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オタ活が幸せに作用しない

 昨日から夜になるとイライラしてすぐに寝る気にならない症状が出ている。趣味のオタ活のXを見てはスマホを閉じ、また開いてはインスタを見て、また閉じて。
そのうちイライラがマックスに到達し涙が出る。生きていたくなくなる。全てが試練の様に感じる。つまらなくなる。死にたくなる。

どうしてゲームみたいに人生は好きなところで終わらせることができないのか。私の生まれる努力と母親の生む努力によってスタートしたこの人生。終わらせたかったら終わらせられたら良いのに。

 今日話したかったのはあんなに私の人生を支えてくれたオタ活が全く機能しなくなっていることだ。前は「ライブに行くために生きている」なんて言っていたし、実際ライブに行って、普段はカフェやテーマパークでオタ活して、それが楽しかった。生き甲斐だった。でもそれが今、辛いことになってしまった。価値観の合わないオタクの友達、無駄に競い合うコミュニティ、推しへの信頼の欠如、推しのプロ意識の低さ、いつ推しに降りかかるかもわからないスキャンダル、全てが鬱陶しいし、怖い。

 プラスな感情をつかさどっていたはずのものが、マイナスな感情に作用してくるようになった時どうすれば良いのだろうか。これも躁鬱病のせいなのだろうか。だとすると、すごくタチが悪い。楽しいを苦しいに変え、生きることをさらに辛くする。死への感情を高ぶらせる。

 今は躁?鬱?と聞かれてもよくわからない。夜眠れないのは躁、何もかも楽しくないのは鬱、死にたいのは鬱、やっぱり混合状態なのか。混合状態はどれくらい続くのだろう。長くないか?まぁ、もともと双極性障害II型なので躁の起伏は激しくないのだ。
だから誰彼構わず話しかけたり、友達に連絡をとりまくったりすることはない。自分から友達を誘う時は躁傾向なのだと思うけど。だって鬱の時はとてもじゃないけど会えない。会いたくない。都内に出られない。
今の状態は「会えるけど長い時間はいられない」、「都内に行くのはめちゃくちゃ頑張ってできる」という感じ。

 推しに対して話を戻すと、こんな感情が増えた

  1. 推しの仕事=人気を素直に喜べない

  2. グループを好きになれない

  3. オタ友が目障り

  4. SNSをやめたい

  5. 推しの髪色やアクセサリー、身なりが気に食わない

  6. 推しを信用できない

  7. 推した先に何があるのか考えてしまう(そんなことは推すにあたって必要ないことはのはわかっているのに)

  8. 情報を追うこと全てに義務感を感じる


総じて苦しい。SNS見ないようにした方が良いかな。少し離れた方がいいかな。
離れたらなにをするんだろう。ずっとそれに支えられてきた私は、何を支えにして生きていけば良いのだろう。虚無。死。こればかりだ。

やっぱり鬱が強い。でも躁だから眠りにくい。だから考えてしまう。だから混合状態は辛い。でも躁の波がI型に比べて激しくない双極性障害II型の人たちって、躁になった時に鬱が全くないなんて状態になるのかしら。鬱は常に隣にいて、背中に張り付いているような感じがする。私の場合は、だけれど。

でも私は、こうして文章にすることによって少し落ち着く。程よく疲れるから眠くもなる。今日、夜アルバイトに行ってきたから疲れているはずなんだけれど。イライラが勝ってダメだった。躁鬱病の人にとって働くってなんでこんなにも難しいのだろう。辛い。

 いっそのことオタ活をやめるなら全部辞めたい。働くことも辞めたいし、気が向いたら起きて、食べて、また寝る、しかしたくない。オタ活がなくなるなら働く必要なんてない。でも、全部辞めたら回復がますます遠のいてしまう感じもする。難しい。

かっこいいだけに感謝できたら良いのに。
自撮りを上げてくれることだけに感謝したら良いのに。
近況を嘘でも話してくれることに感謝できたら良いのに。
不特定多数に向けられた言葉を私にだけだと錯覚できたら良いのに。
笑ってくれているだけで癒されれば良いのに。
なぜ、欲張ってしまうのか。これは欲なのか。なんなのか。

あと一つ最後に、承認欲求捨てたい。本当にこれいらない。さよなら。

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