鬱病は、本来の自分を生きる為の道しるべ【仮説】
今年中に、うつ病持ちの女性と体の関係になる機会が何度かあった。
彼女たちの話を聞いたり自身の経験を基に出した仮説がある。
それは、「うつ病は本来の自分を生きるための道しるべ」である可能性があるということ。
↑この本では、本人が望まないことを無理に進めていると、身体が「ノー」というサインを送り出すという事例が豊富に収録されている。
自分の深いところでは望んでいない生き方を、心の声を無視して続けているうちに、身体がそれを辞めさせるために病気になるということだ。
鬱病にしても同じで、
これは私が会ったある女性の話だが、
親が望む様に、良い大学に入って、ネームバリューのある就職先に勤めて、心の声を無視し続けた結果、うつ病を発症して国から補助金を貰う障害者になってしまったとのこと。
そんな彼女も現在は自分のずっとやりたかったことに取り掛かることで、意欲的に生きることが出来ている。
↑やりたかったこと探しに私が活用したワーク形式の本がこちら。モノづくりに興味のある方は特にヒントになると思う。
結局、「うつ病」というのは、
「今の生き方が正しくない」とか、「今の生き方が望ましくない」ということを体が教えてくれている、一つのサインなのではないかと思う。
あくまで私の仮説だが、「うつ病になれる」というのは、その望まない生き方に対する体からのサインに体が敏感な、自分に正直に生きることができる「才能」なのではないかと感じている。
かくいう私も、自分が望まない生き方を強制されると全くやる気がでずに、無気力人間になってしまう。
逆に、自分が望む生き方を選択して突き進むことを決めた場合、周りがドン引きするような熱量で仕事に取り組むことができるし、成果を出すことも出来ている。
自分が鬱っぽいとき、
セロトニンを出すために、日光を浴びたり、セロトニンの原料であるトリプトファンを効率よく摂取できるバナナを食べたり、運動をしたりなど出来ることはあるかも知れないが、
心の望むままに生きてみると、私の場合はすぐに意欲的になれる。
これはあくまで、精神科医でもない私の意見だが、
体が出す「こんな生き方を私は望んでない!」「本当は私はこうやって生きたいんだ!」というサインを誤魔化すのではなく、従ってみるという生き方の方が、自分にとっても周りにとっても良いのではないかと思う。
自分探しの迷宮に入りこまないために
「自分がどう生きたいか?」を知ることは、試行の中から生まれるし、
かと言って手当たり次第に動いていても時間が足りないので、ある程度アタリをつけて行動することが望ましいと感じている。
やってみて、違和感があれば辞めたら良いし、
やってみて、バシッと来たら続けたら良いし、微調整して、より自分にマッチしたものに変えてみるのも良いと思う。
ちなみに、「自分探し」なるものをノートの中で何か月もやったり、コーチングを何回も受けるよりも「やりながら考える」という方法を私は推奨する。
自分が活き活きと生きるのが目的なのに、「自分探し」が目的になってしまうと、自分の殻にこもってしまうし、そうやって鬱っぽくなってしまうのを私が経験したので、あなたには同じ様な失敗をして欲しくないなと思う。
ありがとうございました。