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「タイトル未定」

タイトル未定。いい言葉だ。
とかく人は(特にnoteユーザーは)にタイトルに凝る人が多い。noteは絶妙の長さとエモさでタイトルを付けるのが文化みたいになっている。読んで欲しい気持ちは分かるが、エモエモのタイトル合戦みたいになってて何とも居心地の悪さを感じたりもする。

自分の読書遍歴において絶妙にエモいタイトルと言えば村上春樹の「風の歌を聴け」や村上龍の「海の向こうで戦争が始まる」ぐらいだろうか。いや、それもnoteで流行ってるタイトルの付け方に比べたら大してエモくもない。

「ここではない、どこかへ。」とか
「だったら恋愛なんかしなくていい」とか
「そこには小さなぬくもりがあって。」とか

いや、適当に付けているだけなのでイマイチだが、エモさとちょっとした煽りを含むタイトル付けが絶妙に上手い人達がいる。確かにそうタイトルを付けられたら思わず中身を見てしまう。

ことnoteにおいてはタイトル付けが重要だ。
「タイトル未定」たぶんこの文章が大勢の人に読まれる可能性は限りなくゼロだろう。あまりに殺伐としているし情緒がない。しかも無題であること以外何も言ってない。

人は読むnoteをタイトルで決めている
例えば本を買う時、最初は書籍名で興味を持ったりするのが普通だろう。AIDMAでもAISASでも最初に来るのは認知と興味関心だ。タイトルは行動モデルの初期において意味をなす。

その考えからいくと、「タイトル未定」なんてタイトルを付けてしまうのはActionに繋がる機会を損失する愚行でしかない。豪に入れば郷に従え。noteにはnoteの必勝法があるのだ。

ということを分かっていながら、敢えて「タイトル未定」という文章を投稿するのは、僕個人の一種のレジスタンスなのだと思う。あるいはアンチテーゼ。

誰かに影響を与えたい、と思うのは人の性みたいなものだ。あわよくば気に入ってもらって、noteのおすすめに乗って、いつか書籍化とかに繋がったらめちゃくちゃラッキー。煽り系のタイトル付けはそういう人達にとって極めて大事だ。

僕にはその欲がない。いや、仮にそうやって注目を集められるのならそれに超したことはないけれど、そこを目的としているわけではないということだ。見てもらうことを意識するあまり、タイトルに凝りすぎて中身がペラペラ、みたいなのは本末転倒だと思っているだけだ。自分にとって書くことはマーケティングでもブランディングでもない。ただの個人的営みに過ぎないのだ。

まあ、そうは言っても反応があることはそれなりに嬉しいので、気に入ったら「スキ」ください(笑)
マイペースで書いていきます。

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