全国で開催したり

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企業を取材して、ニュースレターを個別執筆したり

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紙媒体を主としたチラシ、広告の作成など
神田先生から学んだマーケティングスキルを活かした事業です。

「販促支援事業」も売上を上げる成果が出せたので
経営者からうれしい感想を多数いただきました。

このようにインターネット完結ではなく
アナログ的な地味な活動でしたが、楽しくビジネスを
行って
しました。

しかし・・2011年3月11日14時46分

▼東日本大震災発生!自宅付近で死者318名

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海から400mの位置にあった私が住む集落に
高さ6mの津波が襲来。(6mは二階建てをのみこむ高さです)

集落は壊滅、犠牲者は1歳の赤ちゃんから
90代のご老人まで318名に達しました。

仮埋葬
↑遺体が仮埋葬されている現場、ここは元々サッカー場↑

あの日、突然人生が180度変わり、
想像を超える苦しみを味わいました。

幸い家族5人は無事でしたが自宅は築15年で全壊。

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残念ながら夢のマイホームは全壊扱いでローンを残して解体されました。

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自宅での仕事環境すべてを失い、1カ月間の
避難所生活
を強いられ、仕事ができない状態に・・。

その後、身内や友人・多くの知人を失った悲しみに苛まれ
さらに、仕事再開の目途が立たず不安な生活を送りました。

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2020年、コロナパンデミックでも同様のことがありましたが

当時も数ヶ月経っても復興が進まない政府への怒り
不安を煽るマイナス思考の報道のマスコミへの憤り、
本当に何もできない無力感でいっぱいになりました。

しかし、悪いことばかりではありません。

『命の大切さ・生きる力・働く意義』

『命を守る防災力、絆を保つ人間力の必要性』

『折れない心を持ち逆境力を発揮する方法』など

たくさんのことを学びました。
そして再起を決意した時、私は以下の言葉が思い浮かびました。

▼この世が焼け野原になっても“紙とペン”があれば、再起できる!

時は戻せないため、起きてしまったことは仕方ありません。
しかし現実は待ってくれせんし、非情です!

一刻も早くこの地獄から再起しなければ・・

ですが実質、借金が残るマイナスからのスタートです。
なので、自らを鼓舞しました。

私には資金ゼロからビジネスを創り上げる
スキルが身についている・・。

しかし、街が壊滅して復興が程遠い状況では

マネタイズするには、県外に向けて情報を発信する
再開方法しかありません
でした。

ところが、これまで蓄積してきた
ノウハウ全てが詰まったデータ(ソフト)や
パソコン(ハード)は、すべて津波で流されているので

簡単に事業が再開できません。

それより一番悩まされたのが
従来の仕事に対してモチベーションが上がらないことです。

モチベーション

これは経験者しか理解できないと思いますが

15,899人が命を落とした大災害を目の当たりにし
仕事に対する使命感が変わってしまったのです。

前述した(震災後のあらゆる出来事での)
悔しさ・悲しさ・不安・怒り・憤りなどなど・・
腸が煮えくり返る思いを繰り返しているうちに

私を動かず原動力・使命感が「震災を風化させない!」
という、その一点になっていきました。

そしてやっとライフラインが普及した
2011年4月中旬

ブログを開設して、情報発信する決意を固めます!
紙とペンではありませんでしたが、

「この世が焼け野原になっても“紙とペン”があれば再起できる」
この行為を「ブログ」という電子媒体で開始します。

2011年4月29日午前9時48分51秒に震災後の初ブログをアップ!

その後のブログ記事はドンドン拡散され、アクセスは1日3,000を
超えて
いきました。

このブログがキッカケで新たな生業が完成しました。

実は、ブログ開設当初から私はある仕掛けを
施しました。

ここで、仕掛けをこっそりお教えします!

3月11日、発災直後から停電期間1カ月。

電気

2011年の4月上旬に入ってやっとテレビを見ることができました。

あっ、補足しておきますと・・

津波で家電や家財道具はすべて失っているので
兄の家からもらった古~いブラウン管テレビでの話です。(笑)

話を戻します・・。

震災から1カ月以上経ちました。
発災後から避難所生活で一切テレビ報道を見ていない私たちは

まだまだ世間では・・
連日、津波報道で持ちきりだろう・・

そう思って、兄からもらったテレビのスイッチを入れてみると

「あれっ?・・
全然、津波の報道やっていないな」(汗)

それどころか
「東日本大震災=福島原発がメイン報道だな」

そうなんです、震災から2~3日後には
福島第一原子力発電所の報道がメインに
なっていたようなんです。(知らなかった!)

補足ですが、前述の流れでやっとテレビが見れた時、
津波報道が無くて、何としても3,11の津波の映像が見たいので
最終手段としてYouTubeにアクセスしました。

多くの国民がテレビでリアルタイムで見た津波の映像を
被災者当人が、1カ月以上経って初めてYouTubeで見るという
なんとも悲しい?笑える話です。(苦笑)

そこから情報を入手するためにテレビ報道をたくさん見ました。
しかし、徐々に違和感を感じます!

報道番組が「被災地の子供神輿のお祭り映像」など
「復興」に向かっているニュアンスの報道が増えていきます!

「おい、おい、ちょっと待ってよ!報道さん
この時期に復興なんて、話(ストーリー)を作り過ぎだろう・・

その後も復興をテーマとした(話を美談化した)
視聴率重視=台本ありきの番組が増えていきます。

復興という言葉がテレビから流れるたび

私の腸(はらわた)は、グツグツ・・と
人生最大の煮えくり返り方をしていました。

▼マスコミは“マスゴミ”なのか?

「ふざけるな!」

復興という言葉を易々と使うんじゃない!

この憤った時期は、2011年4月中旬ごろです。

その時期は・・

被災地中、どんどん増える瓦礫の山とホコリに覆われた
火山が噴火したような灰色の世界でした。

要は「復興」どころか、まだ「復旧」すらしていないのです。
その証拠をご覧いただきます。

まず、1枚目は震災から1ヶ月後に地元新聞に掲載された
私の自宅があった東松島市大曲の集落空撮写真です。

大曲

補足すると、ヘドロが乾き灰色の世界、大型船が何隻も上陸した状態。
川に架かる橋の中央は崩落し、田園にはまだ津波が一面残った状態!

さらに付け加えると、崩落した橋の架け替え完成は8年半経った2019年秋。
2024年1月現在、この地には瓦礫の山が残されています。以下です。

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復興の遅れは東京オリンピックが影響しました。
人材不足に資材高騰(建物の建設費が約2倍に)
その東京オリンピックも延期になり、まさに悪循環の連鎖です!

さらに、震災から約1カ月後に私自身が撮影した写真を公開します。

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↑東松島市の自宅付近の惨状、地盤沈下で水が抜けず半年間この状態だった↑
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↑東松島市の自宅付近の運河から引きあげられた車、そちこちに被災車両が↑↑
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↑東松島市内の駅の惨状、線路がめくれ上がり路線移転復旧まで3年要した↑
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↑東松島市内の瓦礫置き場、隣町石巻市では、なんと100年分の瓦礫が出た↑
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↑4~5階のビル相当の高さの約18メートルに津波が襲来した女川町中心部↑
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↑残念だがこういった被災車両からも物色して盗人をする輩もいた↑
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↑南三陸にある三階建て建物の屋根に、瓦礫が大量に乗っかっている惨状↑
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↑頑丈な軽量鉄筋製のハウスメーカーの建物もオモチャのように流された↑
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↑液状化によるマンホールの突出現象も数知れず!至る所で起きていた↑
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↑津波が4階まで達した建物、その右側の瓦礫の山が3階相当に達する高さ↑
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↑これもハウスメーカーの軽量鉄骨製二階建てハウス、原形がない↑
画像58
↑原形が分からない車両が無数に田んぼにある状態、想像を絶する威力だ↑
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↑三階建ての屋上に、日産シーマ(大型高級車)が乗っかっている状態↑
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↑船が建物に乗っかっている光景も多数、二階建てに乗っている船もあった↑
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↑津波の力で女川町は三階建てビルが横倒しに!それも複数棟が倒された↑
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↑車が津波の力でブロック塀と住宅の間に押し込められている状態↑
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↑多くのお寺が全壊し、墓石も流され骨壺から骨が流出した事例も多数↑
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↑津波火災によって犠牲になった方は、遺体損傷がひどく身元不明の方も↑
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↑ライフラインが全て壊滅し、一面瓦礫の状態に復興の二文字は該当しない↑
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↑津波で約1,700戸の住宅が、約3分で流され膨大な瓦礫の壁に姿を変えた↑
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↑自衛隊員の人間力に感服!家主のために思い出の品を玄関に揃える気配り↑

写真で見てもあまりピンとこないかもしれませんが
現場では、五感で感じることができるため

マスクなしでは呼吸できないほどのホコリの街
3万トンの魚が腐敗し、悪臭漂う街
ご遺体が仮埋葬(土葬)される一方、遺体捜索が続く日々。

とてもとても復興には程遠い状態が確認できました!

それなのに、無責任に「復興」という言葉を使っている!
だから、憤ったのです!

そしてその時、こう思ったのです。
この状態では、国内最大級の震災でもすぐ風化してしまう!

マスコミによる「事実とニュアンスが違う報道」
今後も継続される限り、どんどん震災風化が加速するだろう!

真に受けた国民が勘違いしてしまう。

これらの経緯からその時期に蘇ったのが

阪神淡路大震災や新潟中越地震
思ったより早く風化した・・という記憶でした。

ということは、一定数の方が

私のように「風化すること」を悔しく
残念に思っている層の人がいるはずだ!

その層の人たちの真意は
「風化させたくない」ではないだろうか?

そこで私は「風化させない」というテーマに絞り
一点突破でブログ(日記)を書くことにしました。

ブログ記事も「風化させない」の内容に統一し

任意団体を作り、(といって一人ですが)屋号を
「東日本大震災を風化させない活動推進センター」
としました。

すると、5月の段階で
「風化させない」のキーワードでネット検索した
福岡県の日本青年会議所のメンバーから連絡がありました。

先方曰く・・
東日本大震災を風化させたくないので

「震災を風化させない」というキーワードで検索したら
唯一、おたくのブログにたどり着きました。

「ぜひ、講演をお願いしたいのですが・・」

その後、これまで防災講演を100回以上継続しています。

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このように市場の心理、変化を先読みすることで
運よく仕事に発展しました。

そして、防災講演・被災地語り部ガイドという生業に発展!

9年に渡り、被災者しか語れない体験談を
国内外、延べ40,000人以上に対面で伝えてきました。

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90分コース⑥

その間、活動が認められ、テレビ・新聞・ラジオなど
マスコミに多数出演させて頂きました。

芸能人アイドルを被災地ガイドする番組まで収録、放映されました。

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このようにどんなドン底、試練があっても
事業を再生させる知恵とスキル、逆境力があれば
何度でもやり直せます!

しかし震災から9年、新たな試練に直面しました。

リーマンショックや東日本大震災など
数々の大きなピンチを経験した私でも

今回、新型コロナウイルスという未知の体験
したのです。

例外に漏れず
2020年3月から防災講演、被災地語り部ガイドの仕事が
キャンセルまたは延期などで危機的な状態です。

仕事が9割減りました!

でも焦らないのです。
私的には東日本大震災の時よりマシです。

震災の時は家や車、家財道具や仕事に関する機材など、
命以外、ほぼすべてを失いましたからね(苦笑)

▼「生きている」と「生かされている」の違いとは?

被災してあらゆる価値観が変わりました。
震災直後は、毎日が非日常的な世界でした。

そして、これまでに存在した当たり前の世界は、
作られたもので実は当たり前ではない!

ということを実感しました。

震災前は、
自分は「生きている」という自分中心に考え。

震災後は、
自分は「生かされている」ありがとうございます。

謙虚な姿勢になり、生き方が変わりました。

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▼さらに大きな変化がありました!

発災直後は、先の見えない不安に襲われましたし
この先、どんな状況に陥るのか?

未来が想像できない恐怖に苛まれました!

夜が明けるのが怖かったし
目が覚めると現実が待っていた。

「明けない夜はない!」という言葉がありましたが
「明けた後が地獄なんだよ!」という気持ちもありました。

自分は今後何のために生きるのか?
果たして生き続ける意味があるのか?・・

避難所生活で自問自答した時期もありました。

しかし、多くの支援に希望を見出しました。

自分を鼓舞して、心の復興を誓い、モチベーションを保ち、
自律力を維持しました。

結果・・

「復興」を成し遂げたのです。

そしてその過程で
「逆境力」「人間力」と「防災力」が身に付きました。

あの大震災で被災者になったからこそ体験できた
一部の国民だけが身につけることができた宝の資産です!

あの日・・わが子を残し、家族を残し、生きたくても
生き続けることができなかった多くの犠牲者の分まで

運よく生かされた私は、どんな苦境に陥っても
震災で学んだ”逆境力”を発揮し、折れない心で生き続け
震災を伝承していかなければなりません!

が、しかし・・
この伝承活動も現在は世代交代が進んでいます。
震災当時の小中学生が大人になり、震災語り部として活躍しているのです。

要は、新たな人材が育ってきているのです。

このような必然ともいえる変化もあり、2011年から震災を語ってきた当時の中高年はもう役目を終えようとしています。

私もそれを肌で感じ、ならば・・
人生の締めくくりは、かつての本業であり、私の人生を変えてくれた
「ダイレクト・レスポンス・マーケティング」で社会貢献しようとマーケティング活動を再開しました。

ダイレクト・レスポンス・マーケティングの中でも一番の十八番であるニュースレターの支援ビジネスをスタートさせました!

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