クリエイターは教祖なのか?(『完全教祖マニュアル』と『教祖誕生』から)
宗教は創作だと思う。そう言うと、必ず激論になるのでここでは深く扱わない。ただし、筆者は宗教を低く見ているのではなく、創作を高く見ているのだ、と考えていただけるとありがたい。
創作、例えば小説は人間を変える。社会を変える。世界を変える。そういうものだと筆者は考えている。
さて、本題に入ろう。今回考えたい問いは、創作は宗教なのか?ということだ。さらに限定すると、クリエイターは教祖なのか?ということだ。
なぜこの問いを立てたかといえば、Creepy nuts の『教祖誕生』という曲を聴いていたからだ。この曲とMVがかなり秀逸なので、ぜひ聴いてほしい。この曲を聴いてクリエイターはみな教祖になる危険があるのだということを実感した。
だが一方で、教祖と言われるほどに人気を獲得し、ファン(信者)に囲まれることはクリエイター冥利に尽きるのではないだろうか。
そんな時、『完全教祖マニュアル』という本が目に止まった。この本は、筆者の中で名著だ。意欲作と言ってもいい。宗教を作る側から考えてみた本だからだ。
この本では教祖のなり方が書いてある。しかも誰でもなれるという。実際には宗教を分析したり、宗教に対する防衛術を教える本なのかもしれないが、名目上はそういうことになっている。
この本においては、教祖はみんなをハッピーにすることが目的だという。これは、クリエイターも同じではないだろうか。
少なくともビジネスのように利益追求をするためだったり、学問のように真理を追及したりするには、創作は迂遠であると思う。
そのため、宗教とクリエイターは目的においては「みんなをハッピーにする」という点で一致していると言える。もちろん、個々の宗教やクリエイターがそれを最終目標としているとは言い難い。救済されるとかそういうものかもしれない。 だが、創作や宗教を活動全体として見ると、筆者にはそう見える。これを暴論と言ってもらっても構わない。もちろん筆者も暴論だと思っているから。
次に、対象についてである。宗教は最低でも自分以外に1人は信者がいなければ、教祖と言えないだろう。同様に、創作も1人も読者がいなければ、クリエイターと言えないだろう。
さらに、宗教も創作も、弱い立場の人や困っている立場の人たちに特に刺さる。それらは例えば、失恋ソングが人気だったり、貧困層に宗教が人気だったり、あるいは恋愛疲れの曲が常に上位だったり難病患者が宗教に熱心になりやすいことなどに現れている。
さて、個人的に特に宗教と創作が類似している点を挙げると、前提とカリスマである。どういうことかと言うと、まず優れた教祖やクリエイターは、あまり説明しない。信者やファンが勝手に解釈する。その解釈という作業まで含めて楽しいからだ。考察班と呼ばれる、解釈をしたいがためにファンになる人もいるくらいだ。神学者や仏教学者もそれに近いだろう。その結果として作品や教えは唯一無二の高みに登っていく。
解釈するのはいいけど、それも魅力的な教えや作品だからするのだということに対しては、その魅力の支えとなるのが前提とカリスマだ。
前提は例えば、仏教で言うと輪廻転生、太宰治で言えば自殺と付き合い続ける、などといったことである。基本姿勢と言ってもいいだろう。それさえ提示して、あとは読者に載せられるものがあれば、あとは皆が解釈・批評してくれる。つまり勝手に素敵な読み方を考えてくれる。
その時に重要なのはカリスマだ。作品内でもそうだし、生き方を見てもそうだ。偉大な科学者は論文だけで評価されるかもしれないが、クリエイターや教祖は生き方が全部伝記になって、手紙も漁られ家族にインタビューもされる。こうなっては作品に留まらず、その人自身にカリスマがなければならない。教祖もクリエイターも非常に属人的なのだ。
では、改めて考えてみると、確かにいくつかの点でクリエイターと教祖は共通している。でも、それで何かまずいのだろうか?
この問いにはこう答えたい。クリエイターの目的によってはまずい。
①目的がファンに囲まれたいという場合
これは問題ない。クリエイターとしてファンをどんどん囲っていこう。
②創作一本で生活をしたい場合
これは大体問題ないだろう。出版などは不安定なので博打だが、熱狂的なファンが一定数確保できているならライブや本でも一定の購買数が期待できるので、むしろやりやすい。
③創作で一山当てたい場合
これはまずい。市場の動向やトレンド、周りのクリエイターとの関わりもないといけないが、そうすると方針を頻繁に変えざるを得なくなり、熱心なファンが離れ、教祖ではいられなくなる。
④多様な作品を世に出したい場合
これも難しい。熱心なファンは解釈のやりがいや古参であることを嬉しく思うのに、作風をコロコロ変えられると新規参入の機会が増える代わりに、解釈も変えなければならない。そのゲームチェンジについていくのは難しいだろう。いわゆる「こんなの〇〇じゃない」というやつだ。
なので、③や④の側面があって創作活動をしている人は今自分が教祖かどうか、そして自分の創作の目的はなんなのかを一度考えてみてもいいかもしれない。
・参考文献・楽曲
『完全教祖マニュアル』架神恭介
『教祖誕生』Creepy nuts
今回、初めてこのような試みをしたため至らない点もあるかと思いますが、細かいところはご寛恕願います。