イノベーションを阻害する組織を意識マトリクスで明らかにする
最近、企業人対象の「イノベーションとマーケティング」に関してのアンケート調査を行いました。その中で企業におけるイノベーションの阻害要因として企業人がもっとも意識している課題は技術でも販売でもなく「組織」と「リーダーシップ」にあることが明らかとなりました。
クリステンセンは「イノベーションのジレンマ」の中で破壊的イノベーション※を生む新事業への取り組み方として、①「買収」②「新組織」③「独立組織のスピンアウト」を挙げていますが、①については買収先の独立性が維持される必要があり、②や③についてはトップ主導の下、既存組織とは価値基準や業務プロセスに一線を画す必要があると述べています。いずれにせよこれらは組織問題であり、このアンケートの結果と整合するものです。つまり「一般的に既存組織ではイノベーションを起こすのは難しい」ということに他なりません。
組織の業務の効率化を追求していくと、今、現実に動いている既存事業を円滑に運用することに集中していきます。既存商品を既存市場へと供給する業務です。すなわち会社組織は既存事業に対しての業務プロセスや価値基準の最適化を指向するわけです。その中には事業や人材の評価基準も含まれます。例えば売り上げが100億円の事業においては1億円の売り上げの新事業は見向きもされませんし、同じ1億円の成果でも新事業でゼロから1億円に無限大の成長率を達成した社員よりも成熟した100億の事業の中で1%の売り上げ増を達成した社員を評価したりします。主要事業に関わり主要事業の論理で動いている人間は周辺事業に関わる人間よりも「エリート」とされているわけです。これでは新事業に取り組むモチベーションは高まりませんし、新事業開発の自由度は制約されます。
また、販売チャネルや技術シーズなどのリソースも既存事業に最適化していきます。例えばスーパーマーケットが主たる販売チャネルの食品会社はコンビニへの営業力が弱かったり、そのスーパーの中でもインスタント食品のメーカーは菓子売場バイヤーとのコンタクトが無かったりします。フィルムメーカーだったコダックはデジタル技術がなくソニーやカシオなどが起こした映像のデジタル化に乗り遅れ破綻しました。これらも新事業開発の自由度を制約します。
既存顧客に最適化された関係も新事業開発の自由度を制約します。たとえば飲食店情報サイトのぐるなびは収益源が飲食店からのHP掲載料であったため、飲食店が嫌がるネガティブ情報が混在する飲食店情報のクチコミ化に対応できず、食べログに飲食店情報サイトのトップの地位を奪われることになりました。もう一方のサイト利用者=飲食店利用者が求めた「本当のところ」のクチコミ情報が飲食店とのしがらみで掲載できかったのです。
このように組織体が既存事業によって破壊的イノベーションへの自由度を奪われている状態をクリステンセンは「イノベーションのジレンマ」(1997)と呼んでいます。しかし、これと全く同様のことを師匠の梅澤先生は『企業「分化」革命』(1988)において既に「手かせ、足かせ、頭かせ理論」として発表されており、当時は影も形もなかった先進的な企業・組織形態を主張されています。それはその後に登場したファブレスメーカーやファウンドリーメーカーなどの業態を示唆するものであり、その先見の明と見識の高さに驚かされます。
さて、前回にも少し触れましたが「プロジェクトX」に見る高度成長期から「Japan as No1」と言われたバブル崩壊前までの時期ににおける日本のイノベーションを振り返ってみましょう。
そうすると実は欧米への追随や摸倣はすでに1970年代には終わっていたことが明らかになります。「高度成長は終わった」と呼ばれた後にも日本経済は世界に冠たる成果を上げ続けており、例えば世界で初めてアメリカのマスキー法の環境基準を達成したホンダのCVCCエンジン搭載のシビックや世界の若者の音楽シーンを激変させたSONYのウォークマンが登場したのがこの時期でした。高度成長期の最中ですら世界に普及し、いまだに売れ続けるインスタントラーメンやスーパーカブが登場していました。
それらは明らかに模倣ではなく「独創」です。「それは例外だ」という声も聞こえてきそうですが、先発に対して後発の方が遥かに数が多いので摸倣や追随はこの時代の日本に限らず、いつの時代にも、どこの国でも常にマジョリティです。故にフォーカスされなければならない論点は「その分野、カテゴリーにおいて日本が先発したのか?」です。そして分野・カテゴリーとは外見上の産業分類ではなく、消費者の内面におけるニーズの種類によって規定されるべきものです。例えばスーパーカブは二輪車ですがそれが応えているニーズはそれまでの二輪車とは明らかに違うものです。
この時期の日本におけるこれら独創的商品開発のストーリーはNHKで放映されていた「プロジェクトX」に紹介されています。その典型的なパターンは「創業」か、破天荒な経営者が社員の不安をよそに強いリーダーシップを発揮してプロジェクトをリードするか、「問題社員」と呼ばれるような極めて優秀でありながら優秀過ぎるゆえに組織になじまず「浮いている」、「干されている」その結果「グレている」人たちが一旗揚げようと既存の組織とは一線を画した集団をつくりプロジェクトを進めるかのどれかです。エリート社員がエリート然として進めた話などでてきません。それは演出上のことなのかもしれませんが、意識マトリクスを使えばそれが必然であることや、クリステンセンや梅澤の主張の理由が単純明快に説明できます。
図1は既存事業、既存事業を守る「オペレーター」と、新事業創造に挑戦する「イノベーター」の意識マトリクスです。こうすると、オペレーターの意識は社内と業務に向いている一方でイノベーターの意識は社内のことよりもむしろ社会や人々の生活に向けられていると考えられます。
オペレーターの意識は社内・業務に向けられているが故に組織のしがらみやルールの中で物事を考えます。すなわち「組織と自分」の関係で物事を捉えているわけです。組織の論理はコロコロ変わっては混乱たり効率が下がったりしますから、ルールは変えてはいけないもの、変わってはいけないものであり、その論理の中で物事を捉えているオペレーターの世界観は「常住観」的なものとなりやすいと考えられます。すなわち「今までこうだった(過去)からこれからもこうだ(未来)」という世の中が変わらない、変えられないという発想です。そして会社の組織や業務はこのオペレーターの論理で既存事業に最適化されていきます。既存の事業に最適化されているので既存商品の改良や客単価の向上とそれによるシェア、売り上げの維持・拡大という発想に縛られがちとなります。しかし、この人たちは「市場」以外の世の中の動きについては無頓着でありあまり意識はしていません。知ってはいてもどこか他人事であり、自分に直接関係のあることだとは捉えません。
一方、イノベーターの意識は社会や生活者の生活に向けられています。それが故に「世のため、人のため」に何ができるか?という論理で物事を考えるようになります。これは「世の中と自分」という観点です。世の中では常時どこかで何かが起き、どんどんと変化します。故に彼らの世界観は「無常観」です。世の中は常に変わるものであり、変えられるものだという発想です。あるいは自らが変わっていかなければ世の中の変化にはついていけないということでもあります。この人たちの目は世の中に向けられているために自分の発想や行動は世の中とその変化に向けて最適化していきます。しかし、組織の論理やしがらみ、ルールには無頓着であり他人事でしかありません。むしろ変化や状況に応じて「ルールは破るためにある」というくらいにしか思っていません。つまり、この人たちにとって組織や社内のしがらみ・ルールは常に批判の対象であるわけです。
一方、どちらが新事業を立ち上げたりイノベーションを起こしたりするのに向いているのか、その能力があるのかというと後者となります。これは、既存の市場や組織の論理、ルールに縛られず広い視野で世の中を見ているからこそ可能になるわけです。
当然この両者の間には軋轢や摩擦が生じます。どちらが組織人として「マジョリティ」であり「真っ当」かというと、当然前者です。組織の中で評価されるのも前者です。後者は組織の中では浮いたり、干されたり、グレたりしていくのが必然です。それが「地上の星」の「地上の星」たるゆえんです。しかしただ一人だけ例外がいます。それは経営者が「イノベーター」である場合です。経営者、特に創業者やオーナー経営者は組織の論理やルールを自らの意思で変えることができるからです。
このような理由で「イノベーションのジレンマ」や「手かせ・足かせ」が発生し、既存の組織ではイノベーションが起こせなかったり、トップダウンの強力な意思がないとイノベーションが起こせなかったりするわけです。
しかし、イノベーターのような人たちだけでは会社組織は回っていきません。新事業を創造した後には必ずオペレーションが必要になります(そのぺオペレーションには「いわゆるマーケティング」も含まれます)。従って、事業の創造過程においてオペレーターはイノベーターを理解する必要がありますし、逆もしかりです。その過程を図示すると下図のようになります。
さて、このスパイラルは、イノベーターとオペレーターがその長所を生かしながら時間経過の中で組織を成長させていくプロセスであるわけですがそれぞれのフェーズにおいてどちらにリーダーシップを取らせるか?というのがまさに経営に他なりません、その両者を二刀流のように使い分けられてこそ、まさに「アントレプレナー」(企業家)の器と言ってよいでしょう。イノベーターにせよオペレーターにせよ、それぞれが意識、視野を広げてこそアントレプレナーは誕生すると言えるわけですが、それは正に「人間的成長」と言い換えてもよいことです。このアントレプレナーの人間的成長=器の大きさを意識マトリクスで表現するとこのようになります。図1と比較してみてください。
終身雇用の時代にはこのような成長の機会が多かったと考えられます。辞めたくても転職は難しく、辞めさせるということも容易ではなかったからです。するとその会社の中でそれぞれが特徴を生かし居場所を作るためにはお互いがお互いを理解する必要がありました。そしてプロジェクトXの隠れた功労者というのは実はこのように視野を広げてオペレーターを説得しながらイノベーターの力を活用した経営者であるわけですが、そのためには自らがこのような視野と器の大きさを持つ必要があったわけです。そしてそれこそが昭和の時代にイノベーションが多く起き、名経営者と呼ばれた器の大きな人が多かった大きな一因ではないかと考えられるわけです。