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読書感想文 清水潔「殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」

1979年から1996年にかけて発生した北関東連続幼女誘拐殺人事件の執念の取材を描く。

17年に渡って、栃木県と群馬県にまたがる半径10kmの範囲で5人の少女が姿を消した。そのうち栃木県足利市で起きた3件は菅家利和さんが逮捕された「足利事件」として解決済みとなっていた。

では、群馬県で起きた事件は別人によるものなのか?地図や資料を眺めながら考えれば考えるほど、疑念が募っていく。

しかし、その疑念を掘り下げることは、足利事件の判決に真っ向から異議を唱えることになるかもしれない。科学捜査の最高機関である科警研によるDNA型鑑定と菅家さんの自供という鉄壁とも言える証拠が揃った足利事件に対してである。

はっきり言って、無謀の一語に尽きる。でも、もしも菅家さんが冤罪だったら?

真犯人は今も野放しにされて、大手を振って歩いていることになる。

悩みに悩んだ末に著者は取材を行うことを決める。

数人のスタッフと共に、事件に関する当時の映像、菅家さんの供述、目撃情報、少女たちが誘拐された状況など、集められるだけの資料や情報を集め、精査し、現地に赴き、当時の関係者に根気強く聞き込みを重ねるなど、地道に取材を続けてきた。菅家さんとの文通も重ねてきた。

その結果、菅家さんは無実の可能性が高いことが分かり、著者は取材で分かったことをテレビなどで積極的に報道した。

それは多くの人の耳目を集め、菅家さんのDNA型再鑑定と再審の後押しとなった。DNA型再鑑定により、菅家さんの無実が証明され、17年の時を経て、菅家さんは釈放された。裁判所も菅家さんに対して謝罪した。

でも、事件はまだ終わりではない。真犯人が捕まっていないからだ。その後の警察や検察の対応は…

著者の取材は、当時の捜査の多くの問題点を浮き彫りにした。

DNA型鑑定は本来、捜査の補佐的な役割しか担えない、あくまで参考であるものだ。ましてや当時は導入されたばかりで、現在に比べれば精度も劣る。にも拘わらず、DNA型鑑定を絶対視することの危うさ。

警察が作りあげたストーリーに沿って捜査をする危うさ。

それに合わない証拠は無視する杜撰さ。

自分たちの判断次第で無実の人間を不当に罰しうることへの危機感の欠如。

検察側にとって裁判で使うには都合の悪い証拠は隠そうとする隠蔽体質。

現在は技術の進歩により、DNA型鑑定を含む科学捜査の精度は向上していることだろう。しかし、それらを運用するのが人である限り、同じことが起こる危険性は大いにある。そう思うと心底ぞっとした。

また、作中で著者はただ警察の発表を鵜呑みにして、ろくに裏付けも検証も行わない当時のマスコミの姿勢にも問題提起していた。

著者はただ地道に、こつこつとジャーナリストとして為すべきことを為し、権力者の大きな声を聞くだけでは見えてこないものを見ようとし、弱い立場にある人たちの小さな声を丁寧に拾おうと努めてきた。

そうして自分の職務に真摯に向き合ったからこそ、菅家さんは釈放され、また、普通に生きていたら、私たちは決して知ることはなかった司法の闇を暴いた。

でも、著者は満足はしていない。いつかこの事件の取材を始めた目的を達するその時まで声をあげ続ける。

文庫Xとして題名や著者名を伏せて売り出された本作。ああいうやり方をするからには担当の書店員は相当な覚悟をもって売り出したのではないだろうか。

そう思うと、こちらも相応の覚悟をもって読まなければならないのではないか。そんな風に思えて、買ったはいいものの、なかなか手が伸びなかった。その本作をついに読んだ。

やっぱり覚悟がいる内容だった。でも、読めて本当に良かった。

警察、検察、裁判所、マスコミ、それぞれが自分たちの職務に対して真摯に向き合っていたなら、今回の冤罪は起きなかったかもしれない。

司法やマスコミに対して批判的な目線で読んでいたけれど、同時に、私たちもまた、自らの役目にちゃんと向き合えているのか、権力者の大きな声だけを鵜呑みにしようとしていないか、問われているように思えた。

#読書感想文

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