百年の味 上海レトロ洋食
有名な上海料理といえば?
と聞かれて日本人的にまず思い浮かべるのが、上海蟹・小籠包・紹興酒あたりではないだろうか。在住者であれば四喜烤麩(麩の煮込み料理)や白斩鸡(しっとり茹で鶏)、糖醋排骨(スペアリブの甘煮)、中には田鰻を挙げる本格派も少なくないと思われる。
だが、下記を挙げる者がいたらどうだろう。
・カツレツ
・ボルシチ
・ポテトサラダ
・ナポリタンスパゲティ
・チキンカレー
カタカナ丸出しじゃないか。
住みすぎておかしくなったのか、食事だけでも上海から離れたくて仕方がないのだろう、どなたか片道分の日本行きチケットを差し上げてください。こう思わずにはいられないが心配は無用。上海には「老上海西餐(上海レトロ洋食)」という、100年の歴史をもつ伝統の味が受け継がれている。
だからといって洋食を挙げなくてもよいのではないか。そう、住みすぎて多少おかしくなっているのかもしれない。そっとしておくのだ。
ロシアからの上海羅宋湯(上海ボルシチ)
日本の洋食は、幕末から明治にかけて日本で独自に発展した西洋料理がルーツ、主にフランスやイギリス料理が基礎となっている。一方上海の洋食は、1917年のロシア革命時の亡命ロシア人により持ち込まれたボルシチが起点となっている。霞飛路(現在の淮海路)には40店余りのロシア式レストランが開業し、一菜一湯(ボルシチとパンとバター)の組み合わせが瞬く間に広まっていった。
1937年頃には洋食店が200店余りまで増え、そのほとんどが霞飛路と四馬路(現在の福州路)に集中していた。紅房子、德大西餐館、凯司令西餐社などの有名店もこの頃すでに営業を開始していた。
その後、租界文化や改革開放時代と共に上海洋食も独自に発展、辣醤油(ウスターソース)をかけて食べるカツレツやポテトサラダなど、今の上海レトロ洋食を代表するメニューが各家庭にも根付いていった。
上海レトロ洋食には欠かせない辣醤油(ウスターソース)。日本のとんかつや揚げ物にも合う、冷蔵庫に常備しておきたい逸品。日本から進出しているとんかつチェーン店の「松乃家(松のや)」の各テーブルにもこの辣醤油が置かれている。
租界時代から続く老舗「新利査西菜館」
いくつかある上海レトロ洋食店の中でも根強い人気なのが、70年以上の歴史をもつ「新利査西菜館」である。租界時代の「利査菜館(リチャードレストラン)」を元に、1980年代に新たに開業を行なった。
クラシックながらもレトロで家庭的な店内は、上海っ子で常に賑わっている。お年寄りにとっては青春の味となる数々のメニューで、昔話に花を咲かせているのかもしれない。外国人客はほとんど訪れることがなく、つかみどころのない日本人がたまに来店する程度である。私だ。
今回はこの「新利査西菜館」からいくつかメニューをご紹介しよう。
上海ボルシチとカツレツ。冒頭にも挙げた上海レトロ洋食の代表格である。上海ボルシチは甘めの味付けで、具として玉ねぎやにんじん、ハムなどが入っている。薄く広めのカツレツは先述のとおり、辣醤油をたっぷりかけて食べるのが上海流。骨に注意。
ナポリタンスパゲティと目玉焼きハンバーグ。ミートソースがどっさり乗ったボリューム満点のナポリタンスパゲティ。麺は柔らかめで味付けは甘め。上海レトロ洋食の特徴として、味付けがとにかく甘い。目玉焼きハンバーグも甘めの味付けだが、このソースがハンバーグとマッチして美味しいのだ。
エビたまごピラフ。甘くない。平たく言えば炒飯なのだが、油の多い中国大陸式炒飯と違ってとても軽い。しょっぱさが嬉しいシンプルメニュー。
ビーフカレーとキノコクリームスープ。70年前、利査菜館はチキンカレーが看板メニューだった。ビーフカレーはハラミスジを使った大きな具が特徴。スパイシーさやとろみは少なく比較的淡白な味だが、隠し味の中国ハムで時おり急に旨味が爆発する。とにかく具が大きすぎるため、スプーンの他にナイフとフォークも必要。カレーライスにまさかの三刀流である。
カレー以上に淡白なのがキノコクリームスープ。濃厚さを良しとする時代にサラサラした当時の味はむしろ貴重。ペットボトルで売ってほしいぐらいゴクゴク飲める。
リチャードステーキ。柔らかな牛ステーキにたっぷりの甘めのソースとマヨネーズ。どこか懐かしいこの味は、お好み焼きだ。ご飯がすすむ。
グラタンスパゲティ。スパゲティと大きめの鶏肉を、たっぷりのホワイトソースで焼き上げた、ずっしり感が特徴のパワフル系メニュー。チーズもしっかり効いており、大人の恋ぐらい熱くて濃厚。緑茶もしくはさっきのスープが欲しくなる。
クリームスープパイ。カップスープにパイ生地を乗せて、ドーム状に焼き上げたあれを想像していたのだが、パンが乗っていただけだった。パンをどけたらスープがニーハオ。注文から1分で出てきたので早いなと思ったらカツラ方式だった。ちなみに数年前まではちゃんとドーム状に焼いていたようで、奇しくも面倒臭さが伝統を打ち破った瞬間を目の当たりにしてしまった。
リチャードライス。ちょっと甘めのソースピラフ。デミグラスソースタイプのオムライスの中だけといえば分かりやすだろうか。オムライスのスケルトンのような見た目とは裏腹に味は良く、お店の人気メニューとなっている。
結局のところ美味しいのか
結局のところ、意外に美味しい。だが正直なところ、この甘めの味付けは現代日本人や若年層の上海人の好みにはマッチしづらいかもしれない。もちろん全てのメニューでそうとは言い切れず、カツレツやピラフなど私はよく食べているし、リチャードステーキと白飯の組み合わせは和田アキ子と峰竜太ぐらい息ぴったりだ。
ただ、洋食=ワインを片手にチーズや生ハム、最後に濃厚なパスタやピッツァというのが上海でも当たり前の時代なので、上海レトロ洋食として頭を切り替えてトライしないと、きっと満足のいく食事とはいかないだろう。そもそもほとんどのメニューを中華鍋を振って作っているのだから、現代洋食とは完全に別ジャンルなのだ。
上海生活ですっかり慣れ親しんだ上海料理、和食、洋食の合間に、100年続くこの味を試してみてはいかがだろうか。私はクリームスープパイがドーム状に戻る日をこの目で確かめるまで、辣醤油を片手にカツレツを食べ続けることだろう。