映画『ゴジラ-1.0』を鑑賞してきた件にまつわるつらつら
前記事では思い入れの深い作品へのラブコールとして、前置きに"作品との思い出"なんかを律儀に書いたわけだが、申し訳ないがゴジラとの思い出はない。
ゴジラを観に行ったのは、べつにゴジラが好きなのではなく吉岡さんが気になっただけである。
世の中には、ゴジラに対する感情が"Like"を超越し、"Love"しちゃっている物好きもいる一方で(参考:探偵ナイトスクープ2020年10月16日回)、私の人生にゴジラは何ら関与していない。
職場の福利厚生で映画代を精算してもらえるにしても、ゴジラ代を職場に出させるのはもったいないのでは寄りに気持ちが傾き、鑑賞にかなり後ろ向きであったほどには関与していない。ねんのため様々な映画評価サイトで評価を確認し、なかなかの高評価だったので、そんなら観ておくか、推しも出てるし程度である。
そんな私でもゴジラさんを知っているわけで、ふだん、歩いて通り過ぎるだけの駅の近くにある古くからの醤油屋さんが突然店を閉めたら、あの醤油屋の店主はどうしているだろうとちょっとは考えるくらいの距離感でゴジラさんを認識しているわけで、とすると、ゴジラさんはおそらく、おそらくだが、物心がついてきたくらいの年齢から、認知度は90%を超えるのではないか。
観たことがなくても、ああ、あれね、なんて、恐竜の生き残りみたいな形態とぎざぎざの背中が思い浮かぶのではないか。
山崎貴監督が本作に散りばめた昭和のエッセンスはガチ昭和のマジ昭和で、そうだよね、この監督さんは『永遠の0』とか『ALWAYS三丁目の夕日』とか撮ったのよねと改めて思うほどには昭和であった。
前置きは長かったが、結論、これは劇場で観て良かったと思っている。
神木隆之介さんがだいぶかっこいい
いちばん美味しい。
闇に絡め取られてもんだもんだ生きていた人間が、ターニングポイントで覚醒して救世する。このひとり最高に美味しいキャラクターを描きたいがために、周りを揃えたろうか? と感じるほどにかっこいい。
自らの命を投げ出して死ぬことを美徳にしてはならないが、戦争では死ねなかったのが、数奇な出会いを経て守るものができた彼は、ゴジラではひとたびは死ぬ覚悟を決めた。
生きて、抗え。
生きて抗うといえば、私は、故・佐々木友次元特攻隊員の話が大好きだ。
彼は、9回特攻に出されるも、9回とも軍ひいては国の命令に背いて生還する。優秀な飛行機乗りが身を投げ出して死ぬのはおかしい。生還しながら攻撃してこその飛行機乗りだ、という信念を貫いて帰ってくる。
同調圧力に流されがちで悩んでいる方や、こうす"べき"人間が周囲にいて疲弊している方は、ぜひ佐々木友次さんの物語に触れてほしい。絶対に触れてほしい。多様性を認める世の中への変革期においても、相変わらず日本はめちゃめちゃ同調圧力が強い。
突如自分語りをぶち込んでいくスタイルはブログだからこそ許してもらえると思って、この本に支えられたエピソードを書きたい。
今だから言える。私は決してワクチン自体を根っから否定する反ワクではないが、コロナワクチンについては否定的な立場をとっている。医療従事者から接種するコロワク初動を強要されたとき、佐々木友次さんのストーリーを真っ先に思い出し、お守りにした。
厚生○働省かどっかそこらが、自分たちは国の機関としてちゃんと対策を講じているよ、ワクチン打ってたら大丈夫だよ! と思考停止で言えるようにか、通常数年かかって承認していく過程をすっ飛ばして、半年かそこいらの急ごしらえ筋注用製剤を、しかも医療従事者から打てとは、医療職なのだから実験用モルモットになれと言われているに過ぎないと直感したのである。
佐々木友次さんを知っていて良かった。この人を知らなければ、私は同調圧力に負けてワクチンを打っていた。
何度も上から呼び出されてはなぜ打たないのか詰められ、また、こちらと仲がよいと上が見立てた同僚にもスパイを紛れ込ませて「打った方がよいのでは」の干渉をされ、ワクチンを打たないからと陰湿な言動まで受けと散々であったが、最後まで絶対に打たず、おかしいと思った信念を貫いた。
佐々木さん、やったで。
コロナ禍の日本は、マスクにしろワクチンにしろ、自らの意志や感覚をもって右向け右に従わない人間に対して『マスク警察』や『ワクチン警察』が発動し、非国民認定を下す感覚があった。戦中と何ら変わりがなかったと振り返って思う。私の周りにも、本当はワクチンを打ちたくなかったという人は少なくない。おかしいと思うことに対して、おかしいと唱え、従わないことには勇気とが必要だ。
コロワクは、案の定、あとからあとから様々な原因不明の副反応(長期に渡るものもある)や死亡者が出てきた。あの時本当に打たなくて良かったと思っている。
なお、結局コロナワクチンはいちども接種していない状態で、陽性者にも疑い者にもそれなりに接してきたが、コロナはひとたびも発症したことがない。打った人のほうがより発症したのではないかというデータもあるとかないとか。知らんけど。
アツく自分の話になってしまったが、陰謀説とか何とかは絶対に信じていないから安心してほしい。話を戻すと、そう、本作は、神木隆之介さんが最高にかっこいい。
役名からしてかっこいい。ゴジラ公開後、全国の敷島さんの冬のボーナスが2倍になり、敷島製パンの株価も爆上がりしました。嘘です。
最後、対ゴジラ戦のために戦闘機に乗り込んでからはずっと彼のターンで、大空からゴジラを横目に俯瞰する視線は頭に焼き付いてしまい、なんだかふとした瞬間に思い出してゾクゾクしている。
そして、あのシーンを大迫力の大画面で体感出来ることに、2,000円の価値はある。
コックピットから放たれる眼光が空を切るような構図の絵を描きたいと終演後浮き足立ったが、私の絵柄と技量では描けないので、誰か描いてほしい。
「曝撥」、そして「おお! あんなところに!」
推しの吉岡秀隆さんは、本作品では、海軍工廠(コウショウ)で兵器の開発を行っていた経歴から、ゴジラ対策本部(?)参謀役に抜擢されている野田として登場した。下の名前は健治なので、健助とニアミスである。
物語の核心、いかにしてゴジラを倒すのか。
レトロ感を出すために仕方がないこととは存じているものの、作戦概要説明の不安なこと不安なこと。「曝撥」の文字が出てきた時の、おいおい大丈夫かよ感は、ご覧になられた方であればおそらくある程度わかってくれる。
沈めて浮き上がらせてと、ものすごく物理で、もうどうしようもなく物理な倒し方の説明に突如として現れる「「「曝撥」」」。
そんなんでいけるわけないだろうと思っていたら、案の定沈めたゴジラが多少悶えつつも浮き上がってきて、ビームを打ちますぞとお怒りを露わにしてきたシーンはそうらみろ〜〜〜〜となったが、その口に有人戦闘爆撃機がパイロット脱出後につっこむのだからまんざらでもない。
しかしこれは映画内で私がかなり引っかかるポイントだが、ゴジラが東京湾に現れて、いままさに上陸しようというときに、その野田が、野田が「おお! あんなところに!」と言う。
野田の中の吉岡さんが推しであることを前提にしても看過できず、これまた好き放題書くのだが、あれは切った方が良かったのではないか。
たぶん彼は、ディズ○ーランドで隠れミッキーを見つけた時にも、同じような発声で、同じようなことを言う。あるいは、山登り中に、高度を増してきて、下界では見上げるポイントにあった頂上が、視界の先についぞ現れたときにも言う。
吉岡さんは面白い役者で、明るい役を割り振られても、明るくなりきれず、そこはかとない暗さや湿っぽさを背負い、かといって暗い役をやってもこれが暗くなりきれず、逆にちょっとなんかオモロい感を持ってしまう。
しまうというか、それが彼の味なのだが、佐々木蔵之介さんが低音のハスキーボイスでやいやい何かをがなりたてるような横で、長閑に「おお! あんなところに!」と言われると、こちらも「おお! ほんとだね! ゴジラだね!」なんて、発見難易度ランクSS級のミッキーを見つけたように、身を乗り出し、それなりに悠長に応酬したので、緊迫感を取り戻すまでに時間を要した。
緊迫感といっても、あとはお口パカーンなってるゴジラさんに戦闘機が突っ込み、爆発するくらいだが。
にしても、吉岡さんは"先生"と呼ばれる役にご縁が多いしあたりも多いとファンの間で盛り上がったことがあるが、今回も"先生"といえば"先生"である。
最近放送のファミリーヒストリー(参考:2023年11月3日放送回)で、医者役があんなに似合うのは何故なのかという謎がひとつ解けた。
彼の御先祖の血筋は医系なのだ。
ゴジラさんを案じる
されどゴジラさんは、毎度、なんかかわいそうである。
昨今、市街地に熊が出没するたびに、一定数熊を殺すなという声があがっている。
Xだったかどっかのネットニュースだったかに、熊のリアルを知っている立場からの、熊って言ったって熊のプーさんとか、くまもんとか、そんなのをイメージしするんじゃねえと危機感満載なツッコミを見て思わず笑ってしまったが、考えてみれば私の言っていることはそれに近いものがある。
がしかし、ゴジラさんだって、べつに街を破壊したろうと思って出てきたわけではないだろうに、ひょんなきっかけで出てきてしまったものだから、わけも分からず撃たれるし、深海に沈めて浮き上がらせるという超絶原始的な方法で息の根を止められそうになるしで散々なのだ。
「深海魚がこちょこちょしてきてムカついた」とか「海の底に飽きた」とか「自分だってちょっと銀座でココア飲みたかった」とか、出てきた言い分でも聞けたら、ゴジラさんと仲良くなれる日も遠くないだろうに。
そんなこんなで、野田には、ゴジラさんとぜひとも革新的な方法をもって穏便な会話をすることを期待していた。たぶん、ドラえもんはできる。彼の翻訳コンニャクでももって、ゴジラさんとお話して、双方の納得する落とし所を作ってほしかった。
上陸したら壊滅的になるから、海辺でココア飲んだら帰っていただくとか。
しっちゃかめっちゃかに絡めて、沈めて浮き上がらせる極悪非道さに、動物愛護団体から講義の電話が……って動物なのか? あれは。
など理想はいくらでも語るが、事実、突如でてきた蜘蛛類には迷わずフマキラーとかキンチョールをぶっかけている私が言えたことではない。
蜘蛛は益虫らしいが、どう見ても益虫ではない。
なんなら次からは「おお! あんなところに!」と言いながらやることにする。
ゴジラは我が身ごと
前職場のものすごいストレスで、メニエール病を患った。
つらいんです無理ですと泣き落とし作戦でも決行出来ればよいが、それも出来ないものだから、家で大発作を起こして救急車を呼び、なんなら職場でもぶっ倒れと散々だった。
病の苦しみは経験したものでなければ分からず、同僚も、この奇病への理解は深くない。
メニエール病は難病指定から外れたので、昨今はさまざまなレベル感でメニエール病が病歴にあげられているが、私の場合は、いちど大きな発作を起こしてしまうと、それはもう本当に頭が動かせなくなって、立てなくなって、回復に1、2週間を要する。
医療職同士は、下手に知識がある分、案外仲間に厳しい。
薬を飲んでいるんでしょ? 薬を飲んでいるから大丈夫でしょ? 薬を飲んでどうにかしろ。自己管理がなっていない。自分だっていろいろ我慢している。それくらい当たり前だ、上司が頭を下げて回ってくれたから感謝しろ……等々、このパワハラに厳しいご時世に実にありがたいシャワーを山ほど浴びせられたが、余裕がない現場だと、他人軸で働く環境で自分を大切にする方法を忘却したため人も大切にできないのか、自分がいちばんかわいいので自分を守るばかりで人はどうでもいいかの二択だったのだと推測している。
このままこの職場にいたら本当に心身も心も再起不能になってしまうと危機感を覚え、職場環境を変えたのは最近である。
環境を変えた結果、比較的まともに働いている現場と出会え、現状穏やかに過ごせているが、耳の中にストレス鑑定士とお天気予報士を飼うことになった。ちょっと無理をすると、あるいはちょっと低気圧だと、耳鳴りと耳閉感の増強により、すぐ異議や警告を申し立ててくる。
数度の大発作経験により、この症状が増悪すると、もれなくいつあの激ヤバ天変地異めまいが起こってもおかしくないの巻が始まるので、なるほどっ、さすが、今日も感度がいい! ご注意いただきありがとうございます! などなど、7種類の薬をたくみに使い分けながら、おふたりにゴマをすりすり日々を過ごしている。これからもそう過ごしていく。
メニエールの発作は、前兆がある点がゴジラに似ている。あのめまいは、必ずストレス鑑定士及び気象予報士の発する耳鳴り・耳閉感の増強から始まる。こたびのゴジラは、深海魚がたくさん浮いてきたら出没していた。
私の"ナントカ作戦"は、ゴジラが出てきてから実行されるものではなく、日々粛々と実行中だ。耳の中のゴジラを起こさないために。
思えばこのたびのゴジラも「体調が悪くなったら出よう」と心に決めて席に座った。
「体調が悪くなる」のは、決してゴジラが怖いからではなく、音と光で自律神経や耳がやられるのである。メニ当事者は、映画館やライブ(コンサート)を苦手にしているタイプも少なくなく、私もその一人だ。前職場から身を引く際、引き継ぎに追われ、ストレスが振り切れている状態で挑んだ推しのコンサートでは、爆音と光にやられてぐらぐらが出現し、耐えきれずにロビーの長椅子に伸びていた。
そういえば山崎監督のゴジラは、ある程度ベースの体調が良かったというのもあるかもしれないが、頓服を飲んでギリギリやられなかった。ある種の成功体験となった。
とはいえ、刺激は強めの内容である。
推しが気になっただけで観た程度でも、次の日は多少響いて、耳の中で寝かしつけているはずのゴジラが長く低く咆哮していた。