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インタビュアーのトレーニング①~インタビュアーの適性・資質について

この問題については従来「マーケティング知識のある人」だとか、「心理学の素養のある人」といった言われ方がされてきました。あるいは「業界知識がある人」というのも盲信されています。しかし、意識マトリクス理論が解き明かしたのは知識や素養があってもそれは意識マトリクス左側の/C領域のことにすぎないということです。すなわち様々な知識があるということは/C領域を広くはしますが、しかし、それはすでに知られている知識や情報に追いついているだけのことですからそれ自体は「発見」を生みません。

「調査」とくに「定性調査」が行われる核心的な目的はそれまでに形式知化されていなかった暗黙知、潜在情報の「発見」にあります。つまり、知識や素養が多くなっても直接はその発見にはつながらないということです。

発見があるのは、意識マトリクスの右側にある領域、すなわちC/S領域やS/S領域です。従って、この領域の「探索能力」がインタビュアーの能力の核心だということになります。

知識や素養はそれをサポートしますが、探索能力そのものではないわけです。例えば、既存の知識や情報にインタビューの中で垣間見られた生活者の意識や行動を当てはめると、それは既存の知識・情報に分類されていくだけであって、新たな発見は生まないわけです。むしろ、逆に、それが自分が知っていることとは異なっているのではないか?と自問自答しながら、生活者の話を傾聴し、その体験を追体験しながら、自分の知識・認識の領域を広げ、既存の知識、情報とは異なっている点を探り出そうとする態度がその探索能力の根底にあります。

この「傾聴」や「自問自答」の根底には「メタ認知能力」があることはすでに説明済みですが、つまり、インタビュアーとしての核心的な能力とはこの「メタ認知能力」であるということになります。メタ認知能力があればこそ、「主体の分裂」といった「離れ業」も可能になるわけです。

それでは、メタ認知能力はどのような人が身に着けているのか?ということが問題となります。

メタ認知能力とは、自分を自我(エゴ)とは異なった観点で観察、認識できるということです。この能力は自らの言動を客観的に観察することで養われるわけですが、その典型は、スポーツマンや武道家、あるいは俳優やパフォーマーなど、自らのパフォーマンスを客観的に評価分析してフィードバックすることを日常的に繰り返している人たちです。

ある有名な女性柔道家はその引退の理由として「試合の中でふと、ああ、もう勝ちたくないなって思ってしまいました。そのときに、もう競技者としては、もう勝負師としては私の中では終わってるんだなっていうふうに気付いた」と述べています。

この短い一言が表してる彼女の体験の中には、競技者や勝負師としての自分、「勝ちたいと思っていない自分」を観察している自分、あるべき競技者や勝負師を認識している自分、それと今の自分の違いを観察している自分などの「いくつかの自分」が登場します。スポーツマンや武道家はこのように自分を分析します。これこそが正にメタ認知です。インタビュアーが「自分にはこの話が本当に理解できているのだろうか」と考えたりすることと同じです。

つまり、スポーツや舞踏、あるいは演劇、芸事などの経験者、それも一定のレベル以上に達した経験のある人はインタビュアーとしての資質があるということです。

「メタ認知能力」と並ぶもう一つの資質は「共感能力」だと考えています。

「共感」とは安易に使われる言葉ですが、その意味は

共感とは,他人の気持ちや感じ方に自分を同調させる資質や力を意味する。すなわち,他人の感情や経験を,あたかも自分自身のこととして考え感じ理解し,それと同調したり共有したりするということである。その結果,ヒトは他人のことをより深く理解することができる

最新心理学辞典(藤永ら)、2013

とあります。つまり、インタビュアーとしては対象者の発話からその対象者の過去と現在その瞬間の体験を、言葉としてアタマで理解するばかりではなく、自分の気持ちや感覚に置き換えて理解できるということです。心の痛みも、身体の心地よさも、自らの体験に置き換えられるということです。

これによって、言葉のヒダ、行間、余白、裏などにある言葉にならない部分まで理解できるということになります。

この能力を獲得するにはどうすればよいのかと思われるのですが、まず一つは、自らの体験の幅が広く、しかもそれが意識化されている必要があると考えられます。思考実験ですが、痛み、痛覚を感じない人間は、人の痛みの話を聴いても理解できないでしょう。その「痛み」の感覚を経験していてこそ、人が「痛い」と表現した体験が我がこととして理解できるわけです。

つまり、基本は様々な生活経験を幅広く持っていることが望ましいということになります。これは家事をしない人よりもする人の方が望ましいわけですし、趣味の幅広い人の方が狭い人よりも望ましいということになります。その意味では、一般的には若い人よりも年配者の方がより幅広い体験をしていて「熟成」されているので有利であるということになります。しかし年配だからと言って必ずしもすべての領域において幅広い体験をしているとは限らないので、あくまでも一般論です。例えばITなど特定領域においては年配者よりも若い人の体験の方が多い場合があります。

また、ここで言っているのはあくまでも生活者としての「生活体験」なのであって、製品知識や業界知識ではないということです。前者は共感力につながりますが、後者は一歩間違うとC/S領域への侵入を引き起こしてしまいます。

この意味では、調査会社がクライアントから頂くリクエストの典型である「製品知識・業界知識のある人」というインタビュアーの選定条件は「対象領域における生活体験の多様な人」とされるべきでしょう。例えば食生活や食品が調査領域である場合、基本的には自炊しない人よりする人の方が望ましいと言えます。

しかし、種々の制約条件でその時に担当可能なインタビュアーが必ずしもその領域における生活体験が多いとは限りません。また、若い人が自分より年齢が上の人をインタビューするということも普通に起きえます。この場合は「疑似体験」でも構わないわけです。たとえば、小説やドキュメンタリーを良く読んだり、テレビドラマや映画をよく見たり、といったことは望ましいことです。演劇部などでの演技の体験も役立つと思われます(演劇の体験はメタ認知能力も高めます)。

また、「想像力」「類推力」もこの能力をサポートすると考えられます。自らの実体験が無くても、対象者の体験をイメージする能力が高ければそこから自らの共感を呼び起こすことができます。また、対象者の話から、自分の近似した実体験を類推する能力が高いというのも同様です。

調査の報告というのは結局文字によって具体化されている必要がありますが、表現しきれない他人の体験を文字によって具体化するためには、自らの感情・感覚でもって対象者の体験を共感した上でそれを表現できる能力というのは非常に重要です。

以上をまとめると、
①インタビュアーにとって重要な二大資質は「メタ認知能力」と「共感能力」である。
②メタ認知能力はパフォーマンスを自ら観察しフィードバックするスポーツ、武道、芸事などを体験した人が高いと考えられる。
③共感能力は生活体験が幅広いか疑似体験(読書など)が幅広いことによって養われる。また、想像力や類推力もそれをサポートする。

となります。このように考えますと、対象者の体験談からその経験を共感し、その共感している自らをメタ認知能力で観察できるのがインタビュアーだということになります。


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