躁鬱病の躁鬱混合状態について
間が空いてしまった。
何もやる気が起きない日々が続いたというより、5月の最終週は無理にでも動いていた。その分動けなくなると思って6月頭はほとんど何も予定を入れていなかった。
家にいて、何もしたいことがなく、何もすることがない。バランスが崩れたのかもしれない。いい波にちょっと乗りかけていたのが、失敗してしまったような感覚。
6/2に友達と会った。行く前からしんどくて、待ち合わせに10分ほど遅れた。10分で抑えられたのが奇跡だと思った。今にもドタキャンしそうだった。
躁鬱混合状態は、発想はどんどん浮かんでくるのに、実際にそれをやろうとするとできない、体が動かないところが辛い。
自分で決めたことや自分が少しでもしたいと思っていることができない。
本当の自分はどれで、何を優先してあげたらいいのかがわからない。
無理してバイトに行った方がいいのか、休んだ方がいいのか。
バイトに行ったって楽しいことはないし、休んだって楽しいことは1つもできない。
どうしようもない義務感。
生きているのは義務だから、仕方ないから生きている。
以前は楽しめていた推し活も最近は義務感が勝ってしまう。
ずっとやってきたことだからやめてしまった後の自分が怖い。
義務感からブログを読み、義務感からグッズやコンサートをチェックし、義務感から雑誌を買う。全て楽しいとは言えないし心のワクワクの音が聴こえないのだ。
全てリセットしたい。
2年前のあの職場、新卒の時のあの状況、なぜ私だけがこうなってしまったのか。
中学の時の転校、高校の単位制へのコース転換、なぜ私がこんな目に遭わなくてはならないのか。
そんなことが頭の中をぐるぐる回る。
もういい。もう十分だ。
こうやって鮮明に過去の情景や人を思い出せるのも混合状態の特徴なのだろう。うつ状態ではぼーっとしうまく状況の整理ができなかったり、人に説明するのが困難だったりするらしいから、これだけ書けているのはきっと躁の方なんだろうな。
でも、できない。体が動かない。家を出られない。
すぐベッドに戻ろうとする、起き上がること、歯磨き、食事、トイレ、一つ一つが重く感じられる。鬱状態。
病気ってこんなに辛いんだなと、診断されてから改めて思う。
学生の当時は診断名がなかなかつかず、診断名が欲しいと思っていたけれど、あの時は診断名がつけられない状況だったんだ、と今なら理解できる。
だってあの頃よりもなぜだかどこから湧いてくるのかわからない力で、辛い思いをしているような感覚だから。
自分とは意図しないところで、自分がどんどん引っ張られていくような。
鬱状態なのに眠れないのだ。眠りが浅く、気持ちよく眠ることができない。
起きた時に「あー気持ちいい、もう少し寝かせて」という気持ちにならない。
「あ、起きてしまった。まだ何時か」という風になる。
時間が経たない。何をしていても1分1秒、1時間が長い。辛い。
中学の頃にも感じていたこの「長くて重い1日」がまた始まった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?