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その企画書にストーリーはあるか?

事務系・企画系の職種にある方には、企画書や設計書の類を作成する機会があるだろう。それは社内稟議のためのものであったり、クライアントの経営層に対する説得材料やコンペのためのものであったりする。意義や規模感に違いこそあれども、企画を他者に伝える・理解を促すための大切な資料であることには変わりがない。

今、メインでジョインしている会社はZ世代向けマーケティングを得意とする企画制作会社なので、調査だけの企画書を作成する機会は少ない。あくまでも企画制作や広告戦略に活かすための基礎としてリサーチが位置付けられている。

実際、企画に携わるのは一人ではない。企画の中でもそれぞれ別のセクションとして、複数名が関与する場合が多い。市場概況や顧客理解、戦略方針、コンセプトや訴求軸、具体的な戦術・企画の考案、広告媒体の選定とターゲット別の費用配分など、それぞれが別々の専門スタッフによって構成される。

気を付けなくてはいけないのは、複数のスタッフが関わった結果、各セクションが分断されて企画としての一貫性が失われてしまう可能性があることだ。全体を俯瞰し統合するPMの存在が不可欠になる。その企画書にストーリーはあるか?を徹頭徹尾、問うことが求められる。

現業(ぼくわた)においては、リサーチの専門家、コンセプトワークの専門家、企画やクリエイティブの専門家、広告の専門家などに加え、レベルの高いPMも複数いるため、企画内容の分断は起こりにくい体制が取れている。ストーリーを与える専門家が介在することで、高レベルの企画提案ができるチーム結成を可能にする。それがこの会社の強み、総合力の高さだ。


かつて自分が在籍していたのは、いわゆる市場調査・消費者調査に特化したリサーチ会社だった。調査会社における企画提案は、調査プランそのものをいかに顧客の課題解決のためにカスタマイズするかに重きを置く。マーケティング上の課題に対し、調査によって何を明らかにすれば解決の糸口が見えるか(調査課題)、そのためには誰に何をどういう手法で聴くべきか(調査設計)、その結果をどういう切り口で分析しアウトプットするか(分析計画、アウトプットイメージ)をきめ細かく規定した資料が、いわゆる調査企画書ということになる。調査という限定的なプロセスに閉じているため、ストーリーは比較的単純で分かりやすく、それほど意識しなくても統合的な調査企画として解釈しやすい。

一方で、調査による戦略策定を含めた全体的なマーケティング・プロモーション企画の場合、守備範囲が広範なだけに、全体のストーリーをより意識しなければならない。リサーチの結果何がわかるか、それがわかることでどのターゲットにどのような訴求を図ることが有効か、その訴求に際しどの媒体でどのような惹きを作るのか、結果的にその施策による期待効用はどの程度で、ブランドの浸透率やイメージ、LTV、ROIがどうなりそうか、どのくらいの予算があれば実行可能か、などなど…が、一貫したストーリーとして提示されることが「活きの良い」企画には必要だ。

一連のマーケティング施策における各プロセスが分散した状態のプランニングは避けなければならない。様々な専門性を持ったスタッフが関与することで、企画の部分部分はレベルの高いものになるかもしれない。ただ、単にそれをツギハギしただけでは良質な企画書になることはない。むしろ部分は粗削りであっても、全体が連動し、ストーリーとしての強さを持った方が腹落ち感の良い企画になることもある。(これは企画書に限らず、報告書の類でも同様だ)


一般にストーリーの構成は「起・承・転・結」が良いと言われている。アートや文芸の世界では、確かに起承転結のリズムが重要だったりもする。
ただ、これは個人的な感覚だが、ビジネスでの企画提案においては「起・承・結」ぐらいがちょうど良い気がする。複合的な観点からの提案なら「起承・起承・起承・結」のような形になるかもしれない。「転」は表現上あってもよいが、企画書においてはむしろノイズになる可能性もあるため、わざわざ考慮しなくてもよいと思う。(必要だという意見もあると思う。むしろご教示いただけると幸甚です)

企画の全体構成を規定し、統合し、一貫性のある説得材料へと昇華させていく上では、この起承結のリズムを意識すると良さそうだ。特に各プロセスに連動性を持たせるためには「承」が大事なポイントになる。プレゼンを受ける側は全体を統合するストーリー、あるいはフィロソフィーが最初から頭にあるわけではないので、「起」をひたすら積み重ねるだけでは総合的な理解・判断をすることができない。「なんか色々考えてきてくれたことはわかるけど、結局何のためにこれらが必要なの?」というモヤっとした印象が最後まで拭えず、消化不良に陥ってしまう可能性がある。

提案者は、被提案者に対して十分な配慮をしなければならない。消化不良を起こさせるのは最もよくない。活きたストーリーの組み立ては、提案を受ける側の負担を減らすことに繋がる。AだからB、AはCでもある、だからBをCすることを提案します、といったロジカルな展開を意図的に作る必要がある。論理は理解を促進する。思考負担の少ない提案は、相手へのやさしさ、思いやりだ。


さらに言うならば、ストーリーは面白く魅力的なものである必要もある。それを規定するのは論理というより情理(エモロジカル)による効果効能が大きいだろう。頭でも理解しやすく、感性にも訴えてくる企画提案は最強だ。
キーワードは「共感」だと思う。提案者の強い思いだけでは成立しない。被提案者が「ああ、確かにそうだな、わかるな」と感じられる要素が入り込むことで、企画書は単なる設計図ではなく、「活きた企画書」「血の通った企画書」になる。

そのために提案者は、プレゼンを受ける側(クライアント)について、より深い理解をしなければならない。紡ぎ出すストーリーがクライアントの特性や価値観を反映した、訴求力のあるものになっているかどうかを絶えずチェックする必要がある。
ターゲット理解に基づいた的確な企画提案。それ自体がひとつのマーケティングに他ならないのかもしれない。優れた企画者は優れたマーケターであり、優れたストーリーテラーでもある。

僕はリサーチャーとして消費者理解のプロ、なのかもしれないが、顧客(クライアント)理解のプロ、である必要もあるのだろう。道のりは長いが、優れた企画者が多い今の職場で、様々な事例に触れ、成長していきたい。


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